第12話 湯けむりは、裸の決闘(デス・マッチ)の合図
異世界ファンタジーにおいて、「温泉回」というのは約束されたファンサービスだ。
読者は喜び、視聴率は上がり、キャラクターの親密度は深まる。
だが、俺にとっては「処刑場」以外の何物でもない。
スライム退治の報酬として、村長から『秘湯の利用券』をもらったのが運の尽きだった。
山奥にある、源泉かけ流しの露天風呂。
効能:疲労回復、美肌効果、そして**恋愛成就**。
余計な効能つけやがって!
「……よし。完璧な布陣だ」
俺は仁王立ちして、目の前の「壁」を見上げた。
男湯と女湯を隔てる、高さ2メートルの竹垣。
それだけでは不安なので、俺はさらに岩を積み上げ、脱衣所に落ちていた板を張り付け、バリケードを築いていた。
名付けて『絶対拒絶の壁』。
「いいかお前ら! 絶対に覗くなよ! こっちに来るなよ!」
俺は壁の向こうに叫んだ。
チャポン、と水音が響く。
「はい、師匠。武人の嗜みとして、決して覗き見などいたしません」
ルミナの真面目な声。
「非効率ね。貴方の裸体データなど、すでに服の上からのスキャンで予測済みよ」
セラフィナの冷徹な声。
「えー? ユウリと背中流しっこしたーい! 一緒に入ろうよー!」
ミルミルの無邪気な声。
油断ならない。特に最後の一匹。
俺は湯船の隅っこ、壁から一番遠い場所で小さく縮こまった。
湯気で視界が悪い。心拍数が上がる。のぼせているのか、死にかけているのか判別がつかない。
「はぁ……極楽……」
そう思ったのも束の間。
「師匠?」
壁の隙間(俺が埋め忘れた数ミリの穴)から、ルミナの声がした。
「背中は流さなくてよろしいのですか? 弟子の務めとして、師匠の凝り固まった筋肉をほぐしたいのですが」
「いらん! 俺の背中には『見ると石になる呪い』がかかってる!」
「メデューサですか……。ならば、目を閉じて洗えば問題ありませんね?」
ザパーン!
壁の上から、白いタオルが投げ込まれた。
続いて、ルミナが壁をよじ登ろうとする気配!
「来るなァァッ! お前は聖女だろ! 混浴なんてハレンチなことしたら神様に破門されるぞ!」
「神など恐れません! 私が仕えるのは今や神ではなく、師匠です!」
「重い! 信仰の対象を変えるな!」
ガガガッ!
竹垣が悲鳴を上げる。聖騎士の腕力で、物理的に壁を破壊しようとしている!
やばい。裸の聖女が降ってくる!
「ユウリ、あたしが先だー!」
ドォォォン!!
ルミナが作った隙をついて、ミルミルが砲弾のように空を飛んだ。
猫獣人の跳躍力。軽々と壁を越え、俺の目の前の湯船に着水する。
バッシャーーーン!!
大量のお湯が津波のように俺を襲う。
湯煙の中から現れたのは、一糸まとわぬ褐色の肌……ではない。
「……あれ?」
俺は目をこすった。
ミルミルは、なぜか全身に白いモヤのようなものを纏っていた。
「にゃはは! セラフィナがね、『そのまま入るとユウリが死んじゃうから』って、湯気で隠す魔法をかけてくれたの!」
ナイスだ魔女!
……いや、待て。
「見えない」というのは、逆に想像力を掻き立てる。
チラリズムの極致だ。
「ユウリ、洗ってあげるー!」
見えないミルミルが、俺の背中に抱きついた。
感触はある。
柔らかい。温かい。ヌルヌルする。
【警告。ミルミル・テイルスナッチ、スキンシップによる幸福度上昇】
【「裸の付き合い」により、心の壁も全撤去されました】
【即死カウントダウン、開始。残り5秒】
「離れろ! 俺の体はタワシより硬いぞ! 肌が削れるぞ!」
「んー? 気持ちいいよ? ユウリ、心臓すごい音してる! 興奮してるの?」
「恐怖だと言ってるだろ!」
俺はミルミルをひっぺがして、湯船の反対側へ投げ飛ばした(優しく)。
息が切れる。
心臓が痛い。
のぼせた。もう限界だ。出よう。
俺が立ち上がろうとした瞬間、脱衣所の方から冷たい声が響いた。
「動かないで」
セラフィナだ。
彼女はいつの間にか、脱衣所の入り口に立っていた。
もちろん、バスタオル一枚の姿で。眼鏡が湯気で曇っているのが逆に怖い。
「な、なんだ。覗きか? 変態魔女め!」
「データ収集よ。温泉成分と、貴方の体液(汗)が混ざり合った時の化学反応を観測しているの」
彼女は手に持ったフラスコにお湯を汲んだ。
そして、曇った眼鏡をくいっと上げ、俺を凝視する。
「……意外ね」
「何がだ」
「もっと貧相な体かと思っていたけれど……無駄のない筋肉。古傷の数々。……美しいわ」
ピタリ。
俺の動きが止まる。
セラフィナの瞳から、理性の光が消えかけている。
「観察対象」としての興味が、「性的対象」としての興味にスライドする音がした。
【警告。セラフィナ・フロスト=ルクス、発情係数上昇】
【「美しい」という感情は、恋への入り口です】
【このまま裸を見せ続ければ、彼女の論理回路が焼き切れて即死します】
見られるな!
隠せ!
男の尊厳(股間)だけでなく、全てを!
「うおおおおおっ! 隠れ蓑の術!」
俺は湯船に深く潜った。
鼻までお湯につかる。
これなら顔しか見えない!
「あら、隠すの? 恥じらい……それもまた、そそる要素ね」
セラフィナが一歩、湯船に足を踏み入れる。
「待て! 入るな! 溢れる! アルキメデスの原理でお湯が溢れる!」
「師匠! 私も参戦します!」
壁を破壊したルミナも乱入してきた。
タオル一枚の聖女、タオル一枚の魔女、湯気まみれの獣人。
三方向から包囲された。
ここはお風呂場。
逃げ場はない。
武器もない(素っ裸)。
俺に残された武器は、口先だけだ。
「……ふっ。愚かな」
俺は湯船の中から、渋い声を出した。
「え?」
「俺がなぜ、ここまで頑なに体を隠すか……わからないか?」
「な、なぜですか?」
「俺の体には……『愛した女の名前』が刻まれているからだ!」
シーン……。
湯気が揺れる音だけが響く。
「昔、死んだ女の名だ。俺はそいつを忘れないために、全身に刺青を入れている。……お前らに、その重い過去(刺青)を見せるわけにはいかないんだよ」
大嘘だ。
刺青なんてワンポイントもない。
だが、これで「過去の女を引きずる重い男」になれる。
女ってのは、未練がましい男が嫌いなはずだ!
ルミナが口元を押さえた。
「……なんてこと」
涙ぐんでいる。
「亡き人を想い続け、自らの体にその証を刻む……。それほどの深い愛を持った方だったなんて……!」
「え?」
「一途……! 尊い……! 貴方のその『一途さ』に、私の心は焼かれそうです!」
逆効果だー!!
聖女には「一途な愛」がクリティカルヒットしてしまった!
「過去ごと愛します! その刺青、私に見せてください! 私が上書きしてあげます!」
「私も興味あるわ。記憶の定着と皮膚組織の関係性……解明したい」
「ユウリにお絵かきしてあるの? 見たーい!」
ザパーン!
三人が同時に湯船に飛び込んできた。
津波。
俺は物理的に流された。
薄れゆく意識の中で、俺は思った。
温泉なんて二度と来るか。
次は砂漠に行こう。水のない、乾いた土地へ……。
翌日。
「のぼせて気絶した」ということにして難を逃れた俺だったが、ルミナからは「いつかその背中を見せてください」と熱っぽい目で見られ続けることになった。
見せられない。
だって、何もないツルツルの背中だから。




