第2話「姉さんは強い」
あのとき俺が――姉さんを頼らなければ。もしそうしていれば、姉さんはいまも星海学園に通っていたかもしれない。
それとも、そもそも俺が姉さんとユニットを組まなければ……いや、違う。あのとき、俺の口から「ユニットを解散しよう」と言ってさえいれば――。
すべては、あの日の俺の選択のせいだ。
「姉さんはすごいな。あんなに難しい振り付けを一発で踊れるなんて」
「ふふ、そう? 大丈夫よ! 凪もすぐ踊れるようになるわ! だって、私の弟なんだもの!」
「……うん、頑張るよ」
あの頃の俺は、ただひたすらに姉さんの背中を追いかけていた。
ボーカル、ダンス、パフォーマンス、ファンサービス、MC。すべてにおいて、姉さんは俺より上だった。いや、“上”どころではない。圧倒的だった。
「おい、会長がソロライブやるってよ!」
「え? ゲリラ!? そんなの絶対見なきゃじゃん!」
「姉さん、またやってるのか」
星海学園の校内で、姉さんが突如始める“ゲリラライブ”はすでに恒例行事になっていた。だがそれは、厳密にはライブではない。
彼女はアイドルバトル大会に突如乱入しては、《《暇潰し》》と称して戦う。誰かを蹴落とす目的ではなく、純粋に、自分がアイドルであることを楽しむためだけに。
「いくわよ! アイドルアバターカードスタンバイ! アイドルバトルオーディション! スタート!」
「ま、負けない! 会長に勝って中等部1位になってやるんだから!」
星海学園に通うアイドル科の生徒たちは、皆〈IABS〉――IDOL AUDITION BATTLE SYSTEMを使って競い合う。
カードに登録されたアイドルのデータを筐体にインストールし、仮想空間上でライブを行い、評価と勝敗を決める。
レッスンも、オーディションも、すべてがこのシステムを介して行われる。
バトルで勝利すればカードはアップデートされ、経験値が蓄積され、アイドルとしての能力が強化されていく。
距離や時間を越え、誰とでも、いつでも仮想空間でレッスンや戦いができる。
それが〈IABS〉。俺たちが育った、アイドルたちの戦場だ。
「ま、負けた……」
「ふふ、あなたの歌、結構良かったわよ! ま、私には遠く及ばないけれどね!」
勝てるはずがない。姉さんのアイドルランクはすでにC、いわば“トップアイドル候補”の領域に達していた。
対する相手は――せいぜいEランク。一般学生レベルだ。そもそも、姉さんにとってはウォーミングアップにすらならない。
「あら? 凪、来てたのね」
「うん、相変わらずの負けなしだね」
姉さんが俺に気づくと、涼しげな表情を浮かべながら長い黒髪を揺らしてこちらへ歩いてきた。
その目には――曇りも、迷いも、一切なかった。
「当然! 今の星海学園の中等部に私より強いアイドルなんて存在しないわ! それこそ凪、あなたがいなくても完勝できちゃうくらいにね」
「別に俺がいなくても――」
姉さんは強い。俺がいなくても、勝ち続けられるほどに。
それでも、なぜか彼女はいつも俺を過大評価してくれる。
「そんなことはないわ凪。あなたが隣にいてくれるからこそ、あなたが私についてきてくれるからこそ、私は普段以上の力を発揮できるの」
「そうかな」
「そうよ! きっと遠くない未来、私たち、DUALならあの頂点に――トップアイドルの高みに、手が届くかもしれないわ」
「それは見通しがかなり甘い気が」
「甘くなんてないわ。あなたと私なら、それほどの偉業をきっと――ううん、必ず成すわ。私たちがあの日夢見た、あの最高のステージに!」
DUAL――それが、俺と姉さんで組んでいた双子ユニットの名前だ。
姉さんは、本気で信じていた。俺となら、頂点を目指せると。
その熱量は、時にこちらが呑み込まれそうになるほどだった。
けれど、俺は――信じ切ることができなかった。
なぜなら、姉さんとの実力差はあまりに大きかったから。
それは、武道館のあのステージに立った――その瞬間ですら、変わらなかったのだ。