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第1話「アイドルだった姉を喪って」

姉さんが死んでしまった。

あの悪夢のような武道館ライブから、まるで時の針が止まったかのようだ。


「姉さんが死んでもう二年か」


ぽつりと、呟く。

その言葉は空に溶け、風にかき消されるように消えていった。


俺は心の中に残った空白を抱えたまま、屋上の古びたベンチに身を投げ出していた。

肩越しに吹き抜ける夏の終わりの風が、熱を奪っていく。

見上げた空は、どこまでも色を失ったような灰色で、まるで俺の心を写したかのようだった。


そんなとき、足音が近づいてきた。


コン、コン――と。


バタバタと駆け上がるような音ではない。

むしろ、ためらいがちなほどに慎重で、静かな足取りだった。


やがて、屋上の扉が重たく軋んで開き、その音に合わせるように、視界を遮るような人影が立った。

淡い金色の髪、ゴスロリ衣装。

その姿に、俺は反射的に目を細めた。


「……凪お兄ちゃん? またこんなところでサボってるの?」


その声はよく知っている。

俺の幼馴染であり、一つ年下の少女――宵闇陽鞠よいやみひまり


「ん? 陽鞠か。放っておいてくれ。姉さん亡き今、俺にアイドルをやる価値なんてない」


吐き捨てるように言った言葉は、やはり空へと消えていく。

そうしてまた、静寂が落ちる――はずだった。


だが陽鞠は屈託のない笑顔を浮かべたまま、すっと近づいてきた。

その瞳に揺らぎはない。まっすぐに俺を見つめている。


「そんなことないよ……? ひまりはお兄ちゃんといっしょにアイドルやりたいって思ってるもん」


その言葉は、今の俺にとっては重すぎる。

灰色の空を見つめていても、何も浮かばない。

ただそこには、ぽっかりと開いた穴だけが広がっている。


「お前はまたそんなことを……たとえ俺が陽鞠とアイドルをするとしてもゴスロリのアイドル衣装だろ? 似合うわけないだろうよ」


「だいじょぶだよ! だってお兄ちゃん、あの人と双子だから顔はかわいいし!」


……陽鞠のその一言で、心の中にしまっていた何かがひび割れた。

不意に言葉が詰まり、俺は思わず目を閉じる。


「…………お兄ちゃん、まだあの人のこと忘れられてないんだ」


「当たり前だ。忘れられる――わけがない……」


絞り出すような声だった。

もはやベンチに寝転がってなどいられなかった。

俺は上体を起こし、ゆっくりと腰を上げる。


忘れられるわけがない。


姉さんに憧れ、姉さんに手を引かれるようにしてアイドルを始めた。

俺の中の「アイドル」は、すべて姉さんの中にあった。

その存在を、忘れろだなんて……できるわけがない。


「忘れちゃえばラクになれるのに」


「楽になんてなれねえよ……姉さんは俺が殺したようなものなんだ。俺が下手だから姉さんみたいにアイドルの才能がなかったから……」


それは誰にも口にしたくなかった本音だった。

悔しさ。

憧れ。

嫉妬。

自責。


そのすべてを抱えて、俺はここに立っている。


陽鞠は俺の隣に腰を下ろすと、そっと体を寄せてきた。

小さな体から伝わる温もりは、優しさ以上に、どこか重かった。


「お兄ちゃんに才能がないわけじゃないよ。あの人に千鶴お姉ちゃんにアイドルの才能がありすぎただけ」


「ははっ、ハッキリ言いやがるなぁ」


「でも陽鞠ならそんな想いは絶対にさせないよ?」


「陽鞠……」


「うん? なにお兄ちゃーー」


「彼氏がいる女子を口説くときみたいに言うな!」


「あいた!? ひどいよお兄ちゃん……! チョップだなんて……パパにもぶたれたことないのに!」


「やかましいわ!」


軽く手を振り上げて頭に一撃。

じゃれ合いのようなやり取りの裏に、陽鞠の本気が垣間見えた。


「……陽鞠なら、お兄ちゃんが陽鞠とアイドルしてくれるならあの人のことなんて忘れさせてあげるのになぁ。ふー、」


「っ……!?」


耳元にふっと吹きかけられる吐息。

その甘さに、不意を突かれた俺は思わず跳ねるように立ち上がってしまった。


「な、何の真似だ!?」


「……お兄ちゃんが陽鞠のモノにならないかなーって」


「こ、答えになってないぞ!」


「本気だよ? 陽鞠は。お兄ちゃんとアイドルやるのあきらめてないから」


そのとき、チャイムが鳴った。昼休みの終わりを告げる音。


「言っただろ? 俺はもう本気でアイドルやる気なんてないんだよ」


「ウソつきだねお兄ちゃんは」


「は? どういう意味だよ? 俺は本気でーー」


「お兄ちゃんはやめないよ? アイドルを。やめるわけないしやめられるわけがないんだよ」


「俺はやらないって言ってるだろ?」


「だからそれがウソなの! お兄ちゃんはアイドルをやめられない。《《だってそれは呪いだから》》」


その一言を残し、陽鞠はベンチから静かに立ち上がった。

まるで最初からそうするつもりだったかのように、扉へ向かって歩き出す。


呼び止めようとしたその瞬間、彼女はふと立ち止まり、振り返った。


その瞳は、まっすぐに俺を射抜いていた。


「の、呪いってどういうーーっ!?」


言葉が終わるより早く、風が吹いた。

視界がかすかに揺らぎ、思わず目を細めたその刹那。

陽鞠の姿はもうなかった。


閉じられた扉の向こうへと、足音が遠ざかっていく。

そして、それもやがて静かに消えた。


「いったいなんなんだよ……」


呟いた声は、屋上にただひとり残された俺の中で、いつまでも消えずに木霊していた。


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