プロローグ
ーー武道館ライブ。
それは、すべてのアイドルが一度は夢に見る、特別なステージだ。
本来なら、中学生が立てるような場所じゃない。キャリア、人気、実力、そのすべてを積み上げた者だけが、ようやく辿り着ける選ばれた場所。
けれど、俺たちはそこに立った。
俺と姉さんーー星海凪と星海千鶴。
二人で結成したユニット・DUALの活動が、やっと実を結んだんだ。
その日は、収容人数八千人を超えるステージが、すべて俺たちのために用意されていた。
見上げる照明は、眩しくて、遠くて。
まるで夢を見ているみたいだった。
こんな景色が、姉さんの見せてくれた世界なのか。
その背中を、どれだけ追いかけても届かなかった理由が、今なら少しだけわかる気がした。
「……凪? 準備はいい?」
背中越しにかけられた姉さんの声はいつも通り、穏やかだった。
……いや、穏やかすぎた。
緊張も、焦りも、昂ぶりすらも感じさせない声。
まるで、この日のためにすべてを置いてきたかのように、澄みきっていた。
「うん。……姉さんこそ、無理してない?」
「ふふ。凪のほうこそ、緊張してるじゃない」
いつものやり取り。いつもの調子。
でも、俺の胸の奥には、小さな違和感があった。
姉さんの表情が、どこか儚く見えたのは、きっと照明のせいじゃない。
舞台袖から、ステージの中央が覗ける。
光の波が押し寄せ、観客の歓声が雷のように響いていた。
その渦の中へ、これから俺たちは飛び込む。
手を伸ばせば、姉さんの指先が触れた。
その手は、少しだけ熱かった。
まるで燃えているみたいにーー
「……凪。今日は、最高の一日にしようね」
そう言って、姉さんは前を向いた。
迷いなく、恐れもなく、ただ真っ直ぐに。
それが、姉さんが俺に見せた、最後の笑顔だった。
舞台に足を踏み入れた瞬間、視界が真っ白になった。
ライトの洪水。耳をつんざく歓声。
そして、たしかに聞こえた。千鶴の第一声。
「皆さんーー今日は来てくれてありがとう!」
あのときの声、今でも忘れられない。
透き通って、華やかで、すべてを包み込むような響きだった。
まさに、アイドルそのものの声だった。
けれどーーその裏で、姉さんの身体はすでに限界を迎えていた。
誰にも気づかれないまま、誰にも助けを求めないまま、
彼女は、そのステージで、燃え尽きる覚悟をしていた。
DUALの最後のステージ。
それが、俺たちにとっての夢の終わりだった。
そして今でも、あの眩しすぎる光の残像だけが、
俺の胸の奥に焼きついているーー