第一章 第七話:「岐阜へ、家族との別れ」
秋が深まり、朝の空気は冷たく澄んでいた。東の空にはわずかに朝焼けが残り、城の石畳には夜露が光っている。今日、俺は岐阜城へと旅立つ。
黒川家の運命を左右する交渉。織田信長に商業国家構想を受け入れさせるための旅だ。
旅支度を整えた俺は、城の中庭に出た。そこには、馬を引く家臣たちとともに、俺の家族が揃っていた。
「父上、母上……」
黒川家の先代当主であり、現在は隠居している父、黒川重信が静かに頷いた。白髪交じりの髪を結い、老いてなお背筋が伸びた姿は武士の威厳を保っている。
「真秀、織田信長との対話……お前はよほどの覚悟を持っているようだな」
「はい」
父は俺をじっと見つめる。厳しくもどこか誇らしげな目だ。
「よいか、織田信長という男は尋常ならざる才を持つが、何を考えているか見極めねばならん。焦らず、確実に進めよ」
「心得ております」
傍らには母の雅が立っていた。かつては公家の出であった彼女は、年を重ねても気品を失わぬまま、静かに俺の顔を見つめていた。
「お前は昔から、考えすぎる子だった。でも、この道を進むと決めたのなら、信じておりますよ」
「母上……ありがとうございます」
そして、俺の妻である黒川篠が一歩前に出た。
「殿……どうか、ご無事でお戻りくださいませ」
篠は決して感情を表に出す女ではない。しかし、その瞳には明らかに不安と寂しさが滲んでいた。
「大丈夫だ。俺は必ず帰る」
そう言って、彼女の手をそっと握る。篠は一瞬驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「お待ちしております」
後ろでは、賄いの女官であるお千代が涙を拭いながら見送っていた。
「若様、お食事はしっかり召し上がってくださいましね!」
俺は笑い、頷いた。
「もちろんだ。お前の飯を食わねば、力が出んからな」
こうして家族との別れを終え、俺は馬に乗った。
「では、行ってまいります!」
家族と家臣たちが頭を下げる中、俺は馬を進め、城を後にした。
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岐阜城の光景
旅は五日を要した。
街道沿いの木々は紅葉し、夜には冷え込む季節となった。道中、宿場町では商人や旅人が行き交い、戦乱の時代にもかかわらず活気があった。
そして、岐阜に入った瞬間、俺はその町の規模に改めて圧倒された。
かつては稲葉山城と呼ばれたこの地は、信長によって「岐阜」と改名され、新たな時代の中心地として発展しつつあった。
城下町には広い道が整備され、京や堺からの商人が行き交う。
町の中心には「楽市楽座」の制度が徹底され、誰もが自由に商売を営めるようになっている。行商人たちが声を張り上げ、南蛮人の姿もちらほら見える。
「これが信長の城下町か……」
日本の中で、ここほど革新的な都市は他にない。
そして、丘の上にそびえ立つのは岐阜城。
山の斜面に築かれた堅固な城でありながら、城の周囲には豪壮な屋敷が並ぶ。信長の権威を象徴するその城は、まさに戦国の中心にふさわしい威容を誇っていた。
「黒川殿、お迎えが来ております」
城の門の前に立つと、織田家の兵士が出迎えた。
「信長公はすでにお待ちです」
俺は深く息を吸い、頷いた。
いよいよ、天下人との対話が始まる。