第二章 第五十二話:「勘合符交渉と堺の逆襲」
天正五年(1577年)冬——広州・明国官庁
倭寇討伐の約定を交わし、黒川家の信用は着実に向上していた。しかし、正式な勘合符の獲得にはさらなる交渉が必要だった。明国の宮廷は慎重であり、一度は倭寇の噂を払拭できたものの、交易の再開にはさらなる証明が求められた。
「勘合符の発行には、朝廷の許可が必要です。」
張文興が静かに告げる。
「つまり、南京や北京の更に上層の官僚たちとの交渉が必要ということですな。」
藤堂宗春が低く呟いた。
「その通り。しかし、貴殿らの功績が既に広州の商人たちに認められつつある。正式に朝廷に交易再開の請願を提出する機会を得ることは可能かもしれない。」
俺は張文興を見据えた。
「その機会を得るために、我々ができることは?」
張文興は静かに扇を開きながら言った。
「明国にさらなる貢献をすること。そして、黒川家が貿易を通じて長期的に安定をもたらす存在であることを示すことだ。」
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*新たな貢献と交渉の布石
「貴国に貢献する方法ならば、いくつか考えがある。」
俺は地図を広げ、広州周辺の海域を指さした。
「倭寇討伐に加え、黒川家は南蛮貿易と連携し、明国に不足している品を安定供給できる体制を築くことができる。」
張文興が興味深そうに頷く。
「南蛮貿易との連携か……。それは具体的に?」
「ポルトガル商人たちを通じて、明国に良質な鉄砲や西洋の工芸品を届ける。また、日本からも最高級の鉄製品や漆器を安定して供給することで、明国の経済発展に寄与できるはずだ。」
藤堂宗春が補足する。
「そして、交易の利益の一部を明国の官庁に提供し、交易港の整備や治安維持に活用するのも手かと。」
張文興は扇を閉じ、深く考え込んだ。
「……確かに、それが実現すれば、貴殿らの存在は価値がある。」
彼はゆっくりと頷いた。
「南京の役人たちに働きかける準備を始めよう。」
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*堺の逆襲
その頃、日本では堺の商人たちが新たな策を練っていた。
「黒川家の勢いが止まらぬな。」
津田宗及は厳しい表情で言った。
「倭寇との噂を使った妨害が失敗し、逆に彼らは明国の信頼を得つつある。次の一手を打たねばならん。」
商人の一人が恐る恐る問いかけた。
「いかがいたしましょう?」
津田は扇を閉じ、静かに言った。
「黒川家の交易が成立すれば、彼らは貿易の独占権を握ることになる。ならば、織田家に直接働きかけ、黒川家の台頭を阻止するのだ。」
「織田家に?」
「そうだ。信長公に黒川家の動きが独立した商業国家を築く動きであると示し、彼の警戒を煽る。」
「しかし、信長公は黒川家を重用しているのでは?」
津田は冷たく微笑んだ。
「だからこそ、情報を巧みに操るのだ。黒川家が独自の外交権を持とうとしていると誇張し、信長公にとって脅威になり得ると示せば、いずれ手を打たれるだろう。」
商人たちは頷いた。
「なるほど……それならば、信長公が動く可能性がありますな。」
津田宗及は扇を広げながら静かに呟いた。
「黒川家が天下を取る前に、手を打つのだ。」
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*部下との語らい
その夜、俺は広州の港を見下ろしながら言った。
「南京の官僚たちとの交渉が始まれば、正式な勘合符の獲得に向けて前進できる。しかし、それと同時に、堺の商人たちの動きが激化するだろう。」
藤堂宗春が慎重に言った。
「特に、彼らが織田家に働きかけた場合、殿の立場にも影響が及ぶかもしれません。」
俺はゆっくりと頷いた。
「織田家との関係を強固に保ちつつ、貿易の未来を切り拓く。それが、次なる課題だ。」
間宮時継が笑った。
「つまり、ここからが本当の勝負ということですな。」
俺は静かに扇を閉じ、夜風を感じながら呟いた。
「そうだ。商業国家・黒川家の未来が決まる、最も重要な局面に入る。」




