第二章 第四十七話:「堺の動揺と広州の扉」
天正五年(1577年)晩夏——堺・津田宗及の屋敷
「……黒川家が明国と交易を試みている、だと?」
津田宗及の表情は曇っていた。これまで堺の商人たちは南蛮貿易を牛耳り、明国との間接的な交易も独占していた。しかし、黒川家が正式な勘合貿易に加わることになれば、その優位性は一気に崩れる。
「これは、我々にとって大きな脅威になる。」
集まった堺の商人たちがざわめく。
「黒川家が正式に明国と取引を始めれば、我々の立場が危うくなる!」「なんとしても阻止せねばならぬ!」
津田宗及は扇を閉じ、静かに言った。
「堺の交易は、我々が培ってきたものだ。黒川家ごときに奪われるわけにはいかぬ。信長公に働きかけると同時に、明国の官僚たちにも我々の影響力を示さねばならん。」
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*天正五年(1577年)初秋——広州・明国官庁
黒川家の使節団は、ついに広州へと到達した。ポルトガル商人の仲介により、俺は明国の官僚たちと直接交渉の席につくことになった。
「貴殿が黒川家の代表か?」
広州の役人、**張文興**が俺を鋭い目で見つめる。
「その通り。我々は正規の貿易関係を築くことを望んでいる。」
俺は流暢な中国語で答えた。
「日本との交易は、これまで密貿易の形で行われることが多かった。貴殿は正式な手続きを踏むというのか?」
「もちろんだ。我々は貴国の規律を守り、正式な許可を得るつもりである。」
張文興はしばらく考え込み、静かに茶を啜った。
「ならば、証拠が必要だ。」
「証拠?」
「貴殿が日本を代表し、交易をするに相応しい者であることを示すものがいる。我々は、これまで堺の商人たちと取引を続けてきた。なぜ、突然貴殿の黒川家が正規の交易相手となるべきなのか?」
俺は静かに微笑んだ。
「それは、我々が織田家の後ろ盾を持つからだ。」
張文興の目がわずかに光った。
「織田家……。確かに、貴国の新たな実力者だと聞いている。しかし、それだけでは足りぬ。交易とは、信用の積み重ねだ。」
「ならば、信用を得るための品をお見せしよう。」
俺は商人たちに合図を送り、用意していた交易品を運び込ませた。日本の最上級の漆器、精巧な陶磁器、そして高品質の鉄製品が広間に並べられる。
「これらは、日本の最高級の品々だ。我々は、これらを正規の形で貴国に提供できる。」
張文興はしばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「……なるほど、貴殿の言うことには一理ある。だが、まだ決定を下すには早い。」
彼は俺を見つめ、慎重に言った。
「明国には厳格な商業規律がある。我々だけでは決められぬ。上層部に報告し、判断を仰ぐ。」
俺は微笑みながら頷いた。
「それで結構。我々も、誠意をもって準備を進めよう。」
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その夜、広州の宿に戻った俺は、窓の外の街並みを眺めながら静かに考えた。
「明国の官僚たちは慎重だ。しかし、交易の道は開かれつつある。」
藤堂宗春が隣で微笑んだ。
「しかし、堺の商人たちも黙ってはおりませんな。」
「当然だ。彼らはあらゆる手を使って、我々の取引を妨害しようとするだろう。」
俺はゆっくりと酒を口に運びながら言った。
「だが、これまでの交易と違い、我々は正式な形で明国との関係を築こうとしている。正道を歩む限り、いずれ勝機は我々のものとなる。」
藤堂宗春が頷いた。
「それにしても、織田家の名を出すことで、明国の官僚たちの態度が変わりましたな。」
「それこそが、黒川家の強みだ。」
俺は扇を閉じ、静かに呟いた。
「次の交渉では、さらに大きな一歩を踏み出す。」




