第二章 第三十五話:「異国の商人を翻弄する黒川の商法」
天正四年(1576年)冬——敦賀港
南蛮商人たちの足音が、港の石畳に響く。昨夜の酒宴で彼らは日本の歓待を存分に楽しんだようだが、今日からは本格的な交渉が始まる。
ジョアン・デ・アルメイダが満足げに口髭を撫でながら言った。
「Senhor Kurokawa, 貴殿のもてなしには感謝する。しかし、交易となると話は別だ。我々は最大の利益を求める。」
俺は軽く扇を閉じ、微笑んだ。
「当然のこと。我々も同じだ。では、商談を始めよう。」
大広間の机には、日本の漆器や陶磁器、香木、鉄砲用の硝石、南蛮の絹やガラス製品が並べられていた。取引の中心となるのは火薬と鉄砲だ。
「さて、まずはお聞きしたい。我々が求めるのは、鉄砲三百挺と火薬十樽。それに加え、南蛮のガラス製品を百点ほど。」
アルメイダは顔をしかめた。
「三百挺とは、なかなかの量だ。しかも、火薬もとなると、かなりの取引になる。だが、我々はポルトガルだけでなく、スペインやオランダとも商売をしている。貴殿が望むほど安くはならないぞ。」
俺は静かに頷いた。
「では、こうしよう。我々はこの取引において、貴殿らの品を京の商人や堺の茶人へと売り込む。その代わり、我々が独占的に仕入れる形を取りたい。」
「独占?」
アルメイダが眉をひそめる。
「貴殿は堺を出し抜こうというのか?」
「いいや。」
俺は微笑んだ。
「堺を利用するのだ。」
アルメイダが目を細める。
「どういうことだ?」
「貴殿らは堺を通して取引しているが、実のところ、堺の商人たちは我々の茶器や香木を求め始めている。つまり、我々が貴殿らの品を直接仕入れ、それを堺へと流せば、堺の商人たちは我々に依存せざるを得なくなる。」
南蛮商人たちがざわめく。
「すると、堺の商人たちは貴殿のもとへ直接来るよりも、黒川家を通じて取引する方が楽になるということか。」
アルメイダが腕を組み、唸った。
「なるほど……貴殿は単に交易を広げるのではなく、市場の流れを作ろうとしているのか。」
俺は扇を開き、静かに言った。
「商人とは、己の利益だけを追うものではない。市場全体を操ることで、利益を生むのだ。」
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*異文化の衝突と融合
商談の休憩時間、南蛮商人たちは興味深げに日本の文化を観察していた。
一人の商人が、小さな茶碗を手に取り、怪訝そうに眉をひそめた。
「なぜ日本人は、こんなに小さな器で茶を飲むのだ?」
俺は微笑みながら答えた。
「大きい器に価値があるわけではない。茶の湯は、静寂と美を楽しむもの。器の大きさよりも、持ったときの手触り、色合い、形に価値があるのだ。」
商人は納得がいかない様子で、まだ大ぶりの南蛮の陶器を見比べていた。
「しかし、我々の国では、大きなワイングラスやジョッキで飲むのが普通だ。」
「ならば、こう考えてみるといい。」
俺は手元の茶碗をゆっくりと回しながら言った。
「貴殿らのワインは、ぶどうを発酵させることで価値を生む。日本の茶は、茶葉を慎重に選び、最も香りが引き立つ状態で味わう。形や大きさではなく、その背後にある哲学が違うのだ。」
商人はしばらく考え込み、やがて笑った。
「なるほど……つまり、茶の湯は単なる飲み物ではなく、文化そのものなのか。」
「その通り。そして貴殿らの陶器を、我々が茶器として新たな価値を与えれば、貴殿らの品の価値もまた、変わることになる。」
アルメイダが驚いた表情を浮かべた。
「まるで魔法のような考え方だ。」
「商いとは、価値を創り出すこと。」
俺は扇を閉じ、静かに告げた。
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*未来への布石
南蛮商人たちが帰った後、俺は港の波を眺めながら呟いた。
「言葉が通じれば、交易は単なる取引ではなくなる。文化を知り、価値を見出し、双方の利益を拡大させる……それこそが、本当の商いだ。」
藤堂宗春が微笑みながら言った。
「これで、堺の商人たちは黒川家の取引を無視できなくなりますな。」
「そうだ。そして、南蛮人たちもまた、我々をただの客ではなく、交渉相手として見るようになる。」
俺は海の向こうに視線を向けた。
「これが商業国家への第一歩……次は、どの国と交渉しようか。」




