第二章 第二十九話:「交易と権力の駆け引き」
天正四年(1576年)晩夏——
黒川家の商業政策が軌道に乗り、京・堺との交易はかつてないほど活発になっていた。茶の湯文化を利用し、南蛮交易の品々を価値ある茶器として売り出すことで、商人や武士たちの関心を引くことに成功した。
しかし、影で動く勢力もあった。
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*堺の反発——津田宗及の動き
「殿、堺の津田宗及殿が、信長公に直訴したとの報が入りました。」
間宮時継が険しい表情で告げた。
「直訴だと?」
「はい。黒川家の交易拡大が、織田家の支配に影響を及ぼす可能性があると訴えたようです。」
俺は静かに杯を置き、考え込んだ。
「なるほど。堺の自治権を守るために、黒川家の商業支配が危険だと煽ったか。」
斎藤友継が続ける。
「津田殿は、信長公が商業を重視することを理解している。しかし、同時に織田家の統制を超える動きには敏感です。」
「つまり、我々の商業が信長公の利益と一致することを示さねばならんな。」
藤堂宗春が慎重に言葉を選ぶ。
「信長公へ交易の成功を報告し、商業収益の一部を軍資金として供出するのがよいかと。」
俺は頷いた。
「そうだな。そして、我々が単に商業拡大を狙っているのではなく、織田家全体の強化に寄与していることを強調しよう。」
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*信長公への報告
岐阜城の大広間にて、俺は信長公に直接報告を行った。
「……以上が、京・堺との交易の現状でございます。」
信長公は静かに聞きながら、酒を一口飲んだ。
「ほう、なかなか面白い話だ。して、そちの交易は、どのように織田家に利をもたらす?」
俺は深く一礼し、答えた。
「南蛮交易を活用し、茶の湯文化を通じて新たな財源を確立しました。この利益の一部を、織田家の軍資金として拠出いたします。」
信長公は顎に手をやり、しばし考え込んだ。
「……面白い。」
俺の言葉に目を細め、続けた。
「戦のための資金が増えるならば、そちの交易も存分に行うがよい。ただし——」
信長公の声が低くなる。
「商いが軍を超えてはならん。武士の力なくして国は動かぬぞ。」
俺は静かに頷いた。
「承知しております。商いはあくまで国を支える一手段にすぎませぬ。」
信長公は満足げに笑った。
「よかろう。津田宗及には余から伝える。そちはそのまま商業を進めよ。ただし、織田家の利益を忘れるな。」
「御意。」
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*京と堺の調整
岐阜城での謁見を終えた後、俺はすぐに京へ向かった。
京の商人たちは、黒川家との交易が軌道に乗ったことを歓迎していた。しかし、公家勢力の一部が依然として堺との結びつきを強く望んでいた。
「京の商人たちをさらにこちらに引き込むためには、堺とは異なる魅力を示さねばならん。」
斎藤友継が慎重に言う。
「例えば?」
「輪島の漆職人を京の寺社と結びつけ、特注の茶道具を作るのです。」
藤堂宗春が続ける。
「それに加え、南蛮の香木を京の貴族たちへ特別に供給する契約を結べば、彼らにとって黒川家との交易が不可欠になります。」
俺は微笑んだ。
「つまり、黒川家の交易がただの流通ではなく、高貴な文化を支える存在になれば、公家たちは堺と距離を置かざるを得なくなる……ということだな。」
「その通りです。」
「よし、早速京の有力商人を敦賀へ招待し、交易の拠点としての越前の価値を示そう。」
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その夜、俺は再び敦賀の港を歩いた。
海風に吹かれながら、遠くへと続く航路を見つめる。
「交易は、単なる商いではない。」
俺は静かに呟いた。
「それは、国の形をも変える力を持つ。」
京と堺の均衡、信長公の信頼、そして織田家内での立場。
商業国家としての未来は、今まさに形を成しつつあった。




