第二章 第九話:「堺商人との交渉」
越前の秋風が海の香りを運んでくる。俺は数名の家臣を伴い、堺へ向かうべく敦賀港へと足を運んだ。
堺——それは、南蛮貿易の中心地であり、日本屈指の自由都市。戦国の世にありながら、武士ではなく商人が支配する独立した経済圏を持つ。織田家の影響は及んでいるものの、自治権を強く持つ彼らは、自らの利益を最優先する交渉のプロでもある。
「殿、堺との交渉がうまくいけば、越前の商業は一層発展しますな。」
斎藤友継が馬上から俺に語りかける。
「そうだ。堺の交易網と我らの経済基盤が組み合わされば、越前は日本海貿易の要所となる。信長公の目指す商業国家構想にも貢献できるはずだ。」
俺は海の向こうを見据えた。
「だが、問題は堺の商人たちがそれをどう受け取るかだ。」
________________________________________
*堺の商人たち
堺に到着し、俺たちは市の中心にある**会合衆**の館へと向かった。
会合衆とは、堺の自治を担う商人の有力者たちであり、政治的にも大きな力を持つ。織田家が堺を支配下に置いているとはいえ、彼らは完全に従属しているわけではない。むしろ、自由な経済圏を維持するため、巧妙に織田家の勢力を利用している。
館の中へ通されると、すでに数名の商人たちが席についていた。
「黒川殿、遠路はるばるようこそ。」
迎えたのは、堺の有力商人のひとり、今井宗久。茶の湯にも精通し、信長とも交流のある人物だ。
「宗久殿、ご招待感謝いたします。」
俺は礼を示し、席に着いた。
「早速だが、貴殿が越前で進めている商業政策については、すでに聞き及んでいる。商人たちの間では、『越前が第二の堺になるのではないか』という噂も流れておる。」
宗久の言葉に、他の商人たちの視線が俺に集まる。
「しかし、それが我々にとって利益となるかどうかは、また別の話でござる。」
俺はゆっくりと頷いた。
「確かに、堺にとって我らの商業政策が脅威となる可能性もある。だが、それは表面的な見方に過ぎぬ。」
「ほう?」
「我らが求めるのは、堺との対立ではなく、共存と発展だ。」
俺は懐から巻物を取り出し、広げた。
「現在、越前では関所を緩和し、商人たちの交易の自由を確保している。それにより、日本海沿岸の交易は活性化しつつある。しかし、南蛮貿易の知識や交易ネットワークを持たぬ我々だけでは、十分な発展は望めない。」
「つまり?」
「堺の商人たちと協力し、越前を日本海側の貿易拠点とすることで、共に利益を増やすということだ。」
俺は続ける。
「堺は瀬戸内海と南蛮貿易の要衝である。しかし、太平洋側の貿易ルートだけではなく、日本海側にも確固たる交易網を築くことで、より安定した商業の流れが生まれるはずだ。」
宗久はしばし考え込んだ。
「確かに、堺が越前の商業圏を活用すれば、交易の幅は広がる。しかし、織田家内の勢力バランスを考えると、容易には決断できぬ。」
「ならば、信長公の意向を確認していただいても構わぬ。」
「……信長公は、おそらく貴殿の商業政策を支持されるだろう。しかし、それが本当に我ら堺にとって得策かどうかは、慎重に見極めねばならぬ。」
宗久が目を細めた。
「それに、堺の商人の中には、黒川家の台頭を警戒する者もいる。」
「当然だ。しかし、交易は利益がすべて。利益を生む相手であれば、敵ではなくなるはずだ。」
俺の言葉に、商人たちの間でざわめきが起こる。
「……黒川殿、よいでしょう。我々も貴殿の提案を真剣に考慮いたしましょう。」
宗久がそう言ったとき、間宮時継が静かに俺の耳元で囁いた。
「殿、外に妙な影が。どうやら、この会談を探る者がいるようです。」
俺は表情を変えずに言った。
「会談は成功しつつある。だが、裏で妨害しようとする者がいる以上、慎重に進めねばならんな。」
堺の商人たちとの交渉は、まだ始まったばかりだ。
これが単なる商談ではなく、織田家の勢力バランスを左右する一手となることは間違いない。




