プロローグ:戦国の夜明け
まずは、プロローグです。
痛みがない。
それなのに、全身に奇妙な感覚がまとわりついていた。温かいはずの体は冷たく、確かにあったはずの喧騒は消え去っている。
「……あれ?」
声が出た。自分の声だ。しかし、響きが違う。かすかに若い、聞き慣れぬ音色。
目を開ける。
そこに広がるのは、暗い天井だった。木の梁が剥き出しになった室内。ほのかに灯る蝋燭の火が、周囲を朧げに照らしている。すぐそばには掛け布団、薄手の着物。身体を動かせば、軋む畳の感触。
「……どこだ、ここは?」
目を凝らし、辺りを見回す。質素な寝室。壁には掛け軸と小さな神棚。窓の外からは、虫の音と夜風が流れ込んできている。
──違う。これは……
ゆっくりと身を起こした。その瞬間、頭の奥に激しい衝撃が走った。
「ぐっ……!」
意識をえぐるような感覚。異質な記憶が押し寄せてくる。
戦の音、甲冑のきしみ。槍と刀がぶつかる音。
炎上する城。絶望に染まる家臣たち。
そして──『俺』がいた。
『俺』──黒川真秀。
朝倉家の家臣。文官でありながら、軍略に通じた策士。
「いや、違う……俺は神谷優斗だ……」
確かに、俺は現代日本のサラリーマンだった。仕事帰り、駅のホームで急な胸の痛みを覚え、気づけば倒れていた。
──大動脈乖離。
救急車を呼んだが、間に合わなかったのだろう。意識が途絶え、次に目覚めたのがこの世界。
「転生、ってことか……?」
混乱する思考の中、ふと気づく。頭の中にあるのは、自分の記憶だけではない。
黒川真秀の記憶。幼少期、学問、仕官、戦場。全てが脳裏に浮かぶ。
そして、
──今がいつなのか、わかってしまった。
「天正元年……1573年……?」
喉が乾く。俺がいた時代から、450年も前。
「朝倉家は……滅びたばかり、か」
つまり、このままだと越前一向一揆が勃発する。
未来の記憶がある。戦国の歴史は知っている。ゲームや書籍で学んだ知識が、頭の中で鮮明に蘇る。
「このままでは、越前は血に染まる……!」
織田信長がこの地を支配し、無理な統治を強行。農民と一向宗の門徒が反発し、大規模な一揆へと発展。そして信長は苛烈な鎮圧を行い、越前は一度滅びる。
その流れを──変えられるかもしれない。
「俺は、黒川真秀として生きる……」
決意が固まった瞬間、ふすまの向こうから足音が近づいた。
「若君、お目覚めですか?」
恭しくも、心配そうな声。現れたのは、家臣の斎藤友継。表情には安堵と不安が入り混じっている。
「……俺はどれくらい眠っていた?」
「三日です。戦の後、倒れられ……もう戻らぬのではないかと……」
なるほど、記憶の整理期間か。
「そうか。心配をかけたな、友継」
その言葉に、友継が目を見開いた。
「若君……?」
「何だ?」
「……いえ。お声の調子が、どこか……変わられたような気がいたしまして」
鋭い。だが、今は細かいことを気にしている場合ではない。
「友継、今の越前の状況を詳しく聞かせてくれ」
「かしこまりました」
話を聞く。朝倉家滅亡後、織田家の支配が始まり、民衆は不安と混乱の中にいる。そして、一向宗門徒たちは不満を募らせ、やがて決起するだろう。
歴史通りなら、このまま進めば確実に一向一揆が勃発する。
「この流れを断ち切るには……」
政教分離の概念を導入し、一向宗を武装解除させ、貿易と経済を発展させる。
そのためには、
・織田家との交渉 ・一向宗の説得 ・経済基盤の確立 ・軍事力の強化
これらを同時並行で進めなければならない。
「俺に、できるか?」
一瞬、迷いがよぎる。しかし、
──知識がある。
──未来を知っている。
──戦国時代を変えられる。
「……やるしかないな」
深く息を吸い込み、真秀の身体を受け入れる。
「行くぞ、友継。俺たちが、この越前を変える」
──戦国の夜明けが、今始まる。