何処の歩道を写したか、中々思い出せない・・・
フイルムカメラで撮影していた時代の写真を、かつて大量にポジフイルムをデジタル化したので、パソコンの画面で眺めるわけですが、その中には何処で写したのかが思い出せない写真が、本当に嫌になるほど大量に存在するのです。
画像データ保存用の外付けハードディスクや外付けSSDから画像データを呼び出して、パソコンの画面で眺めて見て、思い出せた写真から順に、当然、時系列はバラバラとなりますが『撮影旅行よもやま話集』を書いているのです。
逆に撮影旅行の思い出は鮮明に思い出せるのに、肝心の風景写真データが見つからないケースも多々あるのです。
こればかりは、デジタル化するに値しない風景写真しか当時写せなかったのだと、諦めるしかありません。
今更、大量にある全く未整理状態のポジフィルム(リバーサルフイルム)を再び、1枚1枚チェックするなんて、そんなメンドクサイことはムリ・・・って以前にも書いていて、何処で写したか思い出らなかった写真が、冬の御在所岳の写真って判ったことがありましたね。
今回の写真は、ハッキリ言って微妙に露出オーバーな不出来な部類の写真たちで、雰囲気的に多分ですが何処かの神社仏閣か公園の一角にある歩道だと思います。
でも全く思い出せない。
写真のデータファイルを保存した日付的に、既に10年も前の写真たちなのですからね~ 仕方がないですよ~
スキャナーでデジタル化した写真の前後が、滋賀県のマキノで写したメタセコイヤ並木と京都の知恩院でしたから、黄色く黄葉している葉もあるので季節も秋なのは判りますが、残念ですがそこまででした。
同じファイルに同じ年に写した秋から冬の季節の写真が全部一緒に、京都だけでなくて、東京や長野で写した写真までが入り乱れて入っていたのですから、全く見当もつきませんでした。
な・な・な・なんと、思い出しましたよ~
京都山科の毘沙門堂門跡の紅葉を写した後に訪れた、天智天皇山科陵(御廟野古墳)の通路ですね。
毘沙門堂門跡の紅葉を写した後に何処に行こうかと、山科疏水から琵琶湖第一疏水に並行して続いていた歩道が、ハイキングコースみたいだったので、何となく歩いていたら、天智天皇山科陵(御廟野古墳)に至ったんでした・・・
よく似た画像がグーグルマップのストリートビュー定点画像にありましたよ~
天智天皇山科陵(御廟野古墳)に訪れた時には、私以外には誰一人居なくて、凄く静かだったことを思い出しました。
馴染みのカメラ店のミニラボ機スキャナーで画像を取り込むときに、いい加減な順番で取り込んだため、毘沙門堂門跡の紅葉と天智天皇山科陵の画像データが離れ離れになったんですね。
だから思い出せなかったんだ・・・
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今のところ毎日更新中(そろそろ不定期更新になりそう・・・)のエッセイ『撮影旅行よもやま話集(撮影旅行で私が写した風景写真付き)』『日常生活よもやま話集』以外にも、不定期連載中で他の投稿サイトで開催の自主企画向けに書き下ろした作品集の『様々なジャンルの短編集』、『遠い昔の学校の思い出話』完結済みや、近未来SF的な『 閃光 衝撃 轟音 の記憶 』完結済みが、【小説家になろう】内に投稿してありますので、気が向いたら読んでみてね~




