「えやじんし」
「言霊」というものをご存じだろうか。
日本では古来より言葉には霊力が宿るとされており、実際に発した言葉が現実の事象に影響を及ぼすと考えられてきた。
例えば、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
なので、神事などで奏上される祝詞などは、間違ったりすることは厳禁とされてきた。
こうした言霊に対する考え方は、実は現代社会でも重要視されている。
例えば、婚礼の場などでは「切る」「帰る」「離れる」といった新郎新婦の縁が途切れるような言葉は使わない。
披露宴が終了する際も「終わり」「終了」という言い方は避け「お開き」といった言葉を用いる。
受験などでもそうだ。
「滑る」「落ちる」といった言葉は避ける傾向にある。
もっと例を挙げると果物の「ナシ」は「無し」に通じるというので「ありの実」と言う。
また、動物の「サル」は「去る」になるので「得手(手に入れる)」と呼ぶ(よくサルを「エテ公」と呼ぶのはここに由来するのだろう)。
このように言霊は様々な局面で重視され、尊重されてきた。
そんな言霊の中には「忌詞」というものがある。
これは口にすること自体を禁忌とするもので、不吉に通じるとされる単語だったり、呪いの言葉だったりする。
「えやじんし」もその一つだ。
戦後、うわさになった忌詞なのだが、その由来や正式な漢字について一切資料が無い。
ただ「えやじんし」という一節が語られていたという。
さて、これより語るのは、この忌詞「えやじんし」にまつわる逸話である。
戦後も落ち着きを見せ始めた頃。
とある田舎の村に二人の姉妹がいた。
姉妹は早々に両親を失っており、二人きりで生きてきたこともあって大層仲が良く、姉はいつも妹を気にかけ、妹も優しい姉を心から慕っていたという。
片方がものをもらったら仲良く半分こし、分け合った。
片方が病気になったら、自らは食事を執るも忘れ、看病のために寄り添ったという。
そんな二人だから喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかった。
そんなある日のこと。
村に伝わる神事の中で、姉妹は巫女舞を任されることになった。
巫女舞とは、古くは巫女たちが舞手となった神楽舞のことで、近年では巫女装束に身を包んだ少女たちが神楽歌に合わせて舞を行うものになっている。
その村の巫女舞は数年に一度、十代の乙女たちが舞手として選ばれ、神社に舞を奉納する大変名誉な役目でだった。
姉妹はそろって晴れの舞台に立つことができることをとても喜んだという。
しかし、運命は残酷だった。
何と本番間近の練習で、妹は足をケガしてしまったのである。
さらに、そのケガによって妹は舞手から降ろされてしまった。
ただ、こうした不測の事態に備え、最初から代役は手配されていたので、巫女舞の奉納自体は問題がない。
が、この急な配役変更に妹は大層悲しみ、自らの不運を呪い、ふさぎ込んでしまった。
これに心を痛め、悩んだのが姉である。
彼女自身、舞手を務めることを誰よりも心待ちにしており、練習にも力を入れていた。
一方で、妹を置いて自分だけ晴れの舞台に上がることに大きな引け目を感じてもいたのだ。
妹の心情を思えば、自分も舞手を諦めることが良いような気がする。
が、せっかくの好機をむざむざ手放すのも惜しかった。
葛藤した姉だったが、周囲からの説得や本番まで時期が差し迫っていたこともあり、最終的には舞手として舞台に上がることを決意した。
そうして張り切る姉を、妹は静かに見詰めていたという。
さて、巫女舞の前夜のこと。
姉が姿を消した。
これに集落は大騒ぎになった。
巫女舞は姉の代役が舞うことになり、どうにか奉納することができたが、姉の姿は依然として見つからない。
さらに数日後、山の中で行方不明だった姉の遺体が発見された。
姉は何者かに乱暴されらしく、変わり果てたで見つかったという。
狼藉者から辱めを受けた姉は、その苦痛と自分が舞手としての資格…乙女でなくなったことに絶望したのか、自分が着ていた着物の帯で首を吊り、自ら命を絶ったようだった。
あまりの出来事に、集落では哀れな姉の最期に深い悲しみに包まれた。
犯人の手掛かりを求めて山狩りまで行われたが、何も見つかることはなかった。
そんな最中、独りになった妹は呆然となった後、ただ静かに瞑目していたという。
その数年後、また巫女舞が奉納される年になった。
年齢のせいで新しい舞手には選ばれなかった妹だったが、祝詞の奏上を担い、姉妹の代役として舞ったかつての舞手たちともに、師として新たな舞手たちを育成していた。
その頃には亡くなった姉の話は人々の口端にのぼらなくなり、以前より寡黙になったが妹は平穏に過ごしていたという。
そして、本番の日。
神事は滞りなく進み、巫女舞が始まった。
その最中、舞とともに妹による祝詞が奏上された。
雅な舞と、妹の澄んだ声が衆目の目を集める。
誰もがその幽玄な雰囲気に魅了されていた。
だが、異変はその時に起きた。
舞手である一人の少女が、突然絶叫し、倒れたかと思うと喉や胸をかきむしりながら苦しみ始めたのである。
これには一同が騒然となった。
舞が中断される中、少女は凄まじい形相で苦しみ続け、神楽殿の床をのたうち回った。
少女の姉が慌てて駆け寄るが、その時には少女はこと切れていたという。
神事は急遽中止され、亡くなった少女の姉をはじめ、親族が狂乱したように少女の亡骸にすがった。
ただ、妹だけは怒号と悲鳴が場を包む中、ひとり祝詞の奏上を続けていた。
そして、少女がこと切れたのを見やると、静かに微笑んだという。
数日後。
神事中止の混乱冷めやらぬ中、妹が死体で発見された。
死んだ姉の墓前で毒を飲み、自ら命を断ったのである。
そして、舞手の少女の死に、妹の関りがあったことが彼女自身の遺書によって判明した。
そこにあった内容はこうだった。
かつてケガによって舞手を降ろされた妹は、大いに悲しんだ一方で、姉だけでも舞手として残ったことに安堵していた。
そして、姉の舞を心待ちにしていたという。
しかし…その姉は何者かに凌辱され、自分の命を断ってしまった。
妹は優しかった姉の無念を思い、悲しむとともに犯人へこれ以上ないくらいの憎悪を抱いた。
そして、村中の人間を密かに調べ、ついにその犯人の突き止めたのである。
その犯人は、当時、姉の代役として舞手を務めた女だった。
女は、妹のケガが切っ掛けで代役が正規の舞手として抜擢されたのを見て「姉の代役の自分も、舞手として選ばれるように仕向けられないだろうか?」と画策したらしい。
そこでならず者を雇い、姉を山中に誘い出すと手籠めにさせた。
そうして、乙女でなくなった姉に代わり、自分が舞手として舞台に上がろうとしたのである。
女の思惑通りことは進んだが、結果、姉は自殺した。
だが、口封じにもなったので女自身に損は無く、舞手として選ばれ、役目も果たし、村人からも称賛された。
数年に渡り、執念でこれらを突き止めた妹は、姉を死に追いやった憎い女への報復を考えた。
そして、自分たち姉妹が味わったのと同じ苦しみを味わわせてやることにした。
今年の巫女舞において、女の妹が舞手に選ばれると、妹は自ら舞手の教導役として名乗りを上げ、祝詞の奏上も買って出た。
そのうえで、本番で妹は密かに祝詞を改ざんし、忌詞を奏上したのである。
それが「えやじんし」という一節だった。
神主すら気付かぬように巧妙に忌詞を繰り返し唱える妹。
もし失敗しても、自分の命を懸けて相手を殺すつもりだったらしいが、忌詞は絶大な効果を発揮した。
積もり積もった妹自身の恨みも手伝ったのか、犯人である女の妹はこの世のものとは思えない有様で悶死。
それを目の当たりにした女も、発狂せんばかりに恐れおののき、実妹の死を悲しむことになった。
さらにその後の話。
妹が遺した遺書を元に村人たちが追及すると、代役だった女はかつての自分の企てと、その結果、姉が自殺したことを白状したという。
そして、遺書の中で妹は、いくら非道な女の関係者とはいえ、自らの復讐のために罪のない少女を死に追いやったことを詫びつつ、自分も命を断つことを記していた。
以上が哀れな姉妹を襲った悲劇の逸話である。
最後に、あえて不可解な点をいくつか記そうと思う。
まず、妹はどのようにしてこの忌詞を知り得たのだろうか。
彼女自身、神職では無く、祝詞などにも通じていたとは思えない。
そして、遺書から推測するしかないのだが、彼女に知識を授けた第三者の気配も見当たらないのだ。
また、冒頭で告げたとおり「えやじんし」の由来など一切が不明。
それでありながら、これほど非常に強力な呪いを発するこの忌詞が、単なるうわさ程度でしか確認できないのは何故なのだろう。
そして、これを読んでいる方々も実践してみれば分かることだが、普通に唱えただけでは何の効果も起きないのである。
推測だが、この忌詞は単に唱えるだけでなく、何か別の要素が加わって、はじめてその呪いを発揮するのかも知れない。
その要素とは血筋なのか、はたまた何かの儀式を通じてのものなのか。
あるいは別の何かなのかも知れないが、全ては霧の中だ。
だが、思うに謎の多いこの忌詞「えやじんし」は…できるならこれ以上は触れずに、静かに時間の中へ葬った方がいいのかも知れない。
そんな気がしてならない。
待て
待ってくれ
何だこれは…!
「えやじんし」ってそういう意味なのか!?
信じられない!
いや、ここにはあえて記すべきなのか
いずれにしろこの先を読むかは…自己責任しかない
いま気付いたが…
「えやじんし」は明確な意味を持つ忌詞…いや、呪いだった
そして、極めて単純な呪いの言葉だ
「えやじんし」を逆さに読むと…