無人の教室と謎の少女
――ゴクゴクゴクッ――
「プハァッ!――疲れた〜!」
喧騒の片隅で…少女…〝黒乃結美〟が汗ばんだ身体を仰ぎ、熱の篭った身に冷水を染み渡らせながら疲労を吐露する…隣には己の愛剣ともう一振り、師より賜った白金の剣を立て掛けながら。
「――あんなの反則だろッ」
「剣も魔術も効き目薄いとかどうしろってんだよ!」
「打撃は効果が薄かった、斬撃は装甲に弾かれたが、甲殻の関節を的確に狙えれば処理性能は格段に上がる――」
「あの速度を的確にってのは厳しいだろう、足止めの算段を練らねぇと…」
「虫…怖い」
「お、俺よぉ…彼奴等の巣に引きずり込まれかけて――(ガタガタガタガタッ)」
「虫、コワい」
一息と共に喧騒に目を向ける…あまりの難易度に憤慨する者、負けて尚勝ちを模索する者、恐怖に身を震わせる者…その場に居た生徒の全てが互いに知己と、或いは周囲の他者と目的の為に合一し、討論と却下を繰り返していた。
「流石にあのサイズのゴキブリはキツイよねぇ……師匠も容赦無いなぁ…知ってたけど」
その光景を、心底愉しげに鑑賞しながら、優雅に紅茶を嗜むその白衣の青年の姿を呆れた様に見つめながら、黒乃結美はふと、校舎側に向かう一人の人影の姿を捉え、小首を傾げる……。
「……椿ちゃん?」
其処には、己の友人で有り、同じ師を持つ己にとっての妹弟子で有る春野椿が、一人…校舎へ通じる通路へと足を運んでいた…。
「…ちょっと付いて行ってみよ!」
「……」
その光景に思い立ち、少女は駆ける…その光景を白衣の青年はチラリと見つめ、やがてその視線をまた喧騒の内側に戻すのを、誰一人…気付いた者は居なかった。
○●○●○●
「つーばきちゃん!」
――ギュッ――
「キャッ!?」
不意に背後から来る衝撃、何かに抱き着かれ、予想すらしていなかった声に肩が跳ねる…反射的…そう、反射的に顔は背後を向き、その姿を認識すると驚きに満ちる心臓の鼓動が幾らか落ち着いた。
「結美ちゃん…!……びっくりしたぁ〜…」
「ニッへへ…ゴメンね?…椿ちゃんが何処かに行くのが見えてたから、着いてきちゃった!」
其処には私の友人、姉弟子…そして私が尊敬する魔術師の一人…黒乃結美ちゃんが眩しい太陽の様な笑顔を浮かべ、いたずらっぽく笑う。
「ねぇねぇ、何処に行くの?」
「えっと…ちょっと先生の実験室に…」
「師匠の?…忘れ物?」
「ううん、違うよ…ちょっと〝呼ばれ〟ちゃって」
「???……〝呼ばれた〟?」
そんな彼女の疑問に答えながら、私は階段を登る…朝日が登る校舎の中は、窓から差す光で明暗を作り、人の気配がしない校舎の中を二人だけで進むのは、少しの恐怖心と未知への興味が掻きたてられ、胸の奥がむず痒く感じる。
「今更だけど、校舎に入って良かったの?」
「大丈夫、ちゃんと先生に伝えてあるし許可も貰ったから…休憩時間の内は好きにして良いって」
「ご飯も食べられるかな?」
「それは流石に……」
彼女の自由な発想に、流石に否定しようと口を開く…しかし、彼女の言葉にあの先生がどんな事を言うのかと想像した時、ふとその口から声は消える。
『早弁か…それも良いねぇ、栄養摂取は大事だ…特に運動はカロリーの消費が大きいからね、許可しよう!』
「「……あり得る」」
あの先生の、他の先生とは違う〝自由さ〟と他者に測れない価値観の独特さは…本来ならば否定されよう物事ももしかすればと否定出来なくなる様な気がして、思わず二人して苦笑いを浮かべてしまう。
そうして会話しながら、辿り着く…他と比べ明確に〝旧式〟と思われる引き戸を引き、私達は無人の研究室に足を踏み入れる――。
――ガラガラガラッ――
「お邪魔します」
「おっじゃましまーす!」
返ってくる事を期待せずに、しかし他者の領域に踏み込む礼儀として告げる言葉、本来それだけで済むはずだったその儀礼はしかし。
――パサッ――
「ん…どうぞ〝黒乃結美〟、〝春野椿〟…入室を許可する」
「「……へ?」」
予想外な〝第三者の返答〟によって、私と結美ちゃんはを困惑に硬直させる…。
「うーん……やはり各位にはそれぞれの属性に特化させた魔力回路を刻む事を提唱しよう…そちらの方が有事の際の対応にも、研究も捗る――」
其処に居たのは、無数の植物を駆使し…空中で脱力しながら書物を読み耽る〝白髪の少女〟…その儚げで気怠げな姿とは裏腹に、少女はその口から小さな言葉の雨を垂れ流している。
「―――誰!?」
「?……気にしないで良いよ、ぜ――…〝孝宏〟から話は聞いてるから安心、安全…私は何もしない、何も語らない…空気に置物、漬物石」
その少女へ、結美ちゃんが驚きに満ちた問いを投げると、少女は視線を移すこと無く私達の言葉へ答えて書物を読み漁る。
「あの…孝宏先生のお知り合いなのでしょうか?」
「うん…知り合い、知り合いだね、血縁とも言えるかも…兎も角〝孝宏〟の知り合い……それよりも急いだらどう?…もう三十分も無い筈、次の訓練ではより深い思考を求められる、あまり脳のリソースを使い過ぎない方が良い」
その謎極まる少女はそう言うと、己の下に私達が潜る用の道を作り、窓辺の植木鉢へ導く……私達は未だ混乱するものの、彼女の警告に従って要件を済ませるべくその道を通る。
――コトッ――
「―あ、この子もう芽が出てる!」
其処には、あの春の日から私が毎日欠かさず世話をしている〝種子〟…植木鉢に埋もれた種の〝芽吹きの姿〟が有り、私は今日もこの〝子〟に魔力を送る為にこの研究室に足を運んでいた。
「それじゃあやるね……〝成長〟」
私は身体から己の魔力を流し込む……この子は他の種子と違い、私の魔力を良く食べる…私の魔力と相性が悪い訳では無い…この子はきっと、〝沢山の魔力〟が必要な子なのだと、私と先生は、そう結論を着けた。
この子の姿が何なのか…それはまだ分からないけれど、それでも私はこの子に〝愛情〟、〝愛着〟のような物を感じ、根気強く日々魔力を供給していく。
「――フゥ……コレで今日の分は終わり…」
そして、十分が経つ…魔力を多く与えた所為か軽く目眩がする…すると、ふと周囲の蔓が私を囲い、その蔓に何かの薬瓶が掴まれ、私の前に運ばれる。
「コレ、魔力消費が厳しいなら使って……私が考案した魔力回復薬……フレーバーは〝青汁味〟…キャッチフレーズは〝苦い、もう一杯〟……来月中期より各企業共同で販売開始…一本330円…お楽しみに」
「まさかの宣伝…!?……って言うか売り物なの!?」
「うん…孝宏名義での提携…他の魔力回復薬は苦すぎる…味は使用速度に関わる、〝良薬口に苦し〟といっても戦闘中は致命的、お爺ちゃんには分からない、頑固者、懐古厨め」
((凄い罵倒…))
私達はその謎めいた少女の口から奏でられる不思議な言い回しに内包された毒に苦笑いを浮かべる。
――ペキッ――
「――苦……でも、美味しい…本当に青汁みたいです…」
「青汁美味しいよねぇ…お爺ちゃんが良く〝回復薬も青汁味に成らんかねぇ〟ってボヤいてたし…今度買ってみようかな?」
「ッ!……なら、特別…1ケース(一瓶250ml30瓶入り)を郵送して上げる……そして嵌まれ、嵌って金づるに成るが良い、コレが先行投資」
「本当に!?……やったー!――でももうちょっと本音を隠そうよ…」
「あはは…」
そんな風に私達がその少女と話していると…ふと、私達が身に付けている装備から、声が響く。
『休憩終了まで残り〝10分〟だよ、諸君…そろそろグラウンドに集結する様に』
「ッ!…もうこんな時間?…椿ちゃん、戻ろっか…」
「うん、そうだね……あ、でも」
私はその通達に戻ろうとし、その少女に質問する。
「あの、貴女の名前は何ですか?」
「……〝メモリア〟…〝記憶〟の捩り…〝思い出〟の意味を込めた名前…そして孝宏の知人で有り、薬剤界の超新星…宜しく」
「宜しくメモリアちゃん!」
私はそうして結美ちゃんに手を引かれて退出する…そうして、謎めいた様で少し癖の強い少女との初邂逅を終え、グラウンドへと戻るのだった…。
「後…新しい顧客に忠告、警告、アドバイス」
「「?…」」
「孝宏は意地が悪い…ちゃんと警戒して、疑わないと駄目」
少女のアドバイスをその胸に抱いて。
「……記憶で見た者よりも、ずっと〝面白い〟……〝全知〟が気にかけるのも分かる…」
――『―――』――
「うん……君が育てばいよいよ、あの子の化けの皮が剥がれる…だから焦らない…君はちゃんと自分の成長に集中する…良い?」
『………』
「良い子」




