夜に煙る鬼の影
――ゾオォォッ――
「〝妖杖〟――〝人骨無上〟」
「〝邪異巻〟――〝狂天災絵巻〟」
悍ましい、血と腐肉と死の臭いがこの異界に満ちる…。
「――ほほう…成る程、今までのは本気では無かった訳だねぇ…?」
私は以前にも増して増す興味に揺蕩い、彼等がその身に起こした変化変容を殊更細かに記録する。
「〝解析〟……比較するに通常時の〝3倍〟…いや、コレが本領ならば或いは私の捕縛と言う目的が為に抑圧していたと考えるべきか…ともあれ成る程、無手で〝脅威〟、〝得物〟掛けるに〝災厄〟か…これは不味い」
(持ち主との〝同調〟…〝付喪神〟の類いかぁ…百年の時を経て未だ維持された装具、物が産み落とす〝自我〟…推定するに千年モノ…どれだけ血と肉と死を啜ったのか、並々ならない〝殺意〟だねぇ…全く)
――クゥゥゥッ――
「〝腹が空く〟事この上ないねぇ…本当に」
此方がどれだけ苦労してるか知らないで…まぁ当然か。
「しかし…成る程、本格的にコレは私の手に余る」
倒せないかと問われれば倒せるが、流石にリソースの無駄遣いか…うん。
「とはいえ、早々に手札を切ってくれると助かるねぇ…〝対策〟が立てやすくなる」
――ドゴォッ――
「『ッ―――!?!?!?』」
「フシィィィィッ、気張れやゴキブリ野郎ッ!!!」
――キィィィンッ――
「〝隠匿式〟――〝闇を歩む者〟」
私はそんな甘く魅惑的な血の匂いと瘴気の大瀑布に紛れ込み、その場から姿を消す…彼には囮に成ってもらおうか……。
●○●○●○
――何故?――
ソレは狂っていた…狂っていたが為に、ある種の〝冷静〟を得ていた…。
――何故?――
何に対しての疑問か…ソレは無論〝彼等の行く末〟…引いては〝彼〟の末路へだろう。
王として生まれた、民を導く者として生まれた、生まれるはずだったソレは、しかし生まれた時点で〝終わっていた〟…。
〝矛盾〟だった…己の生い立ち、その悍ましさはかつての己で有れば理解し得なかっただろう、かの創造主、そして憎むべき怨敵で有るソレの忌々しい〝力〟によって得た知識が、そんな無知蒙昧に知恵の瞳を与えた。
〝王として国の繁栄を担う〟…ソレに取り憑かれ、現実を直面する事のできなかった己の暗闇が晴れ、そして同仕様もない〝無人の荒野〟に独り立つ…気付いたが為にソレは〝絶望〟を知ったのだ…。
民を導く者で有りながら、〝全ての民を贄とせねば生まれられない〟、〝国を繋ぐ者で有りながら、生まれた時点で国は滅びている〟…絶対不変の〝矛盾〟…悍ましい悪意の〝果て〟…我々の生命はこの程度の物でしか無いのか?…。
『――ソレが〝生存競争〟だろう?』
脳裏に現れるソレは、その薄ら笑いを此方へ向け、乾いた眼で我を見る…何が生存競争な物か、コレは理不尽だ。
『否、コレも立派な生存競争だとも…君達は我々との戦いに敗れ、滅びる…遍く生命がその〝二択〟を奪い合い、蹴落とし合うのがこの世界だ、より優れた生命が、より〝適応〟を為した個体が…〝繁栄〟を繋ぐ…君達はソレに敗れただけの事さ』
ならば何故、我等を未だ地獄に押し込めるのか?…。
『君達妖魔が人間を〝食糧〟と見る様に、我々も君達を〝糧〟と見ているだけさ、簡単な理屈だろう?』
否定する、否定する、否定する……己の問いを尽くソレは否定する、不愉快で、不条理で、何処までも不平等を肯定するその姿に、怒りが沸く。
ソレが〝不条理〟を是とするならば良いだろう、理不尽を是とするならば構わない、不公平、上等だ…ならば我はソレを否定しよう、遍く全てに平等に〝破滅〟を…〝滅び〟をくれてやろう。
………何故だ、何故、何故何故何故何故?…。
『――考えるも明白で有ろうさ、〝最後の帝〟…君の主張が彼の主張に負けただけの話だ』
「死に晒せや〝害虫〟ガアァッ!!!」
眼の前に死が迫っている…逃げ場も無く、目前に迫る死を前に、我は言う。
こんなの理不尽だ…と、しかしソレを脳裏のソレは否定する。
『何処までも君は愚かだねぇ、道理を知らない…歩む道に茨が有るのは当然だ、傷つかぬ者等居るものか…君はただソレに膝を折っただけだ…ソレに、君だって既にその〝理不尽の輪の中〟だろう?』
何を、我はまだ何も成していないだろう、ただ奪われていただけだ、国も、民もッ、世界も!…自由さえもッ!…。
『――遍く全てに〝滅亡〟を…即ちソレは無垢を拒絶すると言う事だ、君に害を為していない一切合切すら滅ぼすと言う事だろう…君のソレは〝八つ当たり〟だろうに…随分とまぁ正当化の上手い事だ』
黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れェッ――死ねん、このままでは死ねんッ、民の為にも、我等の怒りを、復讐を遂げねばならんのだ――
――メキッ――
鈍く奔る……その痛みに、己の姿を幻視する…見るも無惨なこの姿、最早死体でしか無いその姿、最後の生者で有る己の顔に、その棍棒は減り込み、肉組織を潰しながら突き進む。
『――本当は〝妬ましかった〟んだろう?……可哀想な〝蟲の王子〟君?』
そんな中で〝夢〟を見た……何千の民が傅く様を見下ろす己の姿を…その光景が…〝事実〟だった。
そうだ、妬ましいのだ…己が手に入れられなかった未来を持っている者達が、己が手に入れる筈だった栄華を誇る〝生命〟達が…同仕様も無く妬ましい、妬ましくて〝憎い〟のだ…。
『――そんな憎しみすら、君は利用されたのだ…我が創造主は心底に〝恐ろしい〟事をする…我が〝兄弟〟ながら同情の極みだねぇ…』
薄れ行く意識の中…その〝男〟の様な姿は、その手の一枚の黒い…〝世界へ口を開く黒い蛇〟の札を見せびらかし、恭しく礼をする。
『さようなら、〝憐れな蛹〟…次はマトモに生まれられると良いね?』
その声を境に……己は、五感の一切を抹消し、微睡む闇に落ちて行った……。
○●○●○●
ピクリとも、動かない…蟲の死骸、妖魔の蟲、その王の骸が赤の大地に転がる。
「――フゥゥゥゥッ…!」
深い、深い息を吐く…肉体の躍動、心臓の鼓動…己が今し方成したこと、闘争の愉悦がジワリジワリと、綿に染み込む水の様に身体を満たす…その果て、命を奪うその〝残虐〟に悦を感じてしまうのは…〝鬼の性〟故か。
「コレで此奴は〝仕留めた〟のう…出来したぞ〝鬼鉄〟」
「応、おい緋弦…直ぐに撤収を――」
兎も角、強敵を倒し終えた…ならば残る事は撤退だけ…そう思案し二人は、この場に唯一残る仲間へと目を向けた…その視界の先には――。
――ドスッ――
「――ガフッ…!?」
「〝破却式〟――〝紐解〟」
胸を刃に貫かれ、その口から血を吹き出す少女の姿だった…。
――パキンッ――
異界が罅割れる…空は正しい〝夜空〟を取り戻し、月が月光を大地に注ぐ…その冷たい静寂の中。
「ッ緋弦――」
――ドスッ――
――ドスッ――
「「――ガァッ…!?」」
「……フゥッ…図らぬ成果だねぇ」
水面に揺れる波紋の様な、不穏を煽る様な蠢動が夜影に起きる。
――ズブッ――
「……〝生きた鬼種〟が四人、〝生け捕り〟とは僥倖だ…うん、コレなら喪った貴重品と差し引き大きくプラスといった所かな?」
地に伏せる3匹の鬼を見下ろしながら、その男は何時もと変わらない薄ら笑いを浮かべ、乾いた瞳にギラついた輝きを浮かべ上機嫌を振る舞う。
「――さて、手早く〝保管〟しよう…死なれるのは困る――」
そして、その手を地に伏せる瀕死の鬼達へ伸ばした……その刹那。
――スパンッ――
「―――ッ!」
その男の手が〝飛ぶ〟…小気味良い、勢い良い何かを切り裂く音を響かせながら…ソレは今尚地に伏せる鬼からの者ではなく。
――ガッ――
「〝連れて行け〟」
今し方、鬼達掴み跳び消える巨鬼達…ソレに命令し足止めの様に此方を向く、一匹の黒い鬼の美青年からの〝攻撃〟だった……。
「あぁ……私のサンプルが…!」
「悪いが貴殿にくれてやるには惜しいのでな、回収させてもらう」
「………ハァッ…うん、良いよ、良いとも…思わないハプニングから予想外の成果、貴重品を一個浪費したのは苦しいがソレ以外は概ね満足行く物だ…血液のサンプルは採れたし…何よりも一番の収穫は……〝君達〟が〝私〟に執心である事実だ」
「ッ……」
切り飛ばされた腕を振るい、ヘラヘラとそう言う男に、その青年は顔を顰める…本来流れる筈の血液が一滴も垂れ落ちない、その不自然な腕の異様に…そして、その男の乾いた眼の先に有る、悪意とも善意とも似つかない〝好意〟を見て。
「……抵抗せずに付いてきて「おっと、もう潮時だよ青年鬼君」……クッ!」
そしてその次の瞬間、青年はその肌身に感じる、迫りくる膨大な魔力に眉を顰めるとその鞘に刀を収め、男を一瞥する。
「貴殿は、やはり此方側か…」
「また逢おう…〝今度は逃さない〟よ?」
そして、まるで虚ろの夢が如く、その存在感も魔力も何もかもを消し去り、その場から消失する…そして、その男はその薄ら笑いを絶やさないままに、空を見上げて口を紡ぐ。
「やぁやぁ、お早い到着で…〝字波君〟」
「…洗い浚い吐きなさいよ、孝宏」
「おいおい、それじゃあ私が罪人の様じゃないか…今回ばかりは被害者だよ、私は…」
其処には彼の最も良く知る、美の女が…その目を鋭くして男の方を射抜いていた。




