悍ましき帝の獣よ
――ボトッ…ボトトッ…――
その姿は、黒い泥の様な粘液を帯びた姿だった…。
――ズルッズルルゥッ…――
その生命は、這う様にその身体を前へと進ませ…闇を覆う黒い霧の中から、無数の眼と百を超える脚をカタカタと這わせてその姿を暗闇より晒す。
その姿形を一目見て表現するならば……それは〝醜悪の権化〟と言うべきだろう。
「何だ…コイツはよぉ…!?」
「何と強力な気配を…」
ソレは黒い泥の様な、生臭く、呪詛を帯びた…母の生水の様な物でその身体の大半を覆い隠し…しかし時折覗くその中身は、真っ当な生命のモノとは決して言えない程に悍ましい姿をしていた。
「〝生きながらに死んでいる〟、〝生まれながらに滅びている〟、〝生まれるはずの無い赤子〟、即ちソレは〝有り得ざる矛盾の果て〟…コレは〝汎ゆる者に拒絶された〟…〝拒絶され、しかし望まれた皇帝〟…何百の蟲が、何千の生命が…死にながらに女王の供物と成った…女王はソレ等の〝意思〟を内包し、腹に入れ混ぜ〝彼〟へ注いだ…即ち彼こそは〝滅びゆく生命〟の〝集約〟…〝死の肉を持つ最後の皇帝〟…しかし、その生誕は〝拒まれた〟…だから、その拒絶を〝彼〟は〝拒絶〟し、私の〝切り札〟がソレに応えた」
体液を散らし、生やし、その泥の身体を震わせて撒き散らす…その泥からは無数の蟲の様な形状の何かが蠢いては消えてゆく…。
「私の切り札…〝蛇の御霊〟に手を加え…変容し、新生し、〝定着〟した文字通り〝鬼札〟…手にした者に力と災禍を齎す〝禁忌の魔道具〟」
そして、その身から放たれる力の奔流は
「〝嫉妬の黒札〟――与えるは〝嫉憎の心臓〟…〝生命への妬み〟…変容せし皇帝…〝反生の皇帝〟…名も無い君へ名を与えようか―」
黒く長い…蛇の様な姿をしていた様な気がした…そんな力と恐ろしい異形を持った獣を見ながら、その生命の創造主はその言霊を獣へ向け…そして〝名を与える〟
「〝滅亡の皇帝〟――識別名〝継脚複合蟲〟…〝真名授与〟…〝ロヴィ・セクト〟」
「『Gigigigi…!!!』」
その言葉にその獣は一際高く鳴き、その身から放つ瘴気を更に濃くする…。
「――さぁ滅びた蟲の最後の帝、眼の前の鬼を仕留めたまえ」
「「「ッ…!」」」
「『……』」
そして満ちる闘争と緊張の空気に、3匹の鬼が冷や汗を流しながらも構える……そして。
――ブンッ――
「――ん?」
「『Giggigisyaaa!!!』」
その獣は眼前に立つ眼の前の〝創造主〟を前足で蹴り飛ばして叫ぶ…まるでその男を強く憎しむ様に…。
●○●○●○
――ドゴォッ――
岩の壁に衝突する、身体が岩の壁を凹ませ、亀裂が奔ると同時に私の身体が受けたダメージをフィードバックさせる……何が起きたのか?…考えるまでも無く私のミスだ。
「――ゴフゥッ……そりゃあそうか…君からすれば私は君の一族を滅ぼした〝仇敵〟な訳で、支配したのは彼等であって君じゃない…私の切り札が君に〝知恵を与え〟…君は〝自立思考〟を獲得した…成る程、彼等と手を組み私を殺す事がベストと考えた訳だ…流石私の発明品、中々の性能だ…!」
刻まれた〝支配〟の呪詛は思考を持たぬ彼等に合わせた低レベルの代物なのも問題だったか…だがまぁ良い。
「――だが残念ながら、この程度の事は〝許容範囲〟だ」
発明品の試行は研究者の義務、当然コレも計算に入れているし、何よりも〝安全装置〟は取り付けている。
「〝主の権能〟…〝凶暴化〟…君の〝自我〟を取り除く、理性を消し君達妖魔が持つ本来の〝獣性〟…飽くなき〝闘争本能〟と〝殺意〟を残す…さぁ、殺し合ってもらうよ諸君…是非私の検証に協力願うとしよう」
私は様態を変化させ、その身体から止め処なく溢れる瘴気と殺意に叫ぶ〝蟲の帝〟と彼等へそう言い、その場から離れる…その瞬間。
――ブブッ――
耳に残る、不愉快な蟲の羽音と同時に。
――ズドオォォンッ――
地面をも打ち砕く、凄まじい破壊の音が視線の先から響き渡る…。
「――さて、少しハプニングは有ったが問題無く状況は進行中…後は彼等が疲弊するか倒されるかすれば楽で良いのだが…ふむ」
(狙うなら…やはりあの鬼だな)
私は離れた場所から、激闘を繰り広げる彼等を観察し…思考を巡らせる。
「兎も角まだ、動くべきでは無いね…〝黒札〟を妖魔に投与する場合どうなるか…既に記録は有るが、サンプルは多い方が良いし…何よりも強力な妖魔相手に何処まで渡り合えるかも見ておきたい…フフフッ」
全く…この期に及んで衰えない己の〝性〟に我が事ながら呆れるね…。
○●○●○●
――ゴゴゴゴッ――
「〝潰れろ〟…!」
土塊が蠢き、無数の手を形成しながら巨大な蟲の妖魔に肉薄する。
「『ッ―――!!!』」
それは押し潰さんとソレに迫る…そしてその姿が土塊の〝握撃〟に覆い隠されたその瞬間。
――ドシャアッ――
「硬ッ――」
「――馬鹿ッ、止まるな!」
土塊を砕き、悠然と現れるソレと鬼の少女の目が有った…その瞬間、少女を掴んで放り投げた鬼の男の身体がその場から消える…。
――ドゴォッ――
「ッ……何て速さ…!?」
其処には、先程まで彼方に居たその蟲が己の元居た場所を踏み砕き、その視線を〝向こう〟へ向けて佇んでいた。
「――ガハッ…!…クソッ…ヤベェッ…」
その視線の先には、己を庇い蟲の足蹴を喰らって動かない、鬼の男が血に塗れながら蟲を見ていた…。
――ブブッ――
再び、蟲がその羽音を響かせる…その視線を瀕死の鬼へと注ぎ、その身体を駆動させ…その場から消えた――。
――ズガッ――
そして、〝鬼鉄〟は…その赤濡れた眼に見る…一瞬の一瞬、その場から姿を消した、恐ろしい敵の、その生命を狩り取る様な爪が己の直ぐ首へ振り抜かれ……そしてなにもない空中で、何かの壁にでも阻まれたかの様に止まる〝狩猟者〟の姿を。
「――〝千本針〟!」
そしてその直ぐ横から響く声と同時に響き渡る蟲の絶叫を聞き…己に何が起きたのかを悟る。
「〝黄蓮〟…〝艶莉〟はどうした…!」
「結界の外じゃ…しかし不味いのう…斯様な化物を持っていたとは…コレでは生け捕りも敵わんぞ…」
「ッ―――仕方ねぇか…オイ爺…〝捕縛〟は諦める…一旦退くぞ」
「……うむ、だが退くには此奴を処理せねばのう」
――ドゴォッ――
結界に阻まれた蟲を殴り飛ばし、鬼鉄はその身に妖力を纏う…。
「『ッ―――!?』」
「…〝剛棍〟…〝鉄喰鬼赤丸〟…応よぉ、俺様をボコボコにしてくれやがった虫螻ァ、磨り潰してやらぁな…!」
そしてソレに釣られるように、残る二匹もその妖力を昂らせ…その手に得物を持って巨大な蟲の皇帝にその殺意を向ける…。
その膨大な魔力が渦巻く内界の悲鳴が…この夜の一幕の終わりが近い事を、雄弁に語っていた……尤も、その悲鳴を聞く者等、唯一人を除き、存在はしていなかったが。




