蛇の女王と蝙蝠の般若
――カチッ…カチッ…――
さて、唐突だが諸君に質問しよう…睡眠に於ける〝夢〟とは何ぞや?…と。
「『さて……それでは情報の精査を始めようか』」
ソレは即ち〝記憶の整理〟で有る…覚醒時に起きていた出来事、見聞きした知識、体感した現象の記録を〝整理〟する現象の事で有る…少なくとも〝科学的〟にはそうなのだ。
――ズラッ――
「『さて、今回の記録は……〝黒縄妬蛇〟の能力データ、〝呪術〟知識の更新、〝■■〟の試運転結果……と』」
さて、そんな前置きはさて置いて…私は白亜の世界にズラズラリと並んだ〝本棚〟へ一つ一つの〝記憶〟を差し込んでいく。
――ドクンッ――
「『さて…記憶の固定は済んだ…しかし、夢だと言うならこんなアナログな手順を踏ませる必要は無くないかね?』」
こんな殺風景な空間で何が悲しくて一人本棚に本を差し込まねば成らないのか…。
――グワンッ――
「『おっと……思っていたよりも〝覚醒〟が早いな』」
そんなこんなとどうでも良い事を考えながら夢の中で〝本〟の整理をしていると、ふと己の身体が薄れてゆくのを感じる…どうやら〝肉体〟の目覚めが近いらしい。
「兎も角先ずは〝情報共有〟と……〝黒縄嫉蛇〟の〝思考回路〟を調べるとしようか」
映像データはちゃあんと〝記録〟しているし、ソレを見てから動くとしよ―――。
〜〜〜〜〜〜
――カッ――
「……眩しいねぇ」
目が覚める…乳白色な…しかし清潔性をこれでもかと主張する様に傷一つ汚れ一つ見当たらない天井、壁、カーテンへと視線を移して起き上がる…其処は〝医務室〟であり、半ば寝ぼけ気味なこの脳髄が掘り起こす直近の記憶から、己が〝救助〟された事を理解する。
「――ふぅむ…今は何時だろうか――」
――ザクッ――
私がそう口に出し、時計を探さんと視線を動かしていた丁度その瞬間、私は〝己の右腕〟に感じた刃物を突き立てられた様な痛みに視線をやる。
「ふむ…成る程、かなり強力な呪詛みたいね…程度の低い呪術が離れていても継続する程の呪詛何て…一体どれ程恨みを買ったのかしら?」
「……貴女は」
其処に居たのは私の中でも特に〝強烈に記憶に残る人物〟…威圧的で、冷酷そうな切れ長の瞳に長髪長身スラリとしたスレンダーな肉体を持つ蛇の様な〝女性〟…〝蛇妃〟こと、〝毒島苺〟君…が、私の未だ拉げて捻じれた右腕にメスを突き刺し血を採取していた…注射で無く態々メスな所に彼女の〝加虐性〟が見え隠れするね。
「――〝蛇妃〟殿?」
「何?…今忙しいのだけど?」
「〝注射器〟と言う文明の利器を御存知でしょうか?…小さな穴の空いた針で血脈から血を採取する道具なのですが、採取効率はそちらの方が優れていますので、手配しましょ――」
――グシャッ――
「貴方、私を馬鹿にしているのかしら?」
私は眼の前の女性にそう言うと、その視線が此方を射抜く、気分はまるで蛙だ。
「おや?御存知でしたか…コレは失礼…しかし、成る程…救助に来たのは貴女でしたか」
「フンッ……えぇそうよ、〝紅月〟は日中だと短時間しか本気に成れないから、仕方なく私が来たのよ」
「成る程…兎も角、救助して頂いた事、感謝します」
「あら、殊勝な心掛けね…良いわ、受け取って上げる…それはそうと、貴方が起きるのを待っていた理由は他にも有るのよ」
「――〝黒縄嫉蛇〟についての情報の確保でしょう?」
〝蛇妃〟殿へそう言うと、彼女はその瞳を軽く上機嫌に歪めて紅色の口から〝称賛〟の声を上げる。
「へぇ?…やっぱり、頭が回るのね…えぇ、そうよ…調査補助の持っていた〝録画〟じゃ大した情報は得られなかった…大した判断よ、あのまま〝黒縄妬蛇〟の姿を写していたら多くの人間が呪殺されていたでしょうね」
「お褒めに預かり恐縮で――」
「さぁ、早く情報を寄越しなさい」
「承知しました…では」
私はそう言い、彼女に口頭で〝アレ〟の情報を伝える…しかし〝深く〟は伝えない…〝呪術〟関連の情報伝達は極めて慎重に気を使わねば成らない…何かの弾みでうっかり口を滑らせてしまえば、其処から呪術が発動する事も珍しくないからである。
「……成る程、そこそこの〝獲物〟なのは理解したわ」
「えぇ、私が相対した〝状態〟での勝負ならば〝蛇妃〟殿の相手には成らないでしょう…しかし、アレが隠れ潜むように動いていると言う事は、まだアレが〝完全に力を取り戻した〟と言う訳では無い事の証明だとも考えられる」
「……なら、叩くなら今の内かしらね」
其処で彼女は黙考する…恐らくは〝追跡〟しアレを討滅しようと思案しているのだろう…だが、現状の問題点としてアレは隠密が上手い、妖魔が活性化する夜の間ならば字波君でさえ見逃してしまうだろう…となれば、追跡は困難だろう――。
「〝通常の手段で有れば〟…先ず〝追跡〟は不可能だと見て良いでしょう」
「……何か策でも有るのかしら?」
私の含みを込めた〝発言〟に気付いたらしい彼女はそう言いながら私を見下ろす、流石一流の魔術師、察しが良いのは助かる。
「呪術は〝縁〟を遡る術理で有り、その縁を辿り血を、魂を蝕むのが呪術の〝本質〟…ならば、〝呪術〟に於いてこの日本一と言えるだろう貴女ならば、〝コレ〟さえ有れば何処までも〝追い立てる〟事は可能でしょう♪」
私はそう言いながら、虚空に〝ソレ〟を取り出し、彼女に見せる…。
「ッ……コレは…」
「〝黒縄妬蛇〟の〝右腕〟です……アレが逃げる直前に少し無理をして〝確保〟しました…元は人間の物とは言え、それでも〝アレ本体の血肉〟となれば、十分な〝縁〟と成るでしょう」
「…フフッ、フフフフフッ♪……そう言うことね♪」
私が暗に伝えるその〝意図〟に、彼女はそう陰悪に、妖艶に笑みを作り私の手から〝右腕〟を受け取る――。
――ギッ――
「―〝気に入った〟わ、貴方の事…♪」
そして受け取ると共に私へその顔を近付けて耳元で囁やくようにそう〝言う〟…それはまるで蛇の様に〝靭やか〟で、その美貌に違わぬ蠱惑的な雰囲気を醸しながら。
「――何を、〝ヤッてるのかしら?〟」
不意にその時、部屋一室がまるで吹雪にでも遭ったかの様な冷たい極寒の雰囲気に染め上げられる…その声に我々が視線を向けると、ソレはもう冷たい…〝氷〟どころか液体窒素もかくやと言う〝氷点下〟以下の視線で我々を見咎める〝字波君〟の姿が有った。
「私の〝部下〟に何をしてるのかしら?…〝蛇妃〟?」
「あら?…優秀な〝魔術師〟と〝交流〟していただけだけど?…ねぇ?…〝孝宏〟?」
そして始まる〝二人の掛け合い〟…渦中に居る、それも病人の私には堪った物じゃないが。
「――〝蛇妃〟殿に救助され、情報の共有をしていただけですよ、理事長…それに御二方、〝気を鎮めて〟下さい…周囲の方々に迷惑でしょう?」
「……そう…良いわ、後でじっくり〝お話〟を聞かせてもらうわ、〝ナニを〟、〝シていたのか〟」
「ウフフッ、随分と嫉妬深いのねぇ……まるで〝蛇〟ね……フフッ、それじゃあ〝孝宏〟…〝また後で〟――あぁ、それと――」
二人を窘め、字波君と〝蛇妃〟殿の諍いが終わろうとした丁度その時、医務室を退出する前に、〝蛇妃〟殿はそう言い、私の腕を見て笑い――。
「〝直して〟上げる…〝情報〟の御礼よ?」
――ベキベキベキッ――
――グシャ、グシャグシャッ――
そう言い退出する…その彼女の言葉とほぼ同時に私の〝捻じれた腕〟はまた〝捻じれ〟、血肉を掻き分ける痛みを伴いその姿を見慣れた〝元の腕〟に戻す。
「ハァッ……敢えて〝この直し方〟をする所に彼女の〝底意地の悪さ〟が見えるね」
私はそう言いながらため息を吐き…そして。
「さぁ、それじゃあ〝説明〟してもらおうかしら?……〝孝宏〟教授?」
眼前で怒気怒気沸く沸くな、〝般若〟を背に宿した様な美女を見て、また溜息を吐く…。
「〝鬼違い〟だろう…君」
そして、私は凡そ6時間に及ぶ〝詰問〟にその身を晒される事と成るのだった……災難此処に極まれりだな、全く。




