種に水、花に肥やし
――ガラガラガラッ――
「ッ…こ、此処で有ってる…よね?」
一人の少女が扉を開く…その音と生命の気配を感知したのか、暗がりに光が差し、ある男の〝領域〟はその姿を表す。
――ポタッ…ポタッ…――
其処には、蒸留器具から滴り落ちる〝淡い緑色〟の液体が瓶に詰められ。
――ズラッ――
壁一面に丁寧に纏められたファイルや書物の棚が有り。
――グニャ、グニャ…――
窓辺の机には、植木鉢から生え並ぶ…遠巻きに見れば可愛らしい、近くで見れば〝恐ろしい〟…如何にも肉食ですと言うような牙が生えた、〝食虫植物〟の定義を間違えたとしか言いようの無い〝植物〟達が並んでいた。
「……凄い…」
その研究室に足を踏み入れたその瞬間。
――ヴヴンッ――
『ふむ…〝本体〟の予測通りに到着した様だね、ようこそ〝春芽椿〟君、私の研究室へ』
「ッ!?」
その少女…〝春芽椿〟の眼の前に突如〝老人〟が現れる…その突然の状況に、春芽椿は驚きながら、恐る恐ると声を掛ける。
「あ、あの…私、〝孝宏教授〟のお願いで来たのですが…」
『うむ、〝本体〟から聞いているとも…済まないがその〝壺〟を其処に置いておいて欲しい…生憎私は〝霊体〟の様なものだから触れんのだよ』
「は、はい…分かりました」
その老人が取り敢えず敵意を見せないと言う事で一旦冷静になった椿は、その言葉に従いその手に持っていた〝壺〟をその机に置く。
『ふむ……本体が戻って来るまでまだ時間が有るか……良し、少し此処で寛いで行き給え…紅茶、珈琲、ジュース…どれが良い?』
「え?…あ、それじゃあ…林檎ジュースを…」
『了解した、其処に座ると良い…』
その老人はそう言うと、少女に背を向け扉の中に消える…ソレを見送ると、少女はその視線を窓辺に移して〝此方を見る〟植物達へ手を伸ばす。
「!…ッ―――?」
「ッ――!!!」
「ッ―――♪」
その手へ、植物達は最初警戒する様に見ていたが、やがてその手へ軽く触れると敵意が無い事を理解したのか他の植物達も少女にその蔓を伸ばしてゆく。
「フフッ…ちょっと、こそばゆいな…」
椿はその植物達が自分に懐いてくれた事に微笑みながら、〝猫の様に〟人懐っこく己と戯れる植物達を見守っていた…。
『……ほぉ、コレは初めて見る状況だねぇ?』
「ッ!?」
そしてソレを見守っていた老人の声に、椿はピクリと体を震わせてその老人の方を見る。
「あ、す、すみません…勝手に触っちゃって…!」
『いやいや、構わんとも…〝表〟に出してるものは誰が触っても問題無い物しか置いてないからね…はい、〝林檎ジュース〟』
老人はそう言い、〝手に持っていたコップ〟を椿へ渡す。
「あ、ありがとう御座います……アレ?」
椿はそのコップを受け取り…その違和感に小首を傾げ、そして老人の手を見る…もう片方の手には、コップが握られていた…そう、〝握られていた〟のだ。
「え、あれ?…も、物に〝触れない〟って…」
『――ハハハッ、気付いたかい?…確かに私は〝触れない〟とは言ったが…ソレが本当とは言ってないだろう?…フフフッ、いい年して人を誂うのが好きなんだよ♪』
そう言いながら老人は楽しげに笑う…その次の瞬間。
――ブンッ――
植物の蔓が鞭の様にしなり、老人の首を透過する。
『む?…ハッハッハッ、いや悪い悪い、そう怒らないでおくれ…ちょっとした冗談じゃないか』
「「「「ッ―――!!!」」」」
老人がそう言いながら植物達の攻撃を躱しそう言うも、ソレに対する返答は植物達の〝威嚇〟の様な声だけだった。
『おおぉ!?…一応君の育ての親だと言うのに随分と容赦ないねぇ!?…あ、不味い…一旦ストッ――』
そして苛烈になる植物達の攻撃に、老人はそう言い止まるよう言いかけたその瞬間。
――パリンッ――
老人の持っていたコップが割れ、中から深い緑の液体が植物達の方にぶち撒けられたのだった…。
『あ…不味ッ…椿君、悪いけど私は引っ込まさせてもらうよ、〝本体への言い訳〟は任せた!』
「ッえ!?――えぇ!?」
その瞬間、老人は其の場から直ぐに消え去り…植物達はその身に緑の液体を吸収し、〝加速度的〟に成長を始める。
――ベキベキベキベキッ――
――ギッシャアァァァ…!――
その姿は徐々に強大に、凶悪に変化し…その少女を大量の蔓が纏わりつく…。
「ッ…え、えっと、えぇ…どうしよう、い、一旦落ち着いて!」
しかし、少女はそう言うも成長は止まらず、部屋はあっという間に密林の様相を帯びる…そして少女が蔓に絡まれ身動きが取れなくなったその時。
「フィィッ…や、やっと終わった………はぃ?…」
その部屋の〝主〟が部屋の扉を開き…その光景にそう言葉を口にした。
「えっと…あの、コレは……」
少女は蔓に巻き付かれながら、そう言葉を濁す…その様子にその〝青年〟は沈黙し、そして状況を理解したのかため息を吐いて少女に言う。
「君が謝る必要は無い、私の不手際だろう…兎も角、〝彼等〟を早い内に剪定しようか…少なくともこの状況と君の状態を学生に見られるわけには行かない」
そして、青年はその指を鳴らし…密林のようだった室内を数秒で元通りに戻す。
――コトッ…――
「全く…悪いね〝君達〟…そして椿君、私の〝化身〟が迷惑を掛けた…詫びと言っては何だ…〝食べる〟と良い」
その青年はそう言い、今し方机に置いた色とりどりの〝果実の山〟から各種を手に取り、魔術でカットして椿の前に置く。
「安心し給え…この子達は元は林檎やグレープの種から改造した〝魔法植物〟だよ、毒性は無いし、以前の品種よりも上品な味わいだ…それでも、成長薬の影響で多少味は落ちるがね」
「……」
「ん?……あぁ、成る程…やっぱり〝狡知〟が君の応対をしたのか…安心し給え、私はあれ程悪辣じゃ無い…と言っても証明しようと足掻くほど胡散臭さが増してしまうのだけどね」
そう言い青年はカットされた果実の一切れを口に運びながら、指を鳴らし…遠くのティーポットから紅茶を淹れる。
「さて…先ずは君へ…頼んだ通り頼み事を聞いてもらって感謝するよ」
「ッ!…いえ、そんな大した事じゃ無いので…」
「否、人に何かをしてもらったならば有り難うと感謝を示すのは当然だ…兎も角、この感謝は受け取り給え…そして、次に、君を私の研究室へ呼んだのにはもう一つ理由が有る」
そう言い、青年は紅茶を再度口に運び…少女の淡い茶色の瞳を見つめて言う。
「君…私の〝弟子〟に成らないかい?」
「……へぇ!?」
その言葉に、少女は目を丸くさせてそう…声を上げた。




