月無き夜の背信
――パチッ、パチパチパチッ――
揺らめくは正常の赤き炎、闇を跳ね除け円を描くソレは、その広間一帯に夥しく刻まれ、彫られ…その祭場と一体化した〝文字の群れ〟を薄く浮かばせる。
「――さて、さて諸君…夜だ、月の目の届かぬ夜、魔を従え、魔を諌め、魔を操る〝月の形〟が途絶えた……そして、我々の〝儀式〟の時が来た」
私は彼等へそう謳い、彼等5人を人の真ん中に立たせ、その眼の前に有る杯に酒を注ぐ。
「気休めだがこの酒を飲み給え、誰に捧ぐでも無い安酒だが緊張を解すには丁度いい」
私の言葉に彼等は杯を手に取り、飲み干す…それでも依然として、その顔から緊迫の念は途切れない…少しはマシに成ったがね。
――カチッ…カチッ…カチッ…――
秒針が巡る、12の天上に太く強い時の流れを示す針が鎮座し、ソレに追い付かんと長く細い針は砂の如く小さな時の針を操る。
「さぁ…さて…早速始めるとしようか……〝行くよ〟」
『ッ!』
その時の計測器を尻目に…私達はこの一夜一刻の〝儀式〟…その始まりを告げた。
――ゴーンッ…――
何処そこに教会でも有るのだろう、或いは私がそんな場所を祭場に選んだのか?…そこの所は問題では無い、大事なのはこの…新たな〝1日の開始〟を告げる鐘が――。
――カチッ――
図らずも、彼等が手にせんと求めた悲願、私が果たすべき契約の遂行を求める〝時の産声〟と相成った事だろう。
「――〝見定めるに主は居らず〟、〝見咎めるに代使は居ない〟…〝此処は清浄の庭〟、此処は〝聖人の地〟…〝悪に無き我、善に無き我〟…〝無我の天秤とし、我は問う〟〝彼の者達が世に足踏み入れしは誰ぞ〟」
「〝我等『信徒』に非ず〟」
「〝我等『正常』に非ず〟」
「〝我等『常人』に非ず〟」
「〝我等『唯人』に非ず〟」
「〝我等『無垢』に非ず〟」
『〝即ち〟――〝人に能わぬ者なり〟』
1つの声の後、5つの声が紡ぐ、1人の〝問い〟に5つの〝返答〟が言葉を紡ぐ。
「――〝人に能わぬ〟、〝神の庭を踏み荒らす者よ〟…〝蛮行にて求むるは何ぞや?〟」
「――〝憐れな異端に『救済』を〟」
「――〝愚かな咎人に『慈悲』を〟」
「――〝浅ましき蒙昧に『知恵』を〟」
「――〝欲する獣に『恵み』を〟」
「――〝病める病躯に『癒やし』を〟」
『〝即ち〟――〝魔に侵されし我等に『聖浄』を〟』
ソレは祝詞で有ると共に、彼等が永年抱き続けた心の叫び、ソレが聖域に木霊し、裁定の天秤で有る私の身に注がれる。
「――〝しかと〟…〝その応え、耳にした〟…〝なれど無法に与える慈悲は無く、愚者に与える赦しは無い〟」
そして私はそう紡ぎ、五つの杯に其々〝魔力〟を注ぐ。
「〝――対価には代償を〟、〝我は与える…愚かな獣〟、〝憐れな異端に五つの試練を〟…〝杯に注がれしは汝等に与えられし険道の旅路也〟」
――コトンッ――
破壊の力を持つマックスの杯には、煮え立つ赤き〝火〟の魔力を。
「〝身を滅ぼす暴人には身を滅ぼす熱泥の試練を〟」
――コトンッ――
空間の力を持つリリスの杯には玉虫色に満ちる〝空〟の魔力を。
「〝世界隔てる不遜には世を外れし無果の試練を〟」
――コトンッ――
人形の力を持つシェリーの杯には、脈打つ鈍色の〝土〟の魔力を。
「〝傀儡と絹の強欲には縫い付ける糸針の試練を〟」
――コトンッ――
異形の四肢の力を持つスーロの杯には、揺れ動き産きを上げる〝闇〟の魔力を。
「〝肉を継ぐ下劣には尽き果てぬ飢えと貪食の試練を〟」
――コトンッ――
そして…支配の力を持つライトには、鏡の様に彼の顔を映し出す〝無〟の魔力を。
「――〝隷属を強いる高慢には、反旗と不和の試練を〟」
五つの杯に五つの〝魔力〟が注がれ、彼等の前に並ぶ…彼等はソレを躊躇いがちに見詰め…固唾を呑み、手を伸ばす。
「――〝杯を飲み干せ〟…〝ソレが試練である〟、〝乗り越えし者には相応の対価を〟、〝乗り越えられぬ者には相応の末路を〟…〝2つに1つ〟…〝立ち去る道は最早無い〟」
我がそう紡ぎ、彼等を見る…彼等はその視線に目を向け…冷や汗を流して私を見る…そして。
『〝裁定者よ〟…〝その試練、承服した〟』
5人揃ってそう言うと、5人ともがその杯を両手に取り…その魔力を〝取り込んだ〟…。
――キィィンッ――
広間の紋様が激しく輝き、ソレが青く白い魔力と共に広間を包む…。
「〝祈りて不浄は消え行く〟」
「〝崇礼に主は恩赦を施す〟」
「〝清らかなる者に平穏あれ〟」
「〝穢らわしき魔は塩に帰せ〟」
「〝試練は此処に開かれた〟…〝聖庭よ、清きに紛れし不浄の蛆を白日に晒すが良い〟」
そしてその瞬間、蒼白い魔力が5人を包み込み…儀式はその顕現を終え、その力を振るう……。
「〝そして〟――〝全ては反転する〟」
……〝筈だった〟…。
荘厳に、厳粛に紡いでいた…如何に厳しくともそれには〝公平に〟と言う意思が有った…しかし、祝詞が紡がれ、遂に今儀式が終わらんとしたその時…その荘厳を打ち壊すように、酷く平坦な声が、無機質な冷徹が…彼等を包む蒼く白い、その清らかな魔力の――。
――パキンッ――
〝化けの皮〟を剥いだ。
――ドクンッ、ドクンッ――
蝕む様にへばり付く赤黒い魔力…ソレが5人を包む…。
「〝朱肉の柱〟、〝錆鉄の紋様〟、〝書き束ねし呪詛〟…〝廻り廻りて純化〟〝災う贄は此処に有り〟――〝清浄は裏帰り〟…〝不浄の蛆は此処に目覚めん〟」
人の魂を縛る縄…そう形容して可笑しくない赤黒い魔力が5人を包む…そして、ソレが彼等を悪夢の底に沈ませ様としたその時。
――ブンッ――
「――ふむ…驚いた…まさかまだ〝落ちていない〟とは」
「――どう言うつもりだ…とは…言うつもりは無い…」
「裏切った…のね……〝タカヒロ〟…!」
私の腕が前触れも無く〝落ちる〟…その術を、私は知っている…そしてそれ故に少し驚きを隠せない……何故ならば。
「――完全に肉体と魂を分離させる様、術を仕込んでいたんだがねぇ……アレかな…所謂〝火事場の馬鹿力〟……生命の危機に、肉体の制御盤が外れでもしたかね?」
確実に封じた筈の彼等の意識が、今際の際に…明確な敵意を放ち…剰え私へ一矢報い、私の腕を粉々に消し飛ばしたのだから。




