九の尾を持つ焔の巫女
――ゴオォォォッ――
揺らめく炎…黒い焔…熱だ、しかし不思議と熱くは無い。
「何が…起きた…?」
確か私は…あの時…。
「『目覚めよ、焔の狐よ』」
「『目覚めよ、我が怨嗟の器よ』」
「『目覚めよ、我が残滓さえ恐れさせる稀有なる者よ』」
「ッ――!?」
思考を巡らせようとしたその刹那…私の耳から脳髄に掛けて、ナニカの声を聞いた。
「ッ!?――何者だ!?」
私はソレの不快感に半ば混濁としていた意識を覚醒させ、叫ぶ様に問う…それに、揺らめく黒炎から〝ソレ〟は姿を表して応える。
「『応えよう、我が怨嗟の器』」
「『応えよう、我は分かたれし蛇の力』」
「『応えよう、我は妖の根源』」
「『〝妖〟が〝妖〟で有る以前の形…即ち〝悪意〟で有る』」
「ッ!?…馬鹿な…!?」
そう言って炎より現れたのは…〝私〟だった…いや、厳密には〝私〟では無い…〝偽物〟だ。
「『疑問に応えよう、我は爾の敵に非ず』」
「『疑問に応えよう、我が姿は偽りで有る』」
「『疑問に応えよう、我は姿無く、故に爾の写し身を摸った』」
そしてそんな私の疑問に気付いたのか、もう一人の私はそう言い、光の無い目で私を見詰め、無機質な声で淡々と情報を告げる。
「『爾に警告する、奴等は最早汝等を甚振るだけに非ず』」
「『爾に警告する、奴等は今や汝等を喰らう獣で有る』」
「『爾に警告する、爾の身では彼の鬼〝緋弦〟を討つ事は叶わぬ』」
その言葉はどうやら、私が此処に居る迄に起きた変化と、それに対する目の前の〝ナニカ〟の意見で有ったらしい…その言葉を聞き、私は目の前の私に問う。
「……取り敢えず、貴様の言う事は理解した、だが信用はしない」
「『爾を肯定する、それで良い』」
私はその言葉に些か拍子抜けし、目の前の偽物へと言葉を返す。
「だが、仮にその情報が事実だとしたならば私は恐らく死ぬでしょう…なので問う、貴方は何が為に私の前に現れたのか」
その言葉に、私の偽物は手を差し出し告げる。
「『我は提案する、我が〝力〟を爾へ与える』」
「『我は提案する、我が力と爾の力を〝融合〟させる』」
「『我は提案する、爾が生き残る術はコレのみで有ると』」
「……つまり、貴方は私に協力すると?」
「『然り、我を創造せし者に誓おう』」
「『然り、我が爾に仇なす事は無いと』」
「『然り、其れが今、我に与えられた役目で有ると』」
その言葉に少し考え込み…私は結論を出す。
今の私では、フレアの炎を扱うには弱過ぎる…しかしこのままでは確実に死ぬだろう。
「…良いでしょう、その契約を結びます」
この契約は〝悪魔の契約〟だ、契約を否定し〝死ぬ〟か、契約を受け入れ〝魂を売るか〟…そんな悪意に満ちた〝取引〟だ…それでも。
――ギュッ――
「『我が力を受け入れよ、〝焔の狐〟…さすれば我、爾の焔の薪と成らん…〝唱え〟、我は〝嫉妬の黒札〟…〝執怨の呪腕〟也…』」
私は土御門の長女だ、妖魔を祓い、人々の世を護る〝陰陽師〟の一族なのだ。
「『さぁ〝我が器〟よ…〝爾の黒炎〟の名を呼べ』」
己が身を顧み、保身に走る事など在っては成らない!…。
「――〝呪縁憑依〟…〝神使〟」
●○●○●○
――止めなければ――
己の目の前で揺らめく黒炎に、私はそう心に浮かんだ言葉を吐く。
「――〝押し潰せ〟…!」
――ゴゴゴゴゴゴッ――
己の前に揺らめく、その〝嘲り笑う炎〟を己が術理で押し込める…。
なのに、この〝悪寒〟は何だ?…分からないまま、ただ今目の前の其れが完全に〝潰される〟様を見届ける。
「させないわよッ、そんな事…!」
「ッ――無駄だ小娘!…貴様如きに我が術法を押し飛ばせるものか!」
黒炎の中から、己の術に抵抗する…緋色の小娘にそう言い、気持ちを急かし、黒炎を押し潰す……。
コレで脅威は去った…筈だった。
――ズドォッ――
「……は?」
瞬間、そう声が出る…背後から己の身体を撃ち抜く、その〝魔術〟に…その術式のあまりの〝複雑さ〟にも絶句する。
「……まさか、あの男の――!」
そして、その弾丸はその勢いのまま…飛翔する先の〝岩の塊〟に突き進み…砕けながら衝突した。
――ゴオォォォッ――
「――クソッ!?」
途端、抑圧から解き放たれた獣の如く吹き荒れる黒炎を見て咄嗟に身を退く…しかし、己の腹に空いた穴のダメージに数歩遅れ、その炎が身を掠める。
――ジュウッ――
「ッガァァァ!?」
ただ炎に触れただけならば何一つ問題無かった…〝ただの炎〟ならば。
「――〝天上より賜りしは密命〟、〝汚れ満世を焼き払え〟、〝浄せよ浄せよ〟、〝芥の如く〟、〝遍く悪を焼き払え〟、〝我は焔の狐〟…〝かの童子丸の血を引く者〟…〝烏滸がましくも我〟、〝偉大なる神使の縁を宿さん〟」
その炎は己の身体を食みながら、消えぬ炎となり我が身を蝕む…そして気付く、その黒々と燃える焔は、何時しかその〝怨嗟〟の鳴りを潜めて居る事に。
「――〝九重炎尾〟――〝葛葉狐〟」
そして、その噴き出す炎が粛々と響き渡る言葉に反応し、収束すると…其処には一人の少女の姿が有った。
「この…死に体で在った分際で…!」
その少女は白く汚れの無い巫女服に身を包み…その身体を人間と呼ぶには白すぎる、粉雪の様な真珠の様な美しい肌を見せ、その黒髪を揺らし…その背後に揺らめく〝黒炎の尾〟を揺らしながらその瞳に鬼を映す。
「――フレア、良く持ち堪えてくれた…まだ大丈夫?」
「――えぇ…主様、怪我は?」
「問題無いわ…さぁそれよりも急ぐわよ…この姿で居られるのもそう長くないわ」
「!…えぇ、分かったわ…!」
鬼の蹂躙に、人々は追い遣られる筈だった…しかし。
――ゴオォォォッ――
神の差配か、或いは人々が自ら起こした抵抗が末か。
窮地はその様相を僅かに変え始めていた…。
それを知るのは…空に浮かぶ〝月夜の女王〟と、それを見上げる鬼の長ともう一人。
「さて、このゲームは勝たせてもらうよ?」
その盤面を創り上げた…一人の知将のみであった事は、誰も知る由は無い。




