鬼の宴も酣に
「――私の生徒達を人質にし、私から拒否権を奪った上で一体何を望むのかな?」
「人質たぁ随分な言い草だな?…テメェからすりゃ〝人に紛れる為の玩具〟だろうに」
私の問いに酒吞は返す…その問いに私が少し沈黙すると、酒吞は酒を注いだ盃をまた傾ける…静寂で、平穏な筈の屋敷には、何時しか何処か不気味な雰囲気が渦巻いていた…。
「――私等の狙いは〝お前〟だ…あの〝黒蛇〟をブチ殺したお前が欲しい」
「私に〝妖魔側に着け〟…と?」
所詮は妖魔、人間と完全に共存する事等出来はしない。
「側も何も〝妖魔〟だろう?…あの西洋の鬼もお前も…本来なら〝人間の敵〟だったろうが…分かってんだろう?…〝テメェが何時か人と袂を分かつ事〟は」
そう言うと酒吞は私へ笑みを浮かべる…その笑みはやはり、妖魔らしく悪辣で狡猾で、あの蛇の様な悪意とは別に、人特有の〝小賢しさ〟を秘めていた…が。
「……だろうねぇ」
私はそう言い、彼女の言葉を肯定する…確かに私も字波君も…既に〝人間〟とは言えない存在になっている…ならば成る程、彼女の言いたい事も良く分かる。
「何れ〝我々〟は人間社会から追い遣られる、我々は人間社会から追放された後、妖魔側に属する事も出来ずに板挟み」
「そうだ…そうなったらお前達は〝詰み〟だろう?…妖魔からも人間からも追われる生活は例えお前達が〝捕食者側〟で有ろうと苦しいもんだ」
そして、そう言葉を続けながら…気が付けば私の耳元まで近付いていた酒吞は私に囁くように耳打ちする。
「だったらよ…私の所に居る方が〝断然良い〟だろう?…金も飯も酒も男女も、テメェの好きな様に使えるんだ…悪くねぇと思うぜ?」
成る程…やはり妖魔の長か、相手を籠絡する手法を理解している…頭も切れ、隔絶した戦闘能力を秘めているとは…本当に恐ろしい限りだ。
――フフッ…――
「――いやいや成る程……話は分かったよ」
「ほう?……で、結論は?」
私はそう言う彼女へ目を向けて、声を紡ぐ…考えるまでも無い…あまりに〝下らない〟要求に可笑しくて頬が緩む…。
「――〝否〟だ、私は君達妖魔の汎ゆる要求を否定する…何れ〝淘汰される〟?…だからどうした、そんな事は〝百も承知〟に決まっているだろう?」
明確に、彼等との握手を切り払う…合理的とは言えないだろう、人質を取られた上で妖魔側から見ればまたとない好条件だ……だが、御免だね。
「そうだ、そうだとも…何十年、何百年…或いは〝何千年〟か?…何れ彼等は〝我々〟を凌駕する…かつて傲る神々の寝首を掻いた偉大なる〝背信者〟達の様に、彼等はまた〝人間の世〟を取り戻すだろう…そんな彼等を〝助けたい〟と協力を選んだのが〝彼女〟だ…私はそんな〝彼女に雇われた〟…ならば彼女の〝立つ側〟が私が立つ場所だ、君からの内定は辞退させてもらおう〝酒吞〟君…何より私は、君達〝妖魔〟に…〝人間の様な価値〟を見出だせない」
心底から、そう思う…妖魔、鬼達は何処迄も〝刹那主義〟だ…消費し、壊し、〝生み出す〟をしない…そんな彼等に一体どうして〝価値を見出だせよう〟か?…。
「私を〝雇いたい〟のならば、〝人間〟を超えてから話を持って来る事だ」
私がそう言い、彼等の提案を蹴って背を向けると…酒吞の鋭い声が呼び止める。
「――成る程…つまりお前は私の部下には成らねぇと」
「その通りだ」
「…人間の側に立つと」
「その通り」
「成る程……成る程な」
――ゾォッ――
瞬間、この屋敷全体を寒気と呼ぶのも生温い〝悪寒〟で満たされる…凄まじい〝殺意〟と、〝敵意〟を剥き出しに…酒吞はその獣の如き野蛮な笑みを私へ向けて言う。
「ならば〝交渉決裂〟だな?…それじゃあ此方もやる事は〝単純〟だ……今から、テメェの教え子も、同僚も、テメェも一切合切〝ぶち殺す〟」
「……」
「――そういう事で良いんだな?」
交渉は決裂した、即ち私は今敵陣に孤立し、妖魔達の群れは彼女からの命で抑えていた妖魔の本能を解き放つと言う事だ…そして無論、彼女が動くともなれば私を一握に殺す事など容易いだろう………さて。
「――そう〝簡単〟に事が運ぶとお思いかね?」
正に理想的な状況だ、半強制に隷属を強要し、逆らえば人質を殺す…素晴らしく分かりやすい〝盤面〟だ…覆すに頭を捻る必要も無い。
「――成る程、確かに私では君を殺せない…出鱈目に強く、恐ろしく狡猾な君を殺すには私では力不足だ」
王を殺すのに歩で挑む程に無謀だ……しかし。
「私が…君達と言う脅威を相手に、何一つ〝対策〟を取れない間抜けに見えるかね?」
この盤面に於ける最適解、その手札は全て手にしている。
「――〝魔弾の射手〟…〝堕ちし必中の六弾〟」
私はそう、何の魔力も無く〝言の葉〟を紡ぐ…その言葉に彼女達が反応するよりも早く――。
――ズドオォォォォンッ――
屋敷の天井を押し貫き…鬼の長足る彼女にすら知覚出来ぬ速さで以て、天より降り注いだ〝魔弾〟は茨木の身体を撃ち抜いた。
「――ッ茨木…!?」
「〝魔弾の射手〟…ドイツの作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーによる〝歌語〟を知っているかね?…婚約者との結婚を賭けた青年マックスがカスパールの謀りによって悪魔の弾丸を手にし、その後悪魔ザミエルの凶弾を以てカスパールが報いを受けると言う歌の物語だ」
「ハッ……ハァッ…ゴフッ…!?」
「〝魔弾〟は〝七つ〟…内〝六つ〟は猟師が、最後の七発目は悪魔が操る…遍く全ての〝物語〟に於いては比較的〝若く〟…それ故にその性能は精々〝必中〟程度しか無い…それでもこの〝神話魔術の術式化〟には数年を掛けた…しかし、それに見合う〝威力〟だったよ」
天井から赤い月光が差し込む…その天井の遥か上…月の隣には今空から大地へと落ちる〝四つの星〟が見え…其れ等は四方に散り、不可思議な軌道で大地に迫る。
「不死鳥の余分から掻き集めた〝数カ月分の魔力〟だ…酒吞君、君でも効くだろうねぇ」
「ッ――〝幹部〟共を仕留めるだけで勝ったつもりか?…」
「――ハハッ、まさか…!」
忌々しげにそう睨む酒吞の言葉に、私は笑って否定し更に言葉を続ける。
「――この程度、まだ〝序の口〟に決まっているだろう?」
私がそう言葉にしたその時…。
――ブワァッ――
天高い昏い空の上に、〝赤い血管〟の様な魔力の塊が広がり続けていた。
○●○●○●
「〝我等昏き者〟、〝我等闇夜に蠢く者〟」
暗闇の空、その空に浮かぶ赤い〝魔術式〟の中心で、一人の男は女性の手を握りそう呟く。
「〝暗闇に陽の目無し〟、〝蒼青き冷月こそ我等が太陽〟、〝常闇の大地より我今、赤血の姫の御業を示さん〟」
その声は冷たく、静かで、響き、染み渡る…その瞳に映る光景を、その青年は静かに観測していた。
「〝枯れよ〟、〝涸れよ〟、〝渇れよ〟…〝我に仇なす者全てに、血と滅びの呪いを下そう〟」
そして、その空に広がる紅い〝魔術陣〟は…紅い月を完全に覆い隠し…そして。
「――〝さぁ、我が偉大なる血の女王よ〟、〝その御業を詠い給え〟」
青年はそう言うと、その手を握る女性にそう声を掛ける…その青年の声に、彼女は口を開き。
「『〝紅月姫の血雨〟』」
その言葉を以て、彼女の〝御力〟を眼下の不敬者に見せ付ける。
――ズドォォォッ――
ソレは、降り注ぐ〝血の雨〟…それが森全域に降り注ぎ、その雨は刃となり眼下に蠢く妖魔達の身を〝穿つ〟…。
――ズシャズシャズシャズシャッ――
頭蓋を肩を胸を脚を、紅い槍の雨は穿ち…その妖魔の身体からその力を、生命を啜り奪う。
その雨が降り注いだ刹那にして、暗い森は妖魔の骸が散らばる地獄絵図と化したのだ…。
「なんつー術式だよ…」
「やっぱり、字波さんは別格ね…」
その光景を見ていた彼等人間はそれぞれそう口にし、空に浮かぶ己等の〝主〟に畏敬の念を抱く…。
「――ふむ…コレで有象無象は問題無く処理出来たね……さて」
――ピキッ、ピキピキッ…――
「ッ……やっぱり、貴方〝孝宏〟じゃ無いわね?」
一方で、空に浮かぶ二つの人影はそう会話を始める。
「まぁね…所詮私は〝泥人形〟だ、姿形、記憶、魔力を複製しただけに過ぎない…私を作った〝この身体の本物〟は随分と危険極まる物を作ったものだ…その危険物で有る己が言うのも何だがね」
そして、その身体を崩れさせながら落ちてゆく青年はそう言いながら、彼女へ声を紡ぐ。
「――ちゃんとオリジナルを叱っておいておくれよ、字波君?…でなければ君の大好きなオリジナルは何時か〝やらかす〟よ?」
「ッ!?――何を…!?」
「まぁ、オリジナルの方は君の好意に気付いていない様だが…兎も角だ、後は任せるよ」
そして、独り大地に落ちていきながら…崩れ始めた〝赤黄色の月〟を見て、泥人形は笑う。
「やはり、蒼い月の方が良い…冷たく、彼女の赤を引き立たせる…」
そして…その泥人形はその姿を完全に崩壊させ…草原に装飾を施された〝片手鏡〟が蒼い月に浮かぶ〝美女〟を映していた。




