第一鮫:「爆誕、悪魔鮫人(デビルジョーズマン)」
突然だけど、自分語り失礼。
私、深野冴は鮫が大好きだ。素晴らしいほど大好きだ。初めて喋った言葉はパパでもママでもなく「しゃめ」だし、三歳の頃から水族館に行く度に鮫のぬいぐるみを親にせがみ、五歳にもなると開園から閉園まで鮫のいる水槽の前から一歩も動かず、小学校に入学してからは毎日狂ったように鮫映画を視聴し、中学卒業時点では三百種近くの鮫の名前と見た目を暗記し、ノートにスケッチや特徴などを纏めていた。水族館に行っても他の生物には目もくれず、鮫のみを被写体に朝から夕まで撮りまくる。撮って撮って、撮りまくった写真を収めたUSBメモリは、早いものでもう十三本目になる。……そのうちの一本はとある目的で使用する、生殖器専用の写真集となっているが。
「好きこそもののjawsなれ」、私の好きな言葉だ。つまり鮫達こそが人間が真に愛するべきものであるという意味の、昔の人のありがた〜い言葉である。そんな言葉の意味通り、十六年の生の間、一途に鮫を愛し続けた私の将来の夢、それは"サメに喰われて餌になる事"。
冗談だろって? ところがぎっちょん、大真面目。問題はその方法がまだ考えきれていないこと。
鮫の多い地域の海岸でサーファーにでもなる?
水族館の従業員になって鮫の水槽に飛び込む?
血塗れになりながら大海の中心で身を投げる?
……いずれにしても何か引っかかるものがある。前途多難な我が人生、この趣味と思想を理解してくれる者など露知れず。
『頭おかしい』とか、『狂ってる』とか、『頭軟骨魚類かよ』とか、『母親の腹の中でフカヒレスープに浸かってたのか馬鹿が』とか、『鮫キ○ガイ』とか、『脳みそシャークネード』とか、周りからは散々な言われようだ。
そんな理解者なき悲しみを慰めるべく、今日も図書室で鮫書物を読み耽ることにしたのだが……。
今日は先客がいた。私の愛読書、『世界の鮫大図鑑(出版:トーカー印刷所)』を読んでいる男子生徒が。机に座り、一ページ、また一ページと読み飛ばすようにめくっている。
彼の顔には見覚えがあった。
確か、一週間前に転校してきた生徒だ。名前は忘れた。興味なかったから。鮫に関連してない物事では、私のIQは著しく下がる。お陰で昔から、テストはいつも下の中だ。
──でも、今は彼に少し興味がある。だって鮫の図鑑を読んでいるってことは、きっと私の同志なのだから。
「ねえ!」
図書室であることも忘れて大声を出す。別にいい。私、図書委員だし。どうせウチの高校の脳筋共は、脳に活字を食べさせに来ないし。
私の声に驚き、ビクッと身体を跳ねさせてこちらを見る彼を他所に、私はベラベラと自分の鮫愛を彼へと語り始めた。
……またまた、自分語り失礼。
時計の長針が対角線上に着いた頃、私の鮫愛語り(ファスト版)は終わった。早口を浴びせかけた彼は目をパチクリとさせて、見るからに困惑してる。
……不味い、またやってしまった。
「あっ、ごめん……。初対面なのに、私ったらつい……」
「あ、いや気にしないで……。あと初対面じゃないよね、一昨日の英語のグループワークで一緒の班だったよね。確か名前、深野さん、だっけ?」
愛想笑いを浮かべながら、彼は思い出すようにそう言った。
「……ごめん」
ごめんなさい、マジで忘れてる。……まあいいか、大切なのはこれからの付き合いだし。都合悪い過去は振り返らない方が、精神衛生上はいいのだから。
「君、相当な鮫好きなんだね。思えばグループワーク中も自分の好きなものを英語で説明しろって課題、何ページも一生懸命鮫のこと書いてたし。……そんな君に一つ、聞きたいことがあるんだけど」
鮫のことについて聞きたいだって!?
「なになに? 鮫のことなら何でも聞いて!」
図書室の机に前のめりになって、興奮した私は声を荒げた。
彼は制服の上を脱ぐと、ゆっくりとシャツを右肩まで捲り上げた。
「──これ、何鮫の歯形が分かる?」
肩を出して彼が見せてくれた場所には、広げた掌ぐらいの大きさの歯形が付いていた。見てすぐに分かる、鮫の歯形に違いない。
でも、なんで彼の肩に鮫の歯形が……?
「これ、物心ついた時から右肩にあるんだ。詳しいことは自分でも分からない。だから、せめて何鮫の歯形かぐらい知りたくて」
真剣な顔をしてそんなことを言う。からかってるとかではなさそうだ。ならば、今はそれ以上深く詮索するのは野暮ってものだろう。大人しく彼の希望通り、何鮫の歯形かを鑑定するのが吉と見た。
「……言っとくけど、これだけで確定するのは難しい。私も鮫好きだけど、専門家って訳じゃないから。でも、多分これ、頬白鮫の歯形だと思う。前に水族館に展示してあったやつと、歯形がかなり似てるから」
彼の表情がピクリと動く。まるで、何か思い当たった節があるみたいに。
……ただ一つ気になる点が。ホオジロザメの歯形にしては、いやに小さい。子供のものだろうか?
「……そっか、頬白鮫か。ありがとう、何かスッキリしたよ。ファミレスのメニュー裏の間違い探しの十個目が、今やっと見つかったって気分」
微笑みながら彼が言う。
「そりゃあ良かった。ちなみに好きな鮫はいたりする?」
「ヨロイザメとラブカかな。前者は眼が人みたいで不気味だから、後者は面白い生態と見た目だから」
「君、いい趣味してるね! 気が合いそう!」
互いに伸ばした手をパチンと合わせ、握手を交わす。友達の証ってやつだ。
……これが彼と私の出会い。
心の内を素直に話せる友達、私の理解者で謎の男、新海交一との出会いだった。
──彼と友達になってから、一週間程たったある日の帰り道。私はずっと気になっていたことを彼に尋ねてみた。
「ねえ、結局さぁ、交一のその噛み跡って何なの? なんか思い当たる節とかあるんじゃないの?」
眉間に皺を寄せて、困った顔で彼は言う。
「……さあ? 前にも言ったけど、物心ついた時からあるものだから。海で鮫に噛まれた記憶も無いし、不思議なもんだよな」
「だね〜。親は何か知らないの?」
「いや、うち両親共に産まれた時から居なくて。十五まで施設で育ててもらって、今は一人暮らししてんだ」
にゃー。
「ヘぇ〜。そりゃなかなかヘビーな境遇だね」
「……ははは。まぁね」
にゃー。にゃー。
「でもまあ、今は楽しいよ。まともに高校生活送れててさ。施設にいた頃はなんていうか、ホントの意味で心許せる人とか居なかったし」
「そっか! なら、私と友達になって良かったね!」
「ははっ。だな」
にゃー。にゃー。にゃー。にゃー。
「……ところでさ。何かこの辺り、猫多くない?」
彼がふと、周りを見回し言った。
「確かに。何かこっちを睨んでるような気がしなくもない……」
人気の少ない住宅街に、似つかわしくないほど多い猫の群れ。見渡すと四、五十匹はいるだろうか? 異常だろ、集会でもしてるのか?
「そういえば、野生の猫って基本鳴かないらしいね」
思い出したように彼が言う。
「まじで?」
「マジマジ。この前テレビでやってた。人に媚びる必要のある家猫が、ニャーって鳴くんだって」
「ふーん」
また一つ、動物の雑学が増えた。鮫に関することじゃないから、明後日にも頭ん中から消えてそうだが。
「お手」
人様に対して鳴くなら、コイツらは全員家猫だろうか? 試しに掌を差し出してみた。
「それは犬にするやつでは? ……折角だし、僕も」
彼も同じように、猫の目の前に掌を差し出した。
「ふしゃーッ!」
その刹那、目の前の黒猫は怒り狂ったように、彼の手に爪を思い切り突き立てた。
「いった! コイツ、引っ掻いてきやがった!」
「マジ!? 正当防衛、シャークキック!」
引っ掻いてきた猫の腹に、私は思い切り蹴りを叩き込む。爪で引っ掻いた黒板みたいな音の悲鳴を上げながら、猫はド派手に空を舞う。
「おいおい、それは流石に……」
「おいおい、ふざけないで欲しいなぁ! 猫に蹴りかますなんて、世が江戸前期なら死刑だぞ死刑ィ!! 僕の可愛い僕共になんて事をしてんだコラぁ!?」
突然、私達の背後から怒号が響いた。
……令和の世に何言ってんだ?
振り向くとそこには、チョコンと猫耳の付いたフードを着た、小柄な人間がいた。見たところ、私達と同い年ぐらいの歳かな? 見た目は中性的だけど、少し低めの声からして男だろう。
「はあ? 何言ってんのアンタ? 頭徳川"網"吉かよ。憐れなヤツだな」
「冴さん、"綱"吉、綱吉」
「あっ、綱か」
私は日本史には疎い。日本史には鮫が出てこないからね。
「頭が哀れなのはお前だわ、ボケぇ! ふざけないで欲しいなぁ!?」
「で、いきなりしゃしゃり出て来て、アンタ一体誰? 因みに私は深野冴、好きなものは鮫ね」
人に名を聞くならってやつで、一応自己紹介はしておいた。
「……新海交一です。一体、何処のどなたでしょうか?」
「それじゃあ僕も、自己紹介失礼。僕の名前は"猫鮫の鮫人"。鮫人って字は、鮫に人って書く。それが僕の名前」
「「は?」」
二人同時に間抜けな声が出た。
「父さんからの命令でお前、新海交一を捕縛しに来た。……最悪、殺してもいい事になってる。てな訳で、とっとと変身しろ、戦るぞ」
…………?
頭ん中を疑問符が埋め尽くす。隣を見ると、交一も私と同じく、疑問符だらけの様子だ。
「……? 僕を、捕縛? 冴さん、こいつ一体何言ってんだ?」
「さあ? 厨二拗らせすぎたんじゃない?」
「……とぼけないで欲しいなぁ。お前も僕達と同じ、『鮫の悪魔の子供達』でしょ?」
「「はぁ?」」
私と彼、またまた二人揃って間抜けな声が出た。仕方ない、だってアイツ、本気で意味不明なことを言ってるんだから。
「……いい心の病院、紹介しよか?」
「ブチ殺すぞ、女」
やってみろよこの野郎、こちとら鮫徒手拳で対応してやるぞ。ついでに空手は白帯だ。
「話してても埒が明かねぇな。まぁいい、とりあえずお前ら、コイツらを囲めぇ!!」
その声に呼応するように、突然周りの猫達が一斉に、俊敏に動き出す。私達の周りに、まるで柵でも建てたようにぐるりと、逃げ場の無い猫の囲いが作られた。
「……いいか、耳かっぽじってよく聞けよ? 僕は猫鮫の力を持つ。能力は見ての通り猫なんかを操ることが出来んだ。後は歯が頑丈。貝類を殻ごとバリバリと食べられる。こんな風にね」
膨らんだズボンのポケットから取り出した小ぶりのサザエを口の中へと放り込むと、彼は言う通りバリバリと、小気味良い音を立てて噛み砕いてみせた。
なんて強靭な歯の力。まるで"サザエワリ"とも呼ばれている、猫鮫そのものだ。
「……ぺっ。痛っ、口切った」
口の中を割れた貝殻で切ったのだろう。血の混じった唾液と貝殻の一部を、猫の毛玉みたいに一緒に吐き出した。
「ふざけないで欲しいなぁ。よくやっちゃうんだよなぁ、これさぁ。自分で自分が嫌になる」
……じゃあやらなきゃいいのに、なんて言うのは野暮ってもんなのだろう。きっとパフォーマンスでやってんだし。サイコパスキャラがナイフ舐めて、口切るのと同じ類のあれだ。
「……そして、もう一度言うが、僕の使命はお前の捕縛、及び殺害! これは僕の父であり、偉大なる映画監督からの天命だ! 必ず僕は達成し、最強の鮫人の座を手に入れる」
捲し立てるようにそう言うと、彼の眼は交一を睨みつける。まるで、猫のように細長く、鋭い眼光で。
握った両手を顔の横で、まるで猫のように彼は構えた。
「じゃあ自己紹介はこれぐらい。そろそろ殺らせてもらうか……にゃんッ!!」
──次の瞬間、彼の身体からライオンの鳴き声みたいな爆音と共に蒸気が吹き出し、周囲にアンモニア臭を撒き散らした。白い蒸気が辺りに広がり、何も見えなくなる。
「ッ!? な、なに!?」
「ギニャアァ!! ブチ殺、ブチ殺ッッ!!」
晴れつつある蒸気の中から姿を見せたのは、今までに見たことの無い怪物だった。例えるのなら、ド直球だけど二足歩行の猫鮫。猫鮫の顔、猫鮫の肌、猫鮫の尻尾が付いた人って感じ。水族館のタッチプール常連の鮫が、嘘みたいな大きさで其処に立っていた。しかも喋るし。
「……ッ! その姿って……」
交一がポツリと呟く。横を見ると、彼の顔は驚愕の表情を浮かべていた。……まるで、何か心当たりがあるみたいな。
「えっ!? 何々、どゆこと? 二足歩行の猫鮫人間!?」
脳が目の前で起きている現状を、必死に理解しようとぐるぐる回る。が、余りの非現実さに、思考は理解を半ば諦めかけているようだ。考えが全く纏まらない。猫鮫、ネコザメ、ネコザメ目ネコザメ科、大人しい夜行性の鮫で水族館のタッチプールの常連、可愛い、飼いたい! 目の上の出っ張りが正面から見ると猫そっくりなためにその名が付けられたという……。
駄目だ、考えが全く纏まらない!!
「やれ、お前らッ! あいつ殺した奴には先着一匹、マタタビ致死量までくれてやるッ!!」
猫鮫がそう叫ぶのに呼応して、周りの猫達は鳴き声を挙げた。
ギニャアアアァァ!!!!!!
猫達が猫鮫の鮫人と同じような鳴き声で、興奮した様子の荒い呼吸で、コチラに一斉に襲いかかってきた。
「ちょっ、止めッ! 痛、痛い痛い痛、いぃってばッ!!」
「……痛ッ! や、止めてくれッ!!」
勢いよく猫達は私達に襲いかかり、その鋭い爪で、牙で、身体中を傷付けてくる。次々に付けられる生傷は、それはもう泣きたくなるぐらいに痛い。
「どうしたお前、とっとと変身しろッ! 弱い人間の状態のお前を殺したって意味がない! ふざけないで欲しいなぁ、何の為に手加減して痛めつけてやってると思ってんだ!?」
猫にやられて蹲ってる私達……、否、交一に向けて猫鮫は吐き捨てる。
「な、何の事なんだ!? 僕は何も知らな」
「じゃあいい。お前ら、あの女から先に殺れ」
猫鮫が彼の言葉を遮り、猫達に新たな命令を下した。交一を襲っていた猫達はグルンと、一斉に私の方を向いた。夜に光に照らされた時みたいな、透き通った殺意の眼を向けて。
「……ひぃ!」
にじり寄って来る彼等を見て、我ながら情け無い声が出た。ぼんやりと近づいてくる死の恐怖が、段々と鮮明になって行くのを感じる。
嗚呼、夢は夢のまま、此処で私は死ぬんだと。
「止めろッ! これはお前と僕との問題なんだろう!? 彼女は何も関係ないだろうッッ!?」
「いーや、関係あるね。手加減はもういい、女を殺せ」
ギニャアアアァァ!!!!!!
あっ、終わった。これ、助からんやつだ。走馬灯ってやつが見え始めた。人生がフラッシュバックしていく。ああ、コレは私が初めて鮫に──。
「……やめ、ろォォおおッッ!!」
火花が散るような音がした。
叫びながら走ってきた交一が、身を挺して猫達と私の間に割り込む。両手を必死になって振り回して、私の周りにいた猫達を弾き飛ばしてくれた。
「……っは!」
走馬灯が中断された。どうやら、死ぬにはまだ早いみたい。
「ありがと……!?」
そこで私は、一つの異常に気付く。
「ねえ、その腕……!」
彼の左手が、まるで鋸みたいに鮫の牙が生えた腕にいつの間にか変わっていた。どんな芸術品にも負けないぐらい、とても綺麗な腕だった。
「何それ!?」
「……多分、アイツのと同じ」
「……知ってたの? 自分がアイツみたいな、鮫人間に変身できること」
彼は顔を下げたまま、小さく頷く。その表情は分からない。
「……何となく、直感的にね。昔から、たまに夢に出てきてた。だけど、実際になったことは一度もない。自分がアイツみたいな鮫人間になるだなんて、到底信じられないよ……」
震えた声で彼は続ける。
「……怖いんだ。凄く怖い。名前も無いこの悪魔を自分が操れるかどうか。乗っ取られて、自分を失って、人を傷付けて、殺してしまわないか。……怖いんだよ」
彼は顔を上げて、私と目を合わした。涙でうるみ、泣き出しそうなその彼の表情を見て、私の中で何かが吹っ切れる音がした。さっきまで親友みたいなノリで近付いてきた死への恐怖も、彼と一緒なら乗り越えていける。そんな気がしたから。
「……大丈夫! 何かあったら生命かけてでも絶対私が止める、友達としてね! ……それに貴方の中の悪魔に名前が無いなら、私があげる! 史上最低にして、私にとって最高の鮫映画、それに出てくる主人公の名前を!」
「……名は何て?」
「"悪魔鮫人"ッッ!!」
人差し指を彼に向けて、私は強く言い放った。
「……おーけー、ありがとう」
そう言い顔を呆れたように引き攣らせながら、彼は猫鮫の方を向いて立ち上がり、自らの親指を思い切り噛んだ。たらりと赤い血が指から流れ出る。
──その瞬間、激しい蒼白い火花と蒸気が彼から噴き出し、私を後ろへと勢い良く吹き飛ばす。辺り一面に鮫臭いアンモニア臭が充満し、先ほどと同じく、霧がかったように蒸気が辺りに立ち込めた。
「……やっと来たね」
猫鮫が蒸気の中でゆっくりと立ち上がる異形の影を観て、呟く。
晴れた蒸気の中から現れたのは異形の鮫の怪物。頬白鮫の大きな頭を持ち、両腕にはギザギザの鮫の歯がびっしりと鋸のように生え、尻からは鮫の尻尾が生えた、全身鮫肌で二足歩行の未確認生物がそこに立っていた。
「ぎゃババババッッ!! 邪悪でシャークな深海なる隣人、デビルジョーズマン様の爆誕参上気分上々ーズ床上手だババババッッ!!」
聴いたことないふざけた笑い声を上げながら、彼は嬉しそうに辺りを見回した。
人気の無い住宅街、臨戦体制の猫鮫の鮫人、大量の猫、そして間抜けにも彼の背後で尻餅ついてる私。彼の吸い込まれるような真っ黒い目に映るのは、それぐらいだろうか?
「おい、女。悪魔鮫人様に、悪魔鮫人って名前を付けたのはお前か?」
目が合った私に対し、彼はおかしな質問をする。
「……そうだけど。お気に召さなかった?」
「イヤぁ、最高だ! 気に入ったぜぎゃバババババッ!! この名前も、お前も、コイツもなババッッ!!」
「ハハッ! そりゃあ良かった!」
「コラぁ!! シカトこいてんじゃねぇぞ!」
自分が参加出来ずに続く会話に、痺れを切らしたのか、猫鮫が喚き叫んだ。
「ババッ? なんだテメェ、恐らくビジュ的に敵だなバババ」
「……頬白鮫の鮫人。父さんが作り出した鮫人の中でも最強で且つ、一番ふざけたやつ。お前を殺して、僕が最強の鮫人に成り代わってやる!」
「いやいやアンタ、猫操る程度の能力で最強は流石に無理でしょ」
「え、アイツそれしか出来ないの? テメェさては雑魚だな、ぎゃババッ!」
「…………」
猫鮫が黙り込む。猫を操るって、天下を取りにいくにはいささかパンチが弱い能力である。猫パンチぐらいは出来るかもだが。
「……ギニャア! 死ねッッ!! 頬白鮫ッ!!」
「嫌、生きるッッッ!! バババババッ!!」
二人の鮫人間……、もとい鮫人は互いに走り出す。戦いのゴングが今、鳴った。
「喰らえ、"猫鮫鉄拳"ッッ!!」
あっ、ホントに出来るんだ猫パンチ、じゃなかった"猫鮫鉄拳"。
猫鮫は拳を固く握り、渾身の力を込めて相手へと放った。
パシン。
紙風船を叩くみたいな軽い音で、デビルジョーズマンはそのパンチを掌で受け止めた。
「バッ! ヘリウムよりも軽いパンチ、効かねェババッッ!」
そのまま猫鮫を押し返すと、彼は拳を固く握る。
「お返しだ。キャッと驚け、"悪魔鮫鉄拳"!」
「ギニャアッッ! 痛ェ痛いィ!」
彼の拳が荒々しく敵の皮膚を斬り裂き、脇腹辺りに入った。鮫肌同士が激しく擦れ、宙空にド派手に火花を散らす。
「ッッテメぇ!! 殺れ!」
ギニャアアアァァ!!!!!!
猫達が爪を立て、デビルジョーズマンへと飛び掛かる。
「雑魚どもは引っ込め、バババババッ!」
飛びかかってきた猫に向かって、彼は腕に付いた鮫歯を振るった。猫達は次々に二枚に下ろされ、断末魔を上げながら臓物を垂らし、ただの肉塊へと成り果てていく。
「ギニャっ!? お前らッ!」
「ぎゃバ、ぎゃバババババッッ!!」
「チッ! なら喰らえや、"猫鮫螺旋卵"ッ!!」
叫ぶ猫鮫の右手は、まるで猫鮫の卵のような螺旋状に変化して回り始めた。それはそのまま、デビルジョーズマンの腹部に突き刺さり、回転しながら火花を散らす。
「バッ?」
……全く効いてないようだ。
「痛くはないバ、痒くはあるババッ!」
笑いながら彼はその右手を掴み、猫鮫を投げ飛ばした。受け身を取り損ねて背中を強打した猫鮫は、痛そうにジャリジャリと身体をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。
「チッ! コレも効かねぇのか! ふざけないで欲しいなぁ、僕の持ち技、全部受け切りやがってよぉ! こうなりゃ奥の手だ、ギニャニャニャニャッ!!」
猫鮫が笑うと、突如ヤツの目の前に鮫の背鰭が現れた。そう、目の前の地面から。地面から、鮫の背鰭が浮上するように突き出て来た。
「気をつけて、デビルジョーズマン! アイツ、なんか仕掛けてけ来るよ!」
「見りゃ分かるって、ババ」
「……実は僕の力さ、猫を操るんじゃなくて、ネコ科に関連したものを操れる能力なんだよね」
猫鮫の顔が口を開け大きくゆがむ。分かりづらいけど多分、笑っているんだろう。
「こんな言葉を知ってるかい? "獅子に鰭"!」
「知らない。どんな意味?」
「強いものが、更に強くなるって意味だよォォォォ!」
その言葉に呼応するように、地面から生えたその背鰭は地上へと飛び出してきた。それは、ライオンの身体に鮫の尾鰭、背鰭、胸鰭が生えた合成魔獣。
「なになに、この生き物!? 新種!?」
「よくぞ聞いたぞ、動物愛護精神ゼロ女ァ! 僕の能力で鮫の鰭を付けた、あらゆる場所を自由に泳ぐ獅子だ。"鮫獅子"って名付けようかなァ!?」
……昔観たサメ映画にいたな、そんなヤツ。確か砂の中を泳ぐヤツで……。
「ババッ!?」
そんなことを思い出してるうちに、鮫獅子はデビルジョーズマンに喰らい付くと、そのまま地面中へと潜っていく。
「デビルジョーズマンッ!!」
「ギニャニャッ! そいつの強さは折り紙つき、例えお前でも勝つのは不可能だニャッ!」
勝ち誇ったように猫鮫は笑い狂う。
……一分ぐらい、時間が経っただろうか? 地面から、ぶくぶくと血混じりのあぶくが立って来た。何か浮かび上がって来る。
「おやぁ〜? 決着かニャ〜?」
……最初に地面から浮きて出てきたのは、口周りを血で汚した、鮫獅子の顔だった。
「そん……な……」
殺られた? デビルジョーズマンが?
「よっっし! よく殺った、鮫獅子! これで名実共に僕が最強の鮫人に」
「ぎゃババババババッッ!!!」
……次に鮫獅子の首ちょんぱを片手に持ちながら、デビルジョーズマンは地面から飛び出して来た。
「…………ギニャ?」
「コイツ中々強かったぞ、お前よりもな。でもいかんせん、デビルジョーズマンの方が強かった。それだけの話だバババババッ!」
ポカーンと剥製みたいに口を開けて、あっけにとられていた猫鮫が口をついた。
「鮫獅子より、お前の方が強いってのか? マジで? 僕の最高戦力が……」
「獅子に鰭ェ? 鰭なんて付けてどうすんだよっ!? そのままじゃ溺れちまうだろうがッ!! 鰓呼吸ぐらい身につけてから鮫様に挑め、バババババッ!!」
「あ、確かに」
暴論かもだが、いやに納得してしまった。
「ふざけッ……」
「じゃあそろそろ決着と行こうぜバババババッッッ!!」
「……ッ!?」
自分のもとへ、もの凄い速さで走り込んでくるデビルジョーズマンに対して、猫鮫は辺りに残った猫達を投げつけるように向かわせて応戦する。が、虚しくも彼等は両手の鮫の歯で切り裂かれ、またしても二枚へとおろされていく。
にゃんとも言えない、呆気ない結末を予感したのか、彼は諦めたように天を仰ぎ、遺言を呟いた。
「父さん、ふざけないで欲しいなぁ……。僕の能力、『鮫の悪魔の子供達』の中でも最弱じゃん。……嘘つき」
「あっそなら死ねババババッッ!!」
「ギニャア」
勝負がついたのは一瞬だった。
デビルジョーズマンの大顎が猫鮫の首元に喰らい付いたかと思えば、そのまま喉は噛み切られ、その肉塊は彼の胃袋へと直行した。
しこたま振った炭酸飲料を開けたみたいに猫鮫の喉元から噴き出す、スプラッターな血飛沫は、相手側の死を告げるのには十分過ぎる量である。
「デビルジョーズマン最強! デビルジョーズマン最強! デビルジョーズマン、最ッッ強ッッッッ!! ぎゃババババババババババッッ!!」
彼は地面と接吻する相手の頭を、何度も何度も、何度も足蹴にし、ギザギザの歯が付いた両手で万歳して勝鬨を上げる。辺り一面に撒き散らされた、魚類と哺乳類の血溜まりと猫科の肉塊の中で狂ったように笑う彼を見て、私が思ったことはたった一つ。
──彼こそが、私の求める死に場所だ。
気付けば私は彼に駆け寄り、血に濡れた手を掴んで叫んだ。
「ねえ、お願い。私を喰らって!?」
「バ?」
突然の発言に困惑する彼を他所に、続けて私はこう告げた。
「ハッピーバースデイ、悪魔鮫人!」
初投稿です。よろしくお願いします。誤字脱字、おかしな文章等あれば、コメントまで。感想とお気に入り登録頂けると励みになります。
B級映画だーい好き。