全て貴方のお望み通りですが、何か?
糖分が最後の方に出てきます。
さらっと読めると思いますので、楽しんでお読みいただけたら嬉しいです。
「エメリーヌ、俺との婚約を破棄してほしい」
開口一番に告げられたその言葉に、手にしていたティーカップを音を立てずに置き、私は尋ねた。
「何故?」
私の問いかけに対し目の前に座る男性……、ルシアンは少しの間の後ゆっくりと口を開いた。
「……君には、もっと相応しい人がいると思うんだ」
「相応しい、とはどんな?」
私の質問に対し、彼は逡巡した後答えた。
「……例えば、“エドワール”とか」
「……エドワール?」
彼の口から出たエドワール、という名前に反応する私の前で、彼は頷き、重い口を開く。
「エドワールは、この国……ルヴィエ王国の第三王子であり、つい先日婚約者だった隣国の王女との婚約が破棄された」
「……つまり、その空席となったエドワールの婚約者の座に私がつけ、と?
貴方はそう言いたいのね?」
私の言葉に、ルシアンは黙って頷く。 肯定の意に、私は「分かったわ」と答えると、淑女の仮面で培ってきた完璧な笑みを讃え、口にした。
「貴方のお望み通り、婚約破棄致しましょう。
そして、私は今からエドワールの婚約者候補に立候補させて頂きますわ」
「!」
私の言葉に、ルシアンは驚愕に目を見開いたのだった……―――
「あっはっは!!」
とある王城の一角の庭で、大口を開けて笑うその男性に、私は目くじらを立てて怒った。
「笑い事ではないのよ、エドワール。 これは由々しき事態なのよ」
「そう? 僕にはとても愉快に見えるけれど」
そう言って目の前の男性……、もといこの国の第三王子であるエドワール・ルヴィエはお腹を抱えて笑った。
私はその姿に向かって本音をぶつける。
「大体、貴方がこんな時期に婚約破棄なんてするからいけないのよ!」
「エメリーヌ、それは世間一般では八つ当たりというんだよ?
第一、僕だって婚約は順調だったさ。
ただ、あちら側が『私のことが好きでない殿方は嫌』と言ってきたのだから、僕は悪くない」
「呆れた。 貴方王女殿下に向かってどんな態度を取っていたのよ?」
「まぁ、終わったことはもう良いさ。
それより今の問題は、君とルシアンの婚約破棄騒動だろう? “完璧令嬢”の君にしては珍しいじゃないか。
ルシアンのそういったことは今にも始まったことじゃないのに」
「……」
私は反論する気力もなく深く溜息を吐いた。
私はエメリーヌ・ヴェルネ。 ヴェルネ侯爵家の長女として生を受けたため、結婚相手には婿を迎え入れなければいけない立場にある。
そんな私の幼馴染であったのが、ルシアンとエドワールだ。
ルシアン・バルト。 私と同じ歳であり、幼馴染兼婚約者……、婚約破棄を告げてきた彼である。
彼はバルト公爵家の三男で、金色の髪に翠色の瞳を持つ、通称“人形貴公子”。
人形宛らの恐ろしいほどの美貌の持ち主であり、表情もまた変わらないことからその名が付いたと聞いている。 その上無口ときて、幼馴染の私とエドワールでさえも何を考えているか分からないほどだ。
「……幼馴染歴十年、婚約者歴五年が経つ今でも、彼が何を考えているのかさっぱりだわ」
「へぇ、婚約者になって五年も経つのかぁ。
よく続いたねぇ」
「私もそう思うわ……」
エドワールの言葉に、私は頭を抱えた。
エドワールの指していることは、先程言っていたルシアンの“そういったこと”……、奇行の数々である。
始まりは、私の婚約者になってから半年ほどが経った、二人きりの茶会でのことだった。
「エメリーヌ」
「何?」
いつもは自分から口を開くことのないルシアンが、珍しく自分から声をかけてきたことに驚きと同時に嬉しさを覚え、ほんの少し身を乗り出した私に対し、ルシアンは少しの間の後言った。
「俺と婚約破棄して欲しい」
「……っ!?」
彼の口から飛び出た“婚約破棄”という思いがけない言葉に、ショックを受ける私に向かって彼はしどろもどろになりながら口にした。
「俺では、君とは釣り合わない。 君は完璧だ、だから君に相応しい人はもっと他にいると思うんだ」
「……例えばどなた?」
「例えば……」
その後に彼の口から紡がれた他の男性の名に、私の頭の中で何かが切れた。
持っていた扇子を握り潰し口にした。
「却下ですわ。 私、あのような粗暴な男性は嫌いですの」
「! ……すまない」
私の言い放った言葉に、ルシアンは俯きその場は沈黙に包まれたのだった……―――
「あははっ! いつ聞いても傑作だよね、それ」
「笑い事ではないと言っているでしょう。
……その一件で懲りたかと思えば、半年に一度くらいのペースで婚約破棄を申し出てくるのよ?
一体どういう了見よ」
「でも、“完璧令嬢”である君は、全て跳ね除けてきた。
それが今になって何故婚約破棄を承諾してしまったの?」
「……」
エドワールの言っていることは、全てその通りだ。
婚約破棄を申し込まれるのは、今に始まった事ではないのに、どうして今回は許せなかったのか。
きっと、それは……。
「……エドワール」
「ん?」
「お願いがあるのだけど」
翌日。
「ルシアン」
私は目の前にいる彼……、婚約者である彼に向かって口を開いた。
「私と、婚約破棄致しましょう」
「……!」
ルシアンの翠色の瞳が大きく見開かれる。
その表情を一瞥してから言葉を続けた。
「そして、私の新たな婚約者を紹介するわ」
私の言葉に、ルシアンの肩が揺れ、眉間に皺が寄る。
そんな彼に向かって私は言葉を続けた。
「貴方もよくご存知の方よ。 ……入って」
私の言葉に、侍女の手によって扉が開かれる。
そこから現れた、紺色の髪を揺らすその男性は、嫌味なほど爽やかな笑みを讃えて言った。
「新しくエメリーヌ嬢の婚約者となった、エドワール・ルヴィエです」
彼の登場と言葉に、ルシアンは立ち上がる。
人形貴公子と呼ばれる彼の表情が崩れたところに、更に追い討ちをかけるように言った。
「というわけだから。 今日から私の婚約者は貴方ではなく、エドワール殿下となりますのでご承知おきを」
「っ、待て」
ルシアンの慌てたような声に、私とエドワールは彼に目を向ける。
ルシアンは私達とを交互に見て、絞り出すように口にした。
「……エメリーヌは、エドワールのことが好き、なのか?」
その問いかけに、私の心が震えた。
そんな心に叱咤して、私は静かに問い返す。
「好きも何も、貴方が望んだことでしょう?」
婚約破棄も、新たな婚約者に“エドワール・ルヴィエ”をどうかと紹介したことも。
「全て貴方のお望み通りだけれど……、ご満足頂けたかしら?」
「……っ」
彼は何か口を開きかけたが、押し黙ってしまう。
その姿に苛立ちを隠さず、私は促した。
「何かご不満でも?」
「……っ、エメリーヌは、それで、幸せになれるのか……?」
「!」
彼の言葉に、私は驚き言葉を失った。
それと同時に、今度こそ心の底から怒りを覚え……、
堪 忍 袋 の 尾 が 切 れ た。
「……貴方がそれを言う?」
「え……、!?」
私はツカツカとヒールを打ち鳴らし、彼に歩み寄ると、その胸倉を掴んで言い放った。
「私に尋ねる前に自分の胸に手を当ててよーく考えてみなさいよっ!!
それで良く私が幸せになれるだなんて思ったわね!!
……本っ当、デリカシーのない男! 最低!!」
「っ、エメリーヌ」
「貴方のことなんて……っ、貴方なんて……!!」
その続きの言葉が、出てこなかった。
代わりに出てきたのは、目から溢れ落ちる遣る瀬無い気持ちが詰まった涙。
「っ」
そんな顔を見られたくなくて。
淑女の仮面が取り払われた姿なんて彼に見られたくなくて、私は部屋を飛び出した。
(っ、本当可愛くない、私……)
それに、こんな醜態を晒す予定ではなかった。
もっと余裕のある女性を、理想の女性像に近付くべく努力していたのに。
(これでは今までの努力が全て、水の泡だわ……)
……いや、今更よね。
婚約破棄をしてしまったら、ルシアンとはいられない。
ルシアンの婚約者でなければ、私は、私は……
「エメリーヌッ!!!」
「!!」
ルシアンの聞いたことのないほどの鋭い声に、私は思わず足を止めてしまう。
ルシアンは私の手を取り、口を開いた。
「待って、くれ。 話をさせてくれ」
「……今更、貴方と話すことなんてないわ。
私の思いを、気持ちを踏み躙る方と今更何を話せと?
第一、貴方の言っていることは支離滅裂なのよ!
婚約を申し込んできたのはそちらのくせに、その半年後には婚約破棄を申し込んできた挙句、他の男性を紹介してくるなんて……、意味が分からない!」
「エメリーヌ、話を」
「挙句の果てには私達の共通の幼馴染であるエドワールを婚約者にだなんて……、貴方の目には私とエドワールがお似合いにでも見えた?」
「っ、違う」
「何が違うのよ! 何も、何も知らないくせに!
私がどんな思いで貴方の隣に相応しい女でいようか考えたことはある!?
私が“完璧令嬢”と呼ばれるようになったのは、貴方の隣で胸を張っていられる自分になりたいがために努力をしたからなのよ!
この短気な性格も、思ったことが口に出てしまう癖も、貴方の側にいたいがために全部直したっていうのに、何故貴方は簡単に私から離れようとするの!?
そういう貴方こそ、私のことがそんなに嫌い!?」
「違うっ!!!
俺は……、俺はエメリーヌのことを愛している!!!」
「……!?」
突然の彼の言葉……、今まで聞いたことのなかったその思いがけない言葉に、私は動揺を隠せず顔に熱が集中していくのが分かる。
そう口にした彼もまた、これ以上ないほど真っ赤な顔をして言った。
「っ、俺は……、昔から、この通り口下手だ。
幼い頃は不甲斐なくも、思っていることを口に出せず周りに誤解を与え、陰口を叩かれることもあった。
そんなこともあって、俺は自分に自信が持てなかった。
幾度君に……、エメリーヌに助けられたか分からない。
そんな俺こそ、君の隣に相応しいのか、ずっと自信がなかった……」
「……そこまで想ってくれていたなんて、知らなかった。
だけど、何故よりにもよってエドワールを紹介してきたの?」
「……エドワールの前では、君が素で接しているのが、分かったから。
俺は、君がてっきり、エドワールのことが好きなのかと思っていた。
……エメリーヌ?」
私はその言葉に思わず膝をついた。
(まさか、エドワールの前で向けていた顔のせいで、あらぬ誤解を与えていたなんて……!)
私は立ち上がると、ルシアンに訴えるように口を開いた。
「それは大きな誤解よ!! 私はただ、エドワールに対しては腐れ縁としか思っていないし、あちらが失礼な態度を取るからそう接していただけで……、ルシアンの前で必死に淑女の仮面を被っていたのは、先程も言った通り、私は貴方に相応しくありたいから、そう繕っていただけなの!」
私の必死な訴えに、ルシアンの瞳がゆるゆると見開かれる。
そして、また少し間を置いた後、彼は言った。
「では、エメリーヌも、俺と同じ気持ちでいてくれているということか?」
「!」
私はその言葉に、更に顔に熱が集中するのを感じ、彼の瞳からそっと視線を逸らして小さく頷いた。
「エメリーヌ」
「っ、見ないで」
「こちらを向いてくれ」
「……っ」
そんな優しい声で、何処か甘さを含んだ声で言われたら。
私はゆっくりと視線を戻した。
そして、ルシアンの翠の瞳と視線が交じり合い、その瞳に私が映し出される距離で、彼は破顔した。
それは、人形貴公子と呼ばれている彼からは想像もつかないほど、甘く柔らかく蕩けそうてしまいそうな表情で。
内心悲鳴を上げかける私に対し、彼は更に追い討ちをかけるように口を開いた。
「エメリーヌ」
「……っ」
「君の口からも、俺に対する気持ちを聞きたい。
……聞かせてくれないか」
私はその言葉に、息を吐く。
そして、震える声で口にした。
「私も、ルシアンのことが、大好きです」
「! ……あぁ、俺は幸せ者だ」
彼はそう吐息が触れる距離で言うと、そっとそう紡いだ唇が重なったのだった。
初めての口付けを交わした後、彼は私に囁いた。
「その顔を独り占め出来る俺は、間違いなく世界一幸せ者だ」
と。
私はその言葉に思わず笑い、口を開いた。
「婚約破棄、するのではなかったの?」
その言葉に、彼は慌て出す。
「そ、それは、無かったことに、してほしい」
私は再度笑みを溢し、口にした。
「困った人。 ……でも、良いわ。
貴方のお望み通り、これからもずっと、貴方の一番近くに居るわ」
彼はその言葉に、心から嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。
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