08.悩みは尽きない
執務室でエズラから受け取った書類に目を通していく。書類には、貴族のご令嬢の名前と性格や能力等が記されている。
そろそろ彼女のために、侍女を決めなくてはならない。こちらで何人か選び、最終的には彼女に決めて貰う予定だが……。
「駄目ですね」
「公爵夫人の侍女に相応しい方々ではあるかと存じますが」
「分かってて言ってますよね」
「そのようなことは」
手に持っていた書類を全て机に放る。エズラの言うとおり、決して悪くはない。しかし特別、良いわけでもない。
自然とパイプに手が伸びて、いつものように火をつけた。煙を燻らせながら、どうしようかと思案する。何人か会ってみても良いが……。
不意に扉がノックされて、思考がそちらへと向く。どうやら、ケイレブのようだ。返事をすれば、扉を開けてケイレブが入ってくる。
「どうしました?」
「お手紙が届きました」
ケイレブから手紙を受け取り、封蝋の紋章を確認する。皇家のシンボルが刻まれたそれに、もうそんな時期かと目を細めた。皇帝陛下の生誕パーティーの招待状だろう。
手紙を机に置いて、椅子の背に深く凭れた。パーティーは約一ヶ月後。パートナーは勿論、彼女を連れていく。
「ケイレブ」
「何でございましょうか」
「家庭教師はしっかりやっていますか?」
「はい、問題はないかと。旦那様のご指示通りに基礎的なことからやってくれております」
「そうですか……」
「気になるのでしたら、奥様にお会いになられてはいかがでしょうか。丁度、休憩なされるようでしたので」
ケイレブの言葉に、目を瞬く。そうか。それなら直接、彼女の様子を見に行こうかな。そこまで考えて、いやいやと首を左右に振る。折角の休憩時間なのに、邪魔をしては悪いだろう。
それならば、家庭教師に進み具合を聞いた方が確実だ。ケイレブの話を聞く限りでは、評判が良いというのは偽りではなかったらしい。
「家庭教師を呼んでください」
「よろしいのですか?」
「……いいので」
「畏まりました」
彼女と出掛けた日から、何やら邸内に浮わついた空気が流れている気がしてならない。特にケイレブの、その微笑ましいものを見るような目はやめて欲しい。気付かない振りで、パイプの煙を吐き出した。
ケイレブが家庭教師を呼びに行っている間に、これからの予定を組み立てる。
どうせパーティーは、例年通りに豪華絢爛な会場で舞踏会だろう。皇帝陛下はきらびやかなのがお好きだから。そうなると、マナーだけではなくダンスも必須になる。
一ヶ月でどれだけ出来るか。そこは彼女に頑張って貰うしかない。まぁ、間に合わなくても上手く誤魔化して踊らなければ良い話だけど。
あとは、ドレスと靴とジュエリーも新しく買おう。邸に呼ぶか、買いに出掛けるか。俺も新調するから、買いに出掛けるのが良いかな。どう誘うか……。
つらつらとそんな事を考えていれば、ケイレブが戻ってきた。家庭教師が「ご機嫌麗しゅうございます」と礼をする。
「よくやってくれているようですね」
「とんでもないことでございます」
「どの程度、進んでいますか?」
「はい。奥様は元々、基礎的な部分は殆ど完璧でした。分からない所があれば直ぐに質問をされますし、とても熱心ですわ」
「そうですか」
やはり、必要最低限の教育は受けているのだろうか。しかし、“殆ど”というのが引っ掛かる。彼女に聞けば分かる事ではあるが……。一層のこと伯爵を問いただしてやろうか。
「ダンスは教えられますか?」
「勿論でございます。しかし、相手をどなたかにやって頂かなければ難しいかと」
「あぁ、なるほど。それなら……」
エズラとケイレブは忙しいので無理だとして、俺も時間は取れそうにない。いや、何とかならなくも……。パイプのボウルを親指で撫でながら、何を考えているのかと苦笑した。
「騎士達の中に、ダンスの相手が出来る者はいますかね」
「いるとは思われますが……」
「閣下次第では時間の確保は出来るかと」
今度はエズラの言葉に、目を瞬いた。
社交の場では、余程のことでもない限りは誰からの誘いでも受けるものだ。婚約者がいようともそこは変わらない。別に、無理に、俺ではなくても……。
「相手は、俺が決めるので問題ありません。明日からダンスもお願いしますね」
「承知致しました」
家庭教師を下がらせて、どうしようかと思案する。悩みの種がまた一つ増えてしまった。相手のリードが下手なのはいただけない。まぁ、俺もリードが上手いとは言わないが。
「旦那様、よろしいのですか?」
「……もちろんです」
「では、直ぐにお決めにならなければ。今から向かわれますよね、閣下」
俺が決めると言った手前、騎士達の鍛練場に向かわなければならないのは分かっている。分かっているが、どうにも立ち上がる気にならない。
エズラに視線で訴えれば、「やはり閣下がお相手になられるのがよろしいかと」なんて言葉が返ってきた。それに、ケイレブが頷いて肯定する。
「……ダンスも基礎は一人でやりますよね」
「そうですね。姿勢などからやるのでしたら、暫くは一人でも問題ないかと存じます」
「その間に考えます」
「そうでございますか」
「それが、よろしいかと」
ケイレブにニコニコと微笑まれて、居たたまれなくなる。パイプをスタンドに置いて、立ち上がった。
「奥様でしたら、お庭におられますよ」
「違いますから」
「そうでしたか。ご無礼をお許しください」
「では、どちらに行かれるのですか?」
「……少し、散歩に」
「左様でございますか」
妙な沈黙が部屋に落ちて、彼女の事になるとどうしてこうも上手くいかないのかと溜息を吐き出した。これでは駄目だ。分かっている。全て上手くやらなければ。
「旦那様、きっと奥様は喜ばれますよ」
そうだろうか。分からない。返事をしない俺に一礼すると、ケイレブは扉を開けて俺が通るのを待つ。誰も付いてこないように言いつけて、部屋を出た。
散歩など普段しないため、どこをどう歩けば良いものかと髪を掻き乱す。散歩なのだから、外に出ようか。庭……。彼女がいるのも庭だとケイレブが言っていた。
何もない廊下で立ち止まる。どうするのが正解だろうか。あぁ、嫌だな。また頭痛が。
「公爵様?」
いつの間にか目を閉じていたらしい。その声に誘われるまま開けた目を向ける。今朝も朝食の席で見た筈なのに、華やかな彼女に目が眩んだ。
「どうされたのですか?」
「少し、散歩に」
「そうなのですね。お疲れですか?」
「いえ。そんなことは、ないですよ」
いつも通りに、へらっと笑う。どこか探るようにじっと見つめられて、笑みが崩れそうになった。
「出来ることなら、ご一緒したかったです」
「休憩は終わりですか?」
「はい。残念です」
微かに目を伏せた彼女に、そうなのかと思った。残念。残念なのか。ならば、もっと早く会いに行けば良かったのだろうか。
「ですが、公爵様に少しだけでもお会いできて嬉しいです」
「おれに? ですか?」
心底、理解できないというような声が出た。俺に会えたからと言って、彼女には何の得にもならないだろうに。何が“嬉しい”になるのか。
彼女は俺の問いに、一つ頷く。「はい、とても」と目を細めた。ケイレブの言っていた通りだったらしい。こんな事で喜ぶのか。
「あの、ダンスの練習相手を……」
「公爵様がしてくださるのですか?」
「え?」
ソワソワと期待するような瞳に、唾を呑む。妙な心地になって、更に髪を乱してしまった。
「……お忙しいですよね」
「それは……。毎回は無理かもしれませんけど。その、俺で、よければ?」
「よろしいのですか? うれしい……」
彼女の頬が微かに紅潮して、こちらは驚きで目を丸める。こんな廊下で何をしているのか。急激に熱が顔に集まるのを感じて、手の平で口元を隠したのだった。