03.一夜明けて
彼女が来て、一夜明けた早朝。朝食に向かう道々、ケイレブからの報告を思い出しながら彼女の事を考える。
当初の予定では、昨日の晩食を共にしながらこれからの事を軽く話し合う筈だったのだが。急な仕事が入ってしまい結局、別々に晩食を取ることになってしまった。
まぁ、彼女も時間が欲しいと言っていたので、丁度良かったのかもしれない。ケイレブの報告によれば、特に不満を言うことなく一人で晩食を食べていたそうだから。
ただ、元々食が細いのか。それとも、慣れない場所での食事だったからか。あまり食べなかったという点は、少し気がかりだ。昨日、向かい合った彼女が酷く弱々しく見えたからかな。
「美味しかったらしいから、口に合わないとかではなさそうだけど」
独り言ちて、溜息を吐く。婚姻って、こんなに面倒なものなのだろうか。両親は、もっと淡白な感じに見えた。もしかして、俺がややこしく考え過ぎているだけなのかもしれない。
「上手く、やらないと。うまく……」
あぁ、頭が痛い。この頭痛薬の効きも悪くなってきたな。主治医に、もっと強いのを出して貰うべきか。でも、副作用がどうのと言っていた気もするなぁ。
エズラが綺麗に整えてくれた髪を掻き乱しそうになって、すんでのところで止まる。危ない。今から婚約者と朝食なのに、乱れた髪では格好がつかないだろう。
それに、今日は宮殿で会議が開かれる。いずれにしても、この髪型を今日は崩すわけにはいかないのだ。
そんな事をぼんやりと考えていれば、ダイニングルームの前まで着いていた。いつも通りに使用人が扉を開けたので、中へと入る。昨日までは誰もいなかったそこに彼女の姿があって、一瞬動きを止めてしまった。
昨日と違って、彼女の透けるようなスカイブルーの髪はしっかりとセットされている。どうなっているのかは分からないが、サイドの髪が編み編みになっている。器用なものだ。
実を言うと、もしかしたら彼女が侍女を連れてくる可能性もあったので、こちらで侍女はまだ雇っていない。結果として、彼女に侍女は居らず暫くはメイド達に身の回りの世話を任せることになった。まぁ、メイド長のメイジーに任せておけば、間違いはないだろう。
メイジーは俺が当主になった時に、前メイド長の推薦があったのもあり、俺がメイド長に任命した。三十半ばだが、公爵家での歴は長く頼りになる。
彼女の様子を見るに、メイド達はしっかりと仕事をしてくれているようだ。不意にこちらを向いた彼女と目が合う。只でさえ綺麗な顔立ちをしているのに、今日は化粧までしていて酷く華やかで目がチカチカとした。
「おはようございます」
「……おはようございます。よく眠れましたか?」
誤魔化すように、へらっと笑みを浮かべる。彼女は俺の質問に、一つ頷いた。
「ベッドが大きくて……。その、ふわふわでした」
無表情と言葉のチョイスがちぐはぐで、反応が遅れる。ふわふわ。ふわふわだったのか。そうなんだ。ふわふわ。
「申し訳ありません」
「え?」
「上手く言えなくて……」
気まずそうに彼女の視線が斜め下に向けられる。表情は相変わらずないが、何処と無く困っているように見えた。
「そんなこと気にしないでください。よく眠れたのなら良かったです」
この話は終わりにしようと、俺は席に着く。それを見計らって、ケイレブが食事を運んできた。
「朝食にしましょう」
「はい」
「全ての恵みに感謝を」
俺に続いて、彼女もそう口にする。やはり、ちゃんとして見える。食事のマナーも可笑しな所はなさそうだけど。
彼女を観察していれば、俺の視線に気づいたように彼女が顔を上げる。目が合って「どうされましたか?」と彼女が微かに首を傾げた。
「あ、すみません。思わず」
「いえ、何でしょうか?」
「華やかだなぁと」
「はなやか……?」
「ほら、俺の髪色ベージュで地味でしょう。瞳の色は……。まぁ、黄色なのでまだ見れますかね」
アルフィーに比べたら、話にならないかもしれないが。
冗談めかして明るい声を出す。笑い話のつもりで言ったのだが、彼女は首を左右に振った。彼女の真剣な眼差しに、笑顔が引きつりそうになる。
「そのような事はありません。紅茶……。そう。ミルクティーみたいで、とても美しいです。瞳も綺麗なレモン色」
「……は、」
「実物を見たことはありませんけれど。きっと、公爵様のように綺麗な色をしているのでしょうね」
彼女の言葉に、ポカンとしてしまった。きれい。綺麗なのか。彼女の目には、俺みたいなのが綺麗に見えていると言うのだろうか。
「じゃあ、今日のティータイムはミルクティーにしますか?」
気付けばそう口にしていた。いや、待て。俺の方こそ、上手い返しが全く出来ていない。そこは、そうではなくて、もっとこう……。何かあっただろうに。
いつもなら、上手くかわして適当に感謝の言葉でも並べる所だ。変な汗が出てきた。どうしようかと彼女の反応を窺う。
「それは、公爵様もご一緒に?」
「いえ、すみません。今日は宮殿に行かなければいけないので」
「そう、ですか……。分かりました」
部屋に沈黙が落ちた。居心地が悪くて、コーヒーの味がしない。話題を探して、頭を回転させた。
「欲しいものは決まりましたか?」
「ありません」
「はい?」
「考えてみたのですが、思い付きませんでした」
「なにも?」
「はい。今でも充分すぎるくらい貰っておりますから」
俺には、何もあげた記憶がない。それなのに、彼女は何を言っているのだろうか。
記憶の中で母上は、常に何かを買っていた。欲していた。何か。何か、あげなくては。差し出さなければ。そんな焦燥感に駆られる。
「ドレス。ドレスと装飾品を買いましょう」
「……?」
「手持ちが少ないと、メイジーに聞きました。ケイレブに言って、屋敷に商人を呼びましょう。好きなだけ買ってください」
「あの」
「お金の心配はいりませんから」
ケイレブの報告にあったのだ。マクダーリド伯爵邸から持ってきた荷物は、やけに少なかったと。心配になるほどに、彼女の持ち物がないとメイジーが言っていたらしい。
いったい、マクダーリド伯爵邸で彼女はどんな扱いを受けていたのだろうか。彼女は今まで、どうやって生きてきたのだろうか。想像していたよりも、酷そうだ。
「……分かりました」
「好きなだけ! 好きなだけ買っていいですからね」
「はい。あの、公爵様」
「何ですか?」
「屋敷はどこまで自由に歩いていいのでしょうか。散策したら怒りますか?」
口から間の抜けた声が漏れでた。彼女は何を言っているのだろうか。まさか。いや、ただ単純にまだここが他所の家だという感覚でいるだけかもしれない。
「ここは、貴女の家になりますから。好きに散策してください。あぁ、でも俺の執務室は困るか……。ケイレブに言っておくので、彼と一緒に見て回るのはどうですか?」
「良いのですか?」
「はい、もちろん」
「ありがとうございます。ちゃんとケイレブの言うことを聞きますね」
喜んでいる……の、だろうか? 表情が変わらないので、どうも感情が読めない。しかし、部屋の雰囲気が先程よりも明るくなった気はする。こんなことで、彼女は喜ぶのか。
「難しいな……」
俺の独り言は、誰にも拾われることなくコーヒーの中に消えた。
朝食のあと、直ぐに準備をしてエントランスへと向かった。いつも通りエズラが荷物を持って、後ろからついてくる。
ケイレブと使用人達がエントランスで待っているのも見慣れた光景。しかし今日は、何故かその中に彼女の姿を見つけて目を瞬いた。
彼女は階段から下りてきた俺を見つけて、近付いてくる。俺が何か言うより先に、「お気をつけて、いってらっしゃいませ」と言った。
「は、い……。いってきます」
半ば呆然とそう返す。そんな俺を見て、彼女は微かに眉根を寄せて険しい顔をした。
「どこか可笑しかったでしょうか。不慣れなものですから。失礼でしたか?」
「いえ! 大丈夫です!」
「そうですか」
彼女は何処と無く安心したように、息を吐いた。人形のように無表情だと思っていたけど、よくよく見れば意外と分かりやすかったりするのだろうか。
「出来るだけ、早目に帰ってきます。今日は一緒に晩食を食べましょう」
「分かりました。楽しみにしております」
嬉しそう……に、見えなくもない。確信がなくて、へらっと笑っておいた。
彼女に見送られて、屋敷を出る。妙な気分になりながら、馬車に乗り込んだ。続いてエズラも乗り込んでくる。
いつも通り。いつも通りの風景の中に、彼女がいる。酷く華やかで、やけに目立つ。彼女の隣が俺で、本当に良いのだろうかという気になってくる。
「エズラ」
「はい。何でございましょう」
「彼女のあれは、普通のことなんですか?」
「それは、先程のお見送りの事でしょうか?」
「そうです」
「特段、珍しい事ではないかと」
「へぇ……」
母上が父上を見送っている所など、客人の前以外で俺は見たことがないけどなぁ。そんな事を考えながら、走り出した馬車の窓から流れていく景色をぼんやりと眺めた。