14.あの日の憧憬
星流祭当日の朝、領主として挨拶をするためにフレヤと共に広場にやって来た訳だが……。
「ま、眩しい……っ!」
「光輝いている!?」
メイド達の気合いが凄すぎて、彼女がとても目立ってしまっていた。先ほど、公爵邸のエントランスでしたやり取りを思い出す。
領主の婚約者として参加するのだからと言うのが、メイド達の主張であった。フレヤのやる気も十分すぎるくらいで。まぁ、彼女がいいならいいか。
「紹介しておきます。彼女は俺の婚約者です」
「お初にお目にかかります。フレヤ・マクダーリドと申します」
「こ、これはご丁寧に」
完璧な微笑みを浮かべたフレヤに、役人達は慌てて自己紹介を始める。父の代からよくやってくれている者達がほとんどだ。彼らの働きによって、問題なく今回も祭り当日を迎えられたのだから。
「お美しいですなぁ」
「そうでしょう。自慢の婚約者ですよ」
俺の言葉に反応して、フレヤがこちらを向く。目が合って、いつも通りに笑みを返した。それに、彼女は照れたようにはにかむ。危な、い……。笑顔が崩れる所だった。
「ほう? なるほどなるほど」
「何です?」
「いえいえ、お似合いだなと思っただけです」
一番の古株オーリー・ベンラルが、ニコニコと和やかに笑む。それが最近よく向けられる類いのものであるのは、直ぐに分かった。やめて欲しい。
「今年で隠居も考えていたのですが」
「はい? 聞いてませんよ」
「考えていただけですからな。しかし、まだまだ見まも――頑張らねばなりますまい!!」
「面白がってます?」
「まさかまさか、微笑ましいなどとは」
「……そうですか」
これ以上つつくのは止めておこう。流すのが得策と、溜息を吐くにとどめた。
いつの間にやら、フレヤは役人達から「あちらの屋台が美味しくて」「こちらのメイン会場では音楽と躍りが楽しめて」などと祭りのオススメを教えて貰っている。真剣に聞いているので、そのままにしておいた。
それにしても、と広場を見渡す。朝も早いと言うのに、今年は領民が多く集まっているように見えた。それに、小首を傾げる。
「今年は領主様が乗り気だと、皆が浮かれておるのですよ」
「何ですか、それ」
「今から言うことは、爺の独り言として流してくだされ」
「……?」
「領地の伝統行事だと言うのに、領主様は毎年毎年やる気がないご様子。挨拶から滲み出る興味のなさ。まぁ、嫌々でも開催されるだけ有り難いか」
淀みなく語られるそれらに、ぎょっとする。どうやら事務的に、淡々とこなしていたことが見透かされていたらしい。いや、まぁ……。それは、そうなるか。
「嫌々だった訳では……」
「まぁ、我々は閣下がいかにお忙しいかを存じておりますからな。しかし、飾り付けられた公爵邸を見ているだけでもワクワクするというもの」
「そういう……」
そういうものですかと、流しそうになって先日のことを思い出す。見上げた先の光景は、確かに俺の心を弾ませたのだったなぁ。
「いや、そうですね。そうなのだと思います」
俺の返答が予想外だったのか、オーリーが目を丸める。ついで、穏やかに目尻を下げた。
「ほほっ、実を言うとですな。領主様を変えた婚約者殿を一目見たいという好奇心も多分にあるようですぞ」
「それは、あまり……」
「自慢なのでしょう? 堂々としておれば良いのですよ。それとも、嫉妬ですかな?」
ニヤリと意地の悪い顔を向けられる。それに、俺は妙な焦燥感を覚えた。
「しっ、と……?」
「これはこれは……。まぁ、ゆうるりと進みなされ」
オーリーはそれだけ言うと、準備に手間取っている若い役人達の方へと歩いていく。後進育成に力を入れているらしいので、助言でもしに行ったのだろう。
「あー……。困るな」
嫉妬。嫉妬、か……。このドロリとしたドス黒いものに名前を付けるとしたら、それが適当なのだと認めてしまうのは、何故か不味い気がした。
《何に困ってるの~?》
《女王様が目立ちすぎている点にじゃないのか》
《そうねそうね。どうしましょうね》
オーリーと代わるように、ノア達が寄ってくる。それに、無理やり思考を切り替えた。
《光輝いて見えてるのは、確実に錯覚なわけなんだけど~》
《ねぇねぇ、相殺するためにディランを発光させるのはどうかしら》
《やめてやれ》
《領主に変な噂が立ったら困るからね~》
挨拶中に俺が発光するなどという荒唐無稽なことにはならずに済んだようだ。思わず苦笑いを溢す。
瞬間、祭りの開会式を告げる役人の声が広場に響き渡った。それに、フレヤが慌てた様子で俺の傍へと戻ってくる。
「も、申し訳ありません」
「いえいえ、面白い話は聞けましたか?」
「はい、更に楽しみになりました」
「それは、よかったです」
彼女がソワソワしていると、俺まで釣られそうになる。しかし、その前に俺には最後の仕事があるため襟を正した。
さて、今年も挨拶は無難に終わらせるつもりであったのだが……。オーリーの言っていたことを思い出して、ついつい渋い顔になる。
《あ~! いいこと思い付いた~》
俺とフレヤの注目を集めるように、ノアは目の前で宙返りをしてみせる。そして、楽しげに目を細めた。
《ボクに任せてよ~。あと、ディランにね》
「……!?」
何をするつもりなのかと問い詰めたかったが、人の目がある以上何も言えず。ノアは引き留める間もなく飛んでいってしまった。
《……何をするつもりだろうか》
《そうね、そうね……。分からないわ》
不安しかない。それは珍しく彼女も同じなようで、眉間にきゅっと皺が寄った。とは言っても、もはやどうすることも出来ない。突飛なことが起こるであろうという覚悟だけは決めておいた。
「では、ここで領主であられるラトラネス公爵様よりご挨拶を賜りたく存じます。何卒よろしくお願い申し上げます」
そう言われて、前へと出る。結局は、例年通りに無難な挨拶を始めた。これ以外に何を言えというのか。
早々に終わらせようと、考えてきた文章を頭に思い浮かべながらそれをそのまま口に出していく。もうじき終わるというところで、視界に入ってきた何かに言葉を切った。
視界を埋め尽くすように降り注ぐ黄色に、目を瞠る。地面に落ちたそれは、花の花弁であるらしかった。
広場にざわめきが広がる。悪戯の首謀者達だけが、尚も楽しげに花弁をばら蒔いていた。
《どう? 良いでしょ~、ひまわり》
どこから集めてきたのか。悪気などなさそうにニコニコと笑むノアに、気が抜けてしまった。思わず、笑い声をもらす。
「ははっ! どうやら、今年は我らが小さな隣人達も星流祭を楽しみにしてくれているらしい。開会を祝して、ひまわりの花吹雪の贈り物とは」
《挨拶なんて堅苦しいことは終わり終わり~》
「妖精達の気が変わらない内に、祭りを始めましょう。どうか皆さん、楽しんでください。よい一日になることを星に願って」
そう締め括れば、後ろでハッとしたかのようにオーリーが「ここで紙吹雪も蒔いてしまえ!」と指示を飛ばす。黄色の花弁に混ざって、色とりどりの紙吹雪が舞った。
それに、広場中から歓声が上がる。少々聞いていた段取りとは違うが、熱気に寄り添うように楽団が演奏を始めた。流石はオーリーだ。
俺はノアと共に後ろへと捌ける。直ぐにフレヤ達が近寄ってきた。
《女王様に集まる視線を逸らせたでしょ~?》
《この短時間でよく集めたな》
《ま~ね~》
ノアは飄々とそれだけ返す。詳細を話す気はないらしかった。
《……? 女王様? どうかしたの~?》
フレヤの顔を覗き込んだノアが一変して、心配そうな声音になる。どうしたのかと、俺も彼女に視線を遣った。
「フレヤ?」
「何だか、こう……。変なのです」
「へん? 何がですか?」
「胸の辺りが……」
彼女もよく分かっていないのか、難しい顔で疑問符を飛ばしている。その様子を見て、ミラがニンマリと楽しげに笑った。
《あらあら? モヤモヤしちゃったのかしら》
「モヤモヤ……?」
《だってだって、ディランの笑顔に黄色い声が上がってたもの! それは、モヤモヤよ!》
ミラの言葉に片眉を上げる。黄色い声など、上がっていただろうか。俺の記憶にはないのだが……。
「公爵様」
「え? はい」
「モヤモヤします」
「そ、れは……」
意味が分かっていて言っている訳ではなさそうだな。どう返すのが適切か分からずに、曖昧に眉尻を下げて笑む。
「それは大変だ。存分に祭りを楽しんで頂かなければ。後のことは我々にお任せを」
「オーリー……」
「モヤモヤを晴らして差し上げてください」
「やはり、面白がってますよね?」
「まさかまさか、甘酸っぱいなどとは」
《そうよねそうよね! 甘酸っぱいわよね!? 分かってるじゃないの!》
「……そうですか」
あらゆる意味で溜息を吐いた。まぁ、オーリーの言うことも間違いではないのかもしれない。しかし、祭りを楽しめば彼女のいうモヤモヤは晴れてくれる類いのものなのだろうか。
「まぁ、楽しそう」
《そうでしょ~? ディランと踊ってきなよ~》
《モヤモヤ? とやらもなくなるかもしれないぞ》
知らぬ間に、ノアとレオがフォローをしてくれていたらしい。彼女の目は、楽団の演奏に合わせて楽しげに踊る人々に釘付けになっていた。
「踊りますか?」
「え? その……。先生に教えて頂いたダンスと違っているので」
「あぁ、なるほど」
《あれはね~。フォークダンスだよ~》
「フォークダンスはみんなで楽しく踊るものですから。初めてでも問題ありません」
「そうなのですか?」
「はい」
かく言う俺も参加するのは初めてだ。毎年毎年、ずっと眺めてはいたけれど。
《でもでも、待って! フォークダンスは踊る相手が変わっちゃう! ディランを取られるわ》
《いや、言い方~》
《そういうダンスなのだから》
「公爵様が取られる……?」
ノアの言う通り、ミラは言い方が悪い。そのせいで、フレヤが再び難しい顔で悩み出してしまった。これは、致し方ないな。
「じゃあ、こっそり踊りますか?」
「こっそり?」
「実は、俺もフォークダンスは初めてなので」
そう言いながら、手を差し出す。彼女は目を瞬くと、ついで嬉しそうに笑んだ。「一緒ですね」と、フレヤは俺の手を取る。
折角の祭りだ。彼女だって楽しみにしていたのだから。それは勿論、俺も。特別扱いは、婚約者の特権だと誰かが言っていたような、言っていなかったような。
「音楽に身を委ねて」
何度も何度も頭の中で繰り返し踏んだステップだが、実際に踊るとなると……。練習しておけば良かったかな。
彼女と共に、その場で一度ターンする。ドレスの裾が優雅に揺れた。
対照的に、見よう見まねの少々不格好なダンスになっているであろう俺を責めるでもなく。同じくらい辿々しく、けれど楽しげにフレヤが踊る。
そんな彼女の笑顔を見ていると、上手い下手などどうでもよくなってきて。煌めく光景に、ただただ俺は目尻を下げた。