12.妖精のいる国
あれから彼女が倒れることはなく。俺も彼女に余計な心配をかけないよう努力はした。
まぁ、頭痛薬を飲んだのを妖精達に密告されたりしたが。お陰で軽い頭痛だから薬も弱いものだと必死に弁明する羽目になった。
「――ですので、警備の配置は」
今日は会場や当日の流れの最終確認のため、広場を訪れている。祭りの準備も最終段階。役人の話を聞きながら視線を巡らせた。
ここ数日の間に、すっかり広場の雰囲気は祭りの華やかなものに変わっている。設営はまだ途中のため、ガヤガヤと賑やかだ。
「以上です。如何がですか?」
「良いですね。上々です」
俺の反応に、役人達は安堵の表情を浮かべる。それに、俺は笑みを返した。役人の横に浮かぶ妖精に視線がいかないように耐えながら。
視界の端でその妖精が嬉しそうに、一人の役人の周りを踊るように飛んでいる。……気が散る。いったい何をやっているんだ。
《わーい! よかったね。頑張って準備したもんね》
喜んでいる、ようだ。あぁ、そうか。たしか妖精は好きな者か嫌いな者の近くにしか寄ってこないのだったな。ということは、だ。この役人はこの妖精に好かれているということになる。
「閣下?」
「……何ですか」
「お疲れでしたら、少々休まれては?」
結局は妖精に気を取られ過ぎてしまったらしい。気遣わしげに見てくるエズラに、へらっと笑みを浮かべて取り繕う。
しかし、エズラは誤魔化されてくれなかった。あの一件以来、フレヤが事あるごとに心配したような視線を向けてくれるので、周りの者も釣られている気がする。
「本当に疲れているとかでは」
いつもなら引き下がるエズラが、疑わしげな視線を向けてくる。それにただならぬ空気でも感じたのか、役人達が「休憩されるなら、あちらのテラス席で」「珈琲も紅茶も用意できます」などと言い出し。
押しに負けて、俺は小休止を挟むことにした。まぁ、ここでの俺の仕事はもう終わったから良いか。あとは、現場の者に任せよう。
パイプタバコを取り出し、リップをくわえる。ゆっくり息を吸いこみながら、表面全体に円を描くように火をつけた。軽く二回ほど吸い込み、吹き戻す。するといつも通りに、チャンバーから煙が立ち上った。
ふわりと豊かな香りが広がる。それに、一息ついた。広場は相も変わらず賑やかだ。まぁ……。人間だけがいる訳ではないので、当然か。
《ねぇねぇ、これって何してるの?》
《知らねーのかよ、祭りがあんだよ》
《初めて来たから知らなーい》
《ボクも!》
《ワタシも~》
楽しげに会話をしながら、妖精の集団が俺の横を通り過ぎていく。ノア曰く、女王のフレヤがラトラネス領にいるので、妖精達もここに集まってきているのだとか。
――ここは、妖精のいる国だぞ。
レオの言葉が脳裏に浮かぶ。俺は今まさに、その言葉の意味を理解し、痛感していた。
漂う紫煙の向こう側で、妖精達が飾りを浮かせて眺めているのが見える。……浮かせ、て?
「わぁ! ママ見て! お星様が浮いてるー!」
「おわーー!? 近づいちゃいけません!!」
《この星飾りはどこに付けるのだろうか》
《好きな所に付けたらいーじゃん》
「すごーい! 妖精さんかなぁ?」
「妖精!?」
大騒ぎする親子とまるで気にしていない妖精二人が対照的で、何とも言えない気持ちになった。
そういえば、邸の飾り付けをミラが手伝っていたなぁとそんな事をふと思い出す。ミラはバレないように上手くやっていたが。
「ほっほっほっ、今年は何故か妖精が沢山来とるの~」
「おじいちゃんは、妖精さんと仲良しなの!?」
「まさかまさか。妖精は気紛れじゃからな」
「そうなの?」
「こんなに賑やかなのは、何十年ぶりか。久方ぶりにあれが見られるかもしれんなぁ」
少年の祖父なのだろうか。彼の視線を追った先には、妖精達が自由気ままに遊んでいる風景が広がっていた。
それに、頬を引き攣らせる。しかし、領民達は驚きつつもそれを受け入れているようだった。
俺は彼女と婚約を結ぶまでは、妖精の存在を感じたことなどなかった。だが寧ろ、そちらの方が稀だったのかもしれない。
「妖精によって栄えた国、か」
俺にとっては本の中のお伽噺だったそれは、市井の人々にとっては史実であり、そして今もなお続くただの日常でしかなかったらしい。
昔の俺に言ったところで、鼻で笑われて終わりそうだな。世界はお前が思っているよりも遥かに広いというのに。
《やっほ~。ディランお仕事頑張ってる~?》
突然視界に現れたそれに、驚いてタバコの煙を強く吸い込んでしまった。そのせいで、久方ぶりに噎せる。何とか音が小さくなるように抑えたが、こんな失態は初めてタバコを吸った日以来だ。
《あはっ! びっくりしちゃった~? そんなつもりはなかったんだけど~》
「ゲホッ、ノア……」
《し~……。エズラが来ちゃった》
思わずノアを恨がましく睨んでしまう。しかし、ノアはどこ吹く風で自身の唇に人差し指を当てながらコロコロと笑うだけだった。
「閣下!? どうされたのですか!?」
「ゴホッ、大丈夫です、んんっ、何でも、ない」
ノアの言った通り、エズラが珈琲を持って近寄ってくる。慌てた様子に片手を上げて、心配はないと制した。
「……珍しいですね」
「え? あぁ、いや……。妖精に軽い悪戯をされたようです」
この国では普通のことだ。隠すのも可笑しいかと思い直して、素直に白状しておく。
「そうでしたか……。ついに、閣下にまで」
「……?」
《ボクはね~。エズラに悪戯するのが、だ~い好き》
思わずノアに視線を遣ってしまった。それに、エズラが怪訝そうな顔をする。エズラからそんな話は聞いていないのだが……。
「あー……。エズラ」
「はい」
「何か困ったことがあれば、言ってくれていいんですよ?」
「……? いえ、私は特に」
「そうですか……」
《無反応なのが面白いんだよ~》
エズラの胆力が凄まじいことを再確認したのだった。
ノアは何をしにやって来たのか、一通り広場を見て回ったあとは俺の側で大人しくしていた。それは、邸に帰る馬車の中でもずっと。
邸でフレヤに迎えられ、そのまま彼女についていくのだろうと思っていたのだが。何故かノアは俺についてきて今現在、執務室にいた。
《何でここにいるのかって顔してる~》
「それはそうでしょう」
《女王様はもう大丈夫そうだからね~。久しぶりに別行動》
「ずっと側にいる訳でもないんですね」
《ん? まぁ、ミラとレオがいるから~。順番だよ順番》
「なるほど」
ノアとレオ、ミラは女王の御付であるのだろうと思う。この三人以外が彼女に気安く寄る所を見ないからだ。
《それに、公爵家の警備は信頼してもいいかなって~》
「それは、光栄ですね」
《お祭り本番も護衛はつくんだよね?》
「勿論ですよ」
《会場の警備も大丈夫そうだったな~。心配はなさそうか……》
ノアが思案するように目を伏せる。それに、こちらは目を瞬いた。
「もしかして、会場の下見をしてたんですか?」
《当たり前でしょ~。ボクらは妖精だからね。妖精だからこそ出来ることもあれば、妖精だからこそ出来ないこともあるのさ~》
「へぇ……」
《女王様の正体は隠しておかないとね》
真剣な声音だった。妖精の女王は人前に現れたことはない。何故か。今のノアの発言がその答えの全てなのだろう。
《そうだった~。ねぇねぇ、ディラン》
「何ですか?」
《ボクらに出来ないことだから、お願~い。あの何とか子爵家の行儀見習い、追い出して》
「……は?」
一変していつも通りのゆったりとした声で発されたそれに、間の抜けた声が出た。声と内容が合っていない。
「子爵家の行儀見習い……。ウィロウのことですか?」
《違うよ~。ウィロウは優秀。侍女に推薦してもいいぐら~い》
「侍女に……。考えておきます」
《うんうん。じゃなくて、もう一人いるでしょ~》
「子爵家……。あぁ、はい。いますね」
《軽~い》
「父と交流のあった家門で、俺はそれほど。長女だったかな。父が約束をしてしまっていたので、受け入れたんですよ」
初日に会ったくらいで、すっかり忘れていた。というか、まだいたのか。これは、もうそちらでいい嫁ぎ先を探してくれませんかという事だろうか。いや、ノアがこんなことを言い出したということは……。
《女王様に対して、攻撃的っていうか~。嫌みったらしいっていうか~》
「それは、つまり……」
《人間の横恋慕って分かりやすいよね~》
やはり、そういうことか。最初は正妻の座を狙っていたのかもしれないが、これはお手付きになってこいとでも言われたかな。碌なものではない。
「分かりました。出来るだけ穏便に帰って貰います」
《そんなにあっさり了承しちゃうの~?》
「約束は守りましたからね。あちらも婚約者のいない娘に悪評がつくのは避けたいはず。まぁ、フレヤが気に病むような事態にはなりませんよ」
《さ~すが~、王配。これくらいは余裕だよね~》
「おうは、い?」
《女王様と同じような顔してる~。ディランは女王様と婚姻を結ぶんだから、ボクらの王配でしょ~》
衝撃的な事実に、言葉を失う。いや、確かに可笑しなことは言っていない。しかし、俺が妖精達の王配? 無理がないか。
「具体的に何をすれば」
《王配の役割? そんなの一つだけだよ~。女王様を大切にた~いせつに! してくれればいいのさ~》
「なる、ほど……?」
俺にそれが出来ているのかは、甚だ疑問だが……。そんな自信のなさがノアに伝わってしまったのか、ノアは小馬鹿にしたように首を左右に振ったのだった。