11.真実は碌なものではない
抱きすくめたフレヤが、オロオロと困っているのが伝わってくる。しかし、俺の中でもう少しという我が儘が頭をもたげた。
《女王様! そこで、ぎゅっとするのよ!》
「……えぇ!?」
《ほらほら! そこよ! ほら!》
《ちょっと難易度高くな~い?》
先程までの静寂は何だったのか。ミラが興奮した様子で俺達の周りをくるくると飛ぶ。
《ぎゅぎゅっと! 腕を背中に!》
回してくれるのだろうか。急激に冷静になってきた頭がそんなことを考えた。ノアの言う通り彼女には難易度が高いようで、腕を上げたは良いものの迷うようにオロオロと宙をさ迷っている。
《ボクらの女王様をいじめないでくださ~い》
「人聞きの悪いことを」
「こ、このままでは公爵様のせいに」
「え?」
慌てたような彼女の声に顔を覗き込もうとしたのだが、それは叶わなかった。背中に彼女の腕が回り、抱き締められる。ミラが嬉しそうな悲鳴を上げたのが聞こえた。
「……っ!?」
あぁ、もう……本当に。あらゆる面で、貴女には敵わない。期待、してしまう。何の不安も警戒もなく。こんな甘い考えが許されるのだろうか。
《んんっ!! いつまでそうしているつもりだ》
唯一、黙って見ていたレオが大きな咳払いをする。それに、フレヤの腕がパッと離れていった。流石に不味いかと、俺もゆっくりと彼女から離れる。
覗き込んだ彼女の顔は、赤く染まっていた。目が合って、恥ずかしそうに両手で顔を隠されてしまう。
「すみませんでした」
「……?」
《それは~、急に抱き締めて? それとも、怒鳴って?》
「そのどちらも」
フレヤの手が少し下にずれる。じっと見てくる瞳に、眉尻を下げた。そんな俺に彼女は、不思議そうな顔をしながらも首を左右に降る。
「私の方こそ、不慣れで……。ミラのアドバイスがなければ気の利いたことも出来ず」
《この前の膝枕は完全なる暴走だと思うけどね~》
《何よ何よ! それはもう怒られたもん》
《ノアにしこたまな》
なるほど。それは情報源を黙秘するしかない。あの時のことを思い出して、納得した。しかし、これは……。先程のミラの様子からして、面白がっているようにも感じるな。
《でもでも、ディランだって嬉しかったわよね?》
何処か誇らしげな表情を浮かべたミラに、ニコッと圧力をかけておいた。こちらとしては、決して褒められたことではなかったので。
《ぴえっ!? やだやだ、レオ守って!》
《断る》
《ディランも怒ると怖いタイプよ!》
《怒られるようなことするミラが悪いよ~》
《その通りだな》
《うわーん! どうして誰も味方してくれないのよ!!》
どうにも妖精達が気まま過ぎて、話があっちへこっちへと脱線する。彼女は慣れているのか、特に何も言わなかった。これは、そういうものだと割り切った方が良さそうだ。
《でもさ~。ディランが怒鳴ったことは、怒っていいと思うな~》
《そうだぞ。ディランも怒っていいと言っていただろ》
「もう怒ったわ」
《あれは怒ったって言うのかな~。ビミョ~だけど、まぁ……》
《しかし、怒鳴ったことについては怒っていないぞ》
「……? もしかして、私は的外れなことを言ったのかしら」
《当たらずも遠からず~》
彼女が衝撃を受けたような顔をする。時折、何がどうなってそんな結論に達したのかということがあったが……。どんどんと疑問が解消されていく。
「た、確かに、その……。びっくりはしました。公爵様のそんなお姿を初めて見たので」
「本当に、すみませんでした」
「いえ、あの、良いんです。父の怒鳴り声で慣れてますから」
何でもないことのように発されたそれに、最初に思ったのは“あぁ、最悪だ”それだけだった。俺が同じことをしてどうする。
「慣れないで」
「え?」
「慣れないでください。そんなこと、慣れないで……」
祈るように、それだけしか言えなかった。
「わ、分かりました。えっと……」
「フレヤ?」
「もう公爵様が怒鳴らなくて済むように、私が魔法の練習を沢山します」
フレヤは両拳を握ると、キリッとした顔を作った。それに、俺だけではなく妖精達も目を点にする。何故そのような斜め上の考えに。
《“倒れないように”、練習するのは賛成ではあるけどね~》
「頑張るわね。任せてください」
「待ってください。ちょっと、混乱していて」
《何でディランのためなんだ》
「だって……」
《だって~?》
「ずっと公爵様が傷付いた顔をされてるから。私はそちらの方が嫌なの」
言葉を失った。これは、逆に胸を抉る。いや、そんなことを思うこと自体も自分勝手だ。嫌になるな。
《させとけば良いんだよ~》
《悪いのはディランだからな。勝手に傷付いていればいいんだ》
《そうよそうよ。女王様が気にすることないわよ》
「えぇ? そう、なのかしら。でも、ううん……」
フレヤが納得のいかなさそうな顔で考え込む。妖精達はやれやれと呆れたような視線を俺に向けた。この話はもう終わりにしろと、ノアの目がそう言っている。
俺みたいな人間には、妖精達の言い分の方が有難いのかもしれないな。勝手に傷付いて、勝手に反省してろと。それに彼女を巻き込むのは、やめよう。
「フレヤ」
「はい、何でしょうか?」
「“父の怒鳴り声”について、詳しく教えて頂けますか?」
「父の……?」
「勿論、嫌ならいいんです」
「そのようなことは。ただ、私に向かってではなく……。いえ、私に向かってなのかしら」
どう説明したものかと迷うように、彼女が頬に手を当てる。ノアに視線を遣れば、ノアはレオに聞けと言うように視線をレオへと向けた。
《正確に言うならば、俺が作った幻の女王様に向かって怒鳴っていた、だ》
「幻?」
《本人の目にしか見えん幻だ。時折、虚空に向かって拳を振るっていた。何とも醜悪な人間よ》
《弱き性~》
「みんなが気にする必要はないと言うので、私は特に何も」
「なるほど。そういうことでしたか」
彼女は大切に守られているらしい。女王にのみ尽くして生きる、我らが小さな隣人に。ということは、やはりフレヤが女王で間違いはないのか。
「因みに、彼らは妖精で良いんですよね?」
「え? ええと、みんながそうだと」
「いつから一緒に?」
「小さい時からずっと」
《女王様が産まれた時から一緒~》
「らしいです」
どうやら、彼女の情報源も彼らしかいないようだ。しかし、まぁ……。当たり前のことか。他に誰がそんなことを知っているというのか。
確かなことは、妖精達は彼女のことを女王様と呼び、彼女もそれを受け入れている。そして、ノアの性格からして彼が本物の女王以外に尽くすことはないだろうということ。
何よりもこの奇怪な状況を説明するには、彼らは妖精で、彼女は女王である。そう結論付けるのが一番、理に敵ってはいる。
《ディランに~、いいこと教えてあげよっか》
俺の胸中を知ってか知らずか。思考を遮るように、ノアが俺の前で気を引くように一回転して見せる。
「いいこと、ねぇ……」
《んふふ~。本当にいいことだ~って》
「何です?」
《レオが幻を贈ったのは、伯爵だけじゃないんだ~》
「へぇ……」
つまりは、そういうこと。離れに閉じ込められていた時点で予測は出来ていたが何とも。レオが言った通りに醜悪なことだ。
ノアが楽しげに瞳を細める。悪戯を企むようなそれは、直ぐに消えておっとりとした笑みに変わった。
《ね~? 女王様》
「そうだったわね。あれは何をしていたのかしら」
「あー……。何でしょうね?」
《女王様は継母も、異母妹も異母弟も。ぜ~ん然、関わったことないからね~》
「実はシャーロットとちゃんと話したのは、パーティーが初めてだったのです」
《正直、伯爵のこともそんなに知らないよね~。まともに会話したことないも~ん》
「そうね。私は、そのために産まれたのに……。結局は最後の最後まで、お父様の興味を引けなかったから」
フレヤが寂しそうに笑む。それに、彼女の口から実母の話を聞かない理由におおよその検討がついた。碌な思い出などないのだろう。
――何故マクダーリド伯爵なのかと、皆が口を揃えたよ。それが、結果として彼女の幸せを奪ってしまったのかもしれないがね。
彼女の母親は、マクダーリド伯爵のことは心の底から好いていたらしい。フレヤは伯爵の気を引くための子、か。二度とそんな言葉、彼女が口に出さなくてもいいようにしなければ。
それにしても、リグトフォスト辺境伯が聞いたら卒倒しそうだな。渡す情報は慎重に選別した方がいいだろう。
《女王様は、伯爵家の人達のことさ~。好き?》
「好き……とも、嫌いとも。そう思える程に、皆さんのことを知らないの」
《そっか~。じゃあ、仕方ないよね~?》
「うん? そうね」
ノアが意味ありげな視線を向けてくる。まさかリグトフォスト辺境伯との会話を知っているなんてことは……。あっても可笑しくはないな。
ノアが態々確認してくれた感じでは、彼女は伯爵家のことを特に何とも思っていないらしい。ならば、地獄に落としても大丈夫だろう。さて、ではどう手回ししたものか。
ニコニコと笑うノアを不思議そうに見つめている彼女に、頬を緩めた。瞬間、扉がノックされる。入ってきたケイレブが、起きているフレヤを見て目を丸めた。
「ケイレブ? どうしたの?」
「だ、旦那様、奥様、奥様が!」
「あぁ、ええと……。見ての通りです」
「医者を! 呼んでまいります!!」
大慌てで部屋から飛び出して行ったケイレブに、悪いことをしたと苦笑する。遠くの方で、使用人達の大騒ぎする声が聞こえた。