09.自称妖精達の言うことには
あの奇怪な状況から離れたからだろうか。冷静に回り出した頭が、次々に疑問を浮かび上がらせる。
まず、あれらは本当に妖精なのか。信用に足る存在なのか。あれらとフレヤを一緒にしてきたが大丈夫なのか。
あれらの言うことを信じると仮定した場合、いつからフレヤの事を知っているのか。ずっと一緒にいたのなら、俺の知りたい情報を持っている可能性が高い。どう聞き出すか。
朝食前から食事中、エズラに押し込められてした入浴の間もずっと思考を巡らせる。俺が考え事に夢中になっている間に、気付けばいつも通りにきっちりとした格好に整えられていた。
「特に外出の予定もないのに」
「急な訪問客は追い返すということでしょうか」
「それは……。流石に不味いか」
「それに、あのような格好を奥様に見られてもよろしかったのですか?」
「……そんなに酷い有り様でした?」
「どうでしょうね」
エズラは明言を避けたが、言い方からしてそうだったのだろう。昨日の記憶はどうにも曖昧で。今日も今この瞬間まで一度として鏡の前に立っていなかったので、これ以上は何も言うまい。
「閣下、このような時に恐縮ではございますが……」
「あぁ、昨日途中で放り投げた仕事ですね」
「左様でございます」
急ぎの案件で、本来ならば昨日の内に終わらせなければならなかったものだ。これ以上、待たせる訳にはいかない。
「分かってます。やるので、彼女の眠っている部屋へ」
「畏まりました。直ぐにご用意します」
エズラが一礼して、部屋を出ていく。俺は最後に再び姿見へと視線を遣った。あまり気にしたことはなかったが、少しやつれたかもしれない。これでは、心配されて当然だな。
情けなさや遣る瀬なさに溜息を吐き出す。頭を軽く振って、切り替えた。私情を仕事に持ち込むわけにはいかない。襟を正し、俺も自室を後にした。
《あれ~? なんかスッキリしたね~》
ノックをして部屋を開けた先には、相も変わらずふわふわと宙に浮く妖精が三人。目敏いノアの指摘に、苦笑した。
「これでも、公爵家当主なので」
《なるほど~》
《貴族も大変だな》
《でもでも、最低限の身嗜みは普通のことよ》
「まぁ、確かに」
小声で妖精達と会話をしながら、彼女の横たわるベッドへと近寄った。一向に起きる気配のない彼女を見ていると、本当に目覚めるのかと不安になってくる。
《まさかまさか! キスするつもりなの!?》
「……は?」
《だってだって、キスで目が覚めたり》
《するわけないでしょ~。ミラは馬鹿だね》
《寝込みを襲うのはどうかと思うぞ》
《やめてやめて!! これはロマンチックなお話なのよ!!》
猛抗議しているミラに、やれやれといった様子でノアとレオは深々と溜息を吐き出す。どうやらミラは童話の見過ぎのようだ。
《不敬で怒っちゃうぞ~》
《ぴえっ! やだやだ、ディラン守って!》
「俺が?」
《ノアは怒ると怖いんだから!》
「怒られるようなことを言ったミラが悪いですよ」
《その通りだな》
《うわーん! 味方がいないわ!!》
随分とまぁ……。愉快な妖精達だ。
不意に視線を感じて、騒いでいる三人から視線を移す。窓の外からこちらを覗き込んでいる複数の何かに肩を跳ねさせた。
「なんっ!? え? あれは……妖精、でいいんですよね?」
《ん~? あぁ、そうだよ。妖精がボクらだけなわけないでしょ?》
《ここは、妖精のいる国だぞ》
《いきなり囲まれたらびっくり所じゃないかな~って配慮だよ。本来なら、公爵邸の中にもちらほら妖精達が飛んでるんだ~》
「なぜ?」
《そうだな~。女王様がいるからとか。そういう気分だったからとか。いろいろ~》
前半はまだ理解が出来る。しかし、後半は何だ。そういう気分とは? いや、そうか。妖精は気紛れな生き物だったな。寧ろ、それが通常なのだろう。
《静かに! 誰か来たぞ》
レオの言葉に、口を噤む。おそらく、エズラだろうとは思うが。
「閣下、入ります」
「どうぞ」
予想通りエズラが書類を、その後ろから机と椅子を持った使用人達が入ってくる。手早くそれらを配置すると、直ぐに彼らは部屋を出ていった。
《仕事するの~?》
「えぇ、まぁ……」
《急ぎの案件って言ってたもんね~》
「よく御存知で」
ノアは俺の言葉に、ニンマリと悪戯な笑みを浮かべた。行く手を阻むように、俺の前へとやってくる。
《てっきり、ボクらに質問の嵐かと思ってたのにな~?》
「それは……。聞きたいことは多々ありますよ。当たり前でしょう」
《だよね~。でもひとまずは、信用してくれたってこと?》
思わず眉根を寄せた俺に、ノアは態とらしく肩を竦めた。
《女王様が目覚めないことにはって感じ~》
《致し方あるまい》
《えぇ!? そうなの!? 疑り深いこと》
《それが普通だろう》
《どうかな~。そうかも~。分かんな~い》
《ノア、お前こそ女王様に叱られるぞ》
《えへっ! 女王様以外の人間とこんなに会話したことないから、楽しくって~》
《加減すべきだ》
《そうする~》
レオに注意をされたノアが、素直に俺の前から離れる。何というか、ノアはよく聞く妖精のイメージそのままといった感じだな。
《まぁ、正直に言うとオレも距離感を測りかねてはいるけどな》
「俺もですよ」
《ひとまず、女王様の警護は問題ない。仕事に集中するといいぞ》
それだけ言って、レオは彼女の方へと飛んでいく。言葉の通りレオは彼女の護衛なのか、ベッドボードの上に腰掛けた。
それを横目に見ながら、俺も椅子に腰掛ける。警護。警護ねぇ。確かにレオは気配に敏感なようではあったが。
――辿り着けなかったのですよ。
ふとリグトフォスト辺境伯の言葉を思い出す。なるほど。そういうことであるのなら、納得は出来そうだ。
退屈そうにミラがベッドの上に寝そべる。あれは不敬にはならないのだろうか。まぁ、フレヤならば許しそうだな。
彼女が妖精達の女王、か。信じられない気持ちは勿論ある。しかし、どこか腑に落ちている自分がいるのも確かだった。
妖精達から卓上の書類へと視線をスライドさせる。早く終わらせてしまおう。とはいえ、大半は昨日の内に確認したので、そこまでの作業量ではないか。
レオは信用出来そうだと判断して、言葉に甘える。書類を昨日の続きから手に取った。
「……なるほど」
ミスの大本はここか。まぁ、大した損失は出なかったようだが、始末書で済む問題でもない。何らかの処分を下さなければ、他の者に示しがつかないだろう。
《ディラン、見て~。嘆願書だってさ》
「はい?」
書類の一番下にあったらしいそれをノアが浮かせる。直ぐには見慣れないその行為に、驚きながらも書類を受け取った。
ミスを犯した者の上司だろうか。慈悲を求める内容に、目を伏せる。どうしたものか。
《許しちゃうの~?》
「いえ……。何かしらの処分は下しますよ。ただ、少し軽めのものになるかな」
《減俸とか~?》
「詳しいですね」
《ま~ね~》
ノアは俺の仕事に興味があるのかないのか。机の上の書類を眺めて回っている。見られていいものでもないが、妖精に何を言っても無駄だろう。そのため、好きにさせている。
《ディランは優秀だね~》
「そうでもありませんよ」
《え~? うそつき~》
決定事項を書きながら、ノアの軽口を受け流す。最後のサインを書き終え、ペンを置いた。書類を一纏めにし、息をつく。
《だってさ~》
「何です?」
《ディランは、仕事の選別が上手いでしょ?》
「……?」
《伯爵は下手っぴ過ぎて、お笑いだったよ》
ノアが嘲るようにクスクスと嗤った。
《折角、ボクらがチャンスを用意したのにね~》
「つまり、急に仕事の話が大量に舞い込んできたのは」
《“妖精達がいるだけで、様々な恩恵が得られる”、でしょ?》
「あー……。“良いことも運んでくる”?」
《んふふ~、女王様に感謝してよね~》
一変してノアは、穏やかに笑む。聞きたい事はやはり山ほどあるが、そんな空気でもなくなってしまった。
眠り続ける彼女を見遣る。早く貴女の声が聞きたい。なんて、そんな事を願う資格が俺にあるのだろうか。