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07.忙しいは言い訳にならない

 書類にサインをして、ペンを置く。急に処理しなければならない仕事が入り、フレヤとのアフタヌーンティーはキャンセルとなった。

 苛立ちにも似たモヤモヤとした黒い何かを深く呼吸をして落ち着かせようと試みる。しかし、頭に走った痛みにそれは失敗に終わった。

 あぁ、今日は昼からゆっくり出来る予定であったのに。机に肘をついて、額をおさえた。酷くなっていく頭痛に、呼吸が浅くなっていく。これは、どうにもならないな。

 ベルを鳴らせば、エズラが執務室へと入ってきた。俺の様子を見て察したのか、足音がこちらへと早急に近付いてくる。


「閣下」

「薬を持ってきてください」

「しかし」

「はやく!」

「……畏まりました」


 エズラは一礼して、執務室から出ていった。扉が閉まる音に、目を瞑る。痛みが鮮明になった気はしたが、再び瞼を上げることは出来なかった。

 いつからだったか。もはやこの頭痛は当たり前になりすぎて、そんな事も覚えていない。この程度で仕事を疎かにするわけにはいかないのに。


――どうして、こんな簡単なことも出来ない!! 何のためにお前を作ったと思っている!?


 父は一度として俺を褒めはしなかった。


――私は務めを果たしただけ。公爵家を継ぐ子が必要だったのよ。


 母は興味がなさそうにそう言った。

 俺は公爵家を継ぐために産まれた子だ。立派な後継になれなければ、存在する意味はない。


――良いよなぁ。本家の嫡男ってだけで、次期公爵なんだから。


 従兄弟はそうせせら嗤った。


「うるさい」


――俺の方が相応しい! 邪魔なんだよ! クソッ! お前みたいなのに、務まるわけがない!!


「そんなこと」


――お前が死ねば良かったんだよ!!


「……知ってる」


 頭が割れるかという激痛が走り、思わず呻く。そのまま、ズルズルと机に伏した。

 うまく、やらないと。全部。完璧に。でなければ、俺が生きていていい理由がなくなる。

 這い寄る暗いモノに引き摺られないように、ぐしゃぐしゃと髪を乱す。分からなくなる。ダメだ。なぜ俺は……。考えるな。


「公爵様……?」


 こちらの様子を窺うように、そっと呼び掛けられる。その声音に、目を開けた。痛みで頭が碌に働かない。


「エズラ?」


 緩慢な動きで顔を上げる。そこに立っていた人物は、エズラではなかった。さらりと綺麗なスカイブルーの髪が揺れる。それに、目を瞬いた。

 彼女の持つトレーには、薬が入った小瓶とコップ。それに、ピッチャーが乗っている。どうして、彼女がそれらを運んできたのか。


「休まれた方がいいです」

「え、あぁ、大丈夫ですよ」


 いつも通りに、へらっと笑う。笑えている筈なのに、彼女は険しい顔をした。


「薬の飲みすぎは、お体によくないと聞きました」

「問題ないです」


 俺の言葉を否定するように、彼女が首を左右に振る。トレーを持つ手が、力を入れすぎているのか白く見えた。

 あぁ、頭が痛い。早く薬を飲まなければ。


「いいですから」


 そのために、持ってきたのだろう。


「でも」


 何なんだ。もう、何でもいい。


「公爵様」

「うるさい!!」


 衝動のまま机を叩く。怒鳴るように言葉を吐き捨てた。

 ガラスがぶつかり合う耳障りな音がして、ハッとする。視界に捉えた彼女は、身を固めて下唇を噛んでいた。


「あっ……」


 俺の口から情けない声が漏れでた。痛みで思考が鈍る。言わなければならない言葉は、喉につかえて出てきてはくれなかった。

 彼女が恐る恐るとトレーを俺の執務机へと置く。倒れた小瓶を掴むと、それを投げ捨てた。絨毯の上を転がっていく小瓶に、今度は間の抜けた声が俺の口から出る。


「なに、を?」


 彼女が俺の手を取った。呆然とされるがままに、その手が彼女の両手に包まれるのを眺める。


「公爵さま」


 泣きそうに彼女の声が震えた。一気に焦燥に駆られる。視線を上げた先の彼女は、どうしてか柔らかに微笑んでいた。


「ごめんなさい」


 それに俺が反応を返すよりも早く、彼女の両手から光が溢れだす。急なことに目を閉じたのは一瞬で。直ぐに消えた光に、混乱しながらも瞼を抉じ開けた。

 視界の中で、彼女の体が傾いていく。時間の流れが遅くなったかのような錯覚。

 非現実的で、体は石にでもなったかのように動かなかった。重いものが地面に落ちた時と同じ。ドサッという音がやけに耳につく。


「……フレ、ヤ?」


 一拍遅れて、フレヤが倒れたのだと脳が理解する。瞬間、急激に心臓が鼓動を早めた。

 焦って立ち上がったせいで、椅子が大きな音を立てて倒れる。そんな事はどうでもいい。彼女の側に膝をついて、力の抜けた体を抱きかかえた。


「フレヤッ!」


 呼び掛けに反応はなかったが、呼吸はしっかりとしている。まるで、ただただ眠っているだけのように見えた。

 状況を整理したいが、せり上がってくる恐怖が思考を掻き回す。辛うじて、医者を呼ばなければという至極当然な考えに辿り着いた。


「だれか、エズラ、誰でもいい……っ!!」


 机に手を伸ばす。上手くベルを掴めずに、もたついた。やっとの思いでベルを鳴らす。

 無茶苦茶に鳴らしたせいか、誰かがノックもなしに飛び込んできた。


「どうされましたか!?」

「医者を呼べ! 早く!!」


 目を丸めたエズラと目が合う。それは一瞬で、即座に踵を返したエズラの半ば叫ぶような指示の声が何処か遠くで響き渡った。


「フレヤ、フレヤ……ッ!!」


 そこからは、あまりよく覚えていない。気が付いた時には、彼女はベッドの上で横になっていた。

 医者の話では、特に異常は見当たらなかったそうだ。原因不明。ただ、意識を失っているだけなのだと。

 何かを言う気力もなく、それをぼんやりと聞いていた記憶はある。あれから何時間経ったのか。確認する気も起きない。


「閣下、少し休まれては?」


 いつの間に椅子の側まで来ていたのだろう。エズラの声がしたものの、視線を彼女から外すことはしなかった。


「あまり眠れていないのでしょう?」


 別に隠していた訳でもないが、エズラには言わずとも分かるか。確かに最近、夢見が悪く寝不足の自覚はあった。

 しかし、エズラの忠言に首を左右に振ることで答える。特に何が出来るでもないが、彼女の側から離れたくなかった。


「……っ、左様で、ございますか」


 エズラは何か言いたそうにしながらも、引き下がる。扉が閉まる音がしたので、気を利かせて部屋から出たのだろう。


――ごめんなさい。


 彼女の言葉が何度も何度も頭を回る。どうして、貴女が謝るんだ。


「それは、俺が……」


 一層のこと、罵ってくれれば良かったのに。皆、そうした。失敗作な俺を。

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