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04.時に驚くことを言う

 慌ただしく日々は過ぎ、急ぎの仕事を全て終わらせた今日。ラトラネス公爵家の領地へと向かう鉄道に乗るため、駅までの馬車の中で俺は深く息を吐き出した。

 ひとまず仕事の方は、一段落。しかし、祭りの用意はこれから。他にも考えなくてはならないことは多い。

 鈍い痛みを訴える頭に、目を閉じた。もう直、頭痛薬が効いてくる筈だ。主治医は渋っていたが、強いものを処方して貰ったから問題はない。


――これ以上は、おやめになられた方がよろしいかと……。


 やめられるなら、そうしてる。痛みのせいか、無性に苛立つ。あぁ、ダメだな。まずい。落ち着かなくては。

 前に座る彼女の気遣わしげな視線を感じて、気を静めるために深く呼吸をする。フレヤは何も悪くないのだから。

 そうしている内に薬の効果か、頭痛が治まっていく。やっと目を開けた俺の視界に、大人しく車窓から外を眺めている彼女の姿が最初に映った。

 どうやら、結局は気を遣わせてしまったらしい。そんなに話し掛けるなという雰囲気が出ていただろうか。

 妙な気まずさに、思わず目を逸らす。普段通りに感情を持たない言葉の羅列が、頭に次々浮かんではくる。しかし、どれも相応しくない気がして音にはならずに消えていった。


「……公爵様?」


 不意に、優しい声が耳朶に触れる。特に怒った風でも、拗ねた風でもない。どちらかと言えば、心配しているような。そんなフレヤの声が。

 それに許されたような心地になる。素直に視線を戻せば、目が合ったフレヤは安堵したように頬を緩めた。


「お目覚めですか?」

「え、あぁ、すみません。最近、立て込んでいた、もの、で……」


 寝ていた訳ではないとは、何故か言えなかった。いつものように、へらっと笑って誤魔化す。彼女は気にした様子もなく、寧ろ「ゆっくりなさってください」などと言ってくる。


「食欲もないようでしたし……」

「あー……。大丈夫ですよ」


 それは、おそらく薬の副作用のせいだ。どうにも食欲が湧かない。

 彼女は納得がいかなかったのか、悩むように眉根を寄せた。瞬間、ぶわっと音が聞こえそうな程に顔を赤に染める。


「どう、しました?」

「いえ、その……。こ、公爵様のためなら、膝枕くらいしてみせます!!」


 勢いよく両拳を握り締めた彼女に、目を瞠る。ひざ、まくら? 膝枕!? 言葉の意味を理解して、俺まで顔に熱が集まった。


「はい!?」

「さぁ、こちらへ! いえ! 私が!」

「ままま、待ってください! おち、落ち着いて!?」

「……嫌ですか?」

「は!? いや、え? 嫌とかではなく!」

「では!」

「違う違う! あの、そう! 眠気吹き飛んだので!!」

「なぜ!?」


 決して広いとは言えない馬車の中で、必死に彼女との距離を取る。寧ろ、なぜ!? これで眠気が飛ばないなんて事があるのか。ないだろう。元々なかったが、更に彼方に消し飛んだ。


「閣下!? どうかされましたか!?」

「どうもしない!!」


 馬車と並走していた護衛が外から声を掛けてくる。それに彼女も冷静になったのか、急に勢いが萎んでいった。

 気恥ずかしそうに、フレヤが縮こまっていく。最終的には、真っ赤な顔を両手で覆い隠してしまった。

 それに、俺も大きく息を吐く。騒がしい鼓動は、暫く落ち着きそうにもなかった。


「も、申し訳ありませんでした……」

「いえいえ、そんな。あぁ、でも、誰の入れ知恵ですかね」

「黙秘です」

「どうしても?」

「言えません」


 スルリと彼女の手が頬へとスライドする。露になった瞳が上目遣いに見上げてくるのに、白旗を振ったのは俺だった。

 彼女にそんな気があるのかないのかは分からないが、あからさまな甘えが瞳に宿って見える。許して欲しい、と。


「まぁ、はい。分かりました」


 ほっと安堵の息を吐いた彼女に、眉尻を下げる。この選択は、果たして正しいのだろうか。明確な答えが欲しいところだな。

 段々と俺も冷静になってきて、先程の取り乱しようはどうなんだと反省した。彼女の勢いに呑まれたのか何なのか。だとしても、流石に……。

 そもそも夫婦になるのだから、あの程度の事で外に聞こえるほど騒ぐ必要はなかっただろう。いや、まぁ……。まだ、婚姻前だ。あの程度と言ってしまって良いのかは、甚だ疑問ではある。

 膝枕、か。膝枕……。少し残念な気も、いやいやいや。己を律しろ、ディラン・ハイン・ラトラネス! 上手く。上手くやるんだ、全部。

 思考が散らかる。考えが纏まらなくて、溜息をついた。答えの糸口が欲しくて、視線を上げる。頬の熱がなかなか引かないのか、彼女は困っている様子であった。

 何と言おうとしたのか。無意識的に開いた口は、けれど声を発するより先に鳴り響いた汽笛によって遮られる。ある意味、助かったのかもしれない。


「っ!?」

「あぁ、駅に着いたようですね」

「……き、汽笛? ですか?」

「そうです。大丈夫ですよ、そんなに怯えなくて」

「は、はい」


 初めて聞いたのだろう汽笛の音に、彼女は目をまん丸に見開いている。パチパチと瞬く瞳には、一気に不安が広がった。

 彼女は恐る恐ると車窓から外の様子を伺う。ちょうど駅に止まった蒸気機関車に、感嘆の息を吐き出した。


「凄い……」

「あれに乗ります」

「あ、あれに」


 彼女から漂ってくる緊張感に、苦笑する。鉄道に乗ることを伝えた時からこの調子だ。もっと喜ぶと思っていたが、予想に反して彼女は不安がった。帝都に行くと言った時のように。

 いったい誰に教えて貰ったのか。鉄道では殺人事件が起きると言い出した時は、疑問符が止まらなかったな。そんな事は滅多に起きないと言っておいたが……。


「ラトラネス公爵領は、帝都からそう距離はありませんから。半刻もあれば着きますよ」

「はい。えっと、コンパートメント席? と言うのでしたか?」

「えぇ、扉は鍵付きで前に護衛も立ちますから。心配はありません。安全ですよ」


 安心させるようにへらっと笑えば、彼女はほっとした様子で一つ頷いた。それに、こちらも安堵の息を吐く。

 狩猟大会の狩場へは、二刻はかかる筈だ。鉄道に慣れておく必要があるだろう。人によっては乗り物酔いにもなると主治医から聞いたので、それも確認しておかなくては。

 新婚旅行は鉄道で遠出でもと考えていたが、今日の様子では別案を出した方が良さそうだ。船酔いはしていなかったな。豪華客船か……。それも良いかもしれない。

 などと考えている内に、馬車が停まる。彼女のエスコートも大分、様になってきたのではないだろうか。


「閣下、奥様」

「エズラ、あの蒸気機関車ですよね?」

「左様でございます。出発まではまだお時間ありますが、如何なさいますか?」

「そうですね……」


 彼女の方へと視線を遣る。先程までの緊張感が嘘のように、ソワソワと蒸気機関車を見上げていた。どうやら実際に見た結果、好奇心の方が勝ってしまったようだ。


「これなら大丈夫そうだな」

「そのようで」

「乗車しましょう」

「では、そのように」


 俺とエズラの会話が終わったのを察して、彼女の顔がこちらを向く。合った瞳には、期待と少しの不安が入り交じっていた。


「さぁ、行きましょうか」

「……大丈夫です」

「……?」

「公爵様が一緒ですもの」


 初夏の陽光が柔く降り注いでいるからなのかもしれない。目尻を下げた彼女がやけに眩しく感じて、視界の端で何かがチカチカと弾けているような。そんな錯覚がした。

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