15.公爵を舐めて貰っては困る
皇帝陛下が用意して下さった部屋で、パイプタバコを燻らせる。彼女を待つ時間は、どうしてかいつも落ち着かない。これは、違うことを考えていた方が良いなと煙を吐き出した。
一つ、ずっと気になっている事がある。あの日、彼女が言っていた言葉だ。
――だから、みんなが怒るのね。
皆が怒るの“皆”とは、誰のことを指しているのか。公爵家の使用人達が、そんな無礼な真似をすると思いたくはない。まぁ、“諌める”ぐらいはあるかもしれないが。
そもそも、彼女と使用人達は良好な関係を築いている。敬意を持って彼女に接しているのを俺は確認しているし、ケイレブやメイジーからもそう報告を受けている。怒るという表現は、どうも引っ掛かる。
誰かが彼女にそんな不遜な態度を取っているのなら、もちろん暇を出す。しかし、俺の耳に入らないということはまずないだろう。
「となると……」
癖でパイプのボウルを丸みに沿って、親指で撫でる。いつも行き着く先は同じ。やはり、あの場で問いただせば良かったかな。
不意に聞こえたノックの音に、返事をする。使用人が扉を開けて、彼女が入ってきた。
深緑のドレスがよく似合っている。刺繍は金糸にして正解だったようだ。父の代から公爵家が懇意にしている仕立て屋なだけはある。
俺のスーツは彼女のドレスよりも黒に近い緑だが、金刺繍が施され、彼女と合わせているのはまたもや一目瞭然の仕上がりだ。エズラとメイジーに抜かりはないらしい。
「素敵ですよ」
「ありがとうございます。公爵様もとても素敵です」
彼女に褒められるのは、どうしてか慣れない。お世辞として受け取るべきではないからだろうか。しかし、本心と信じられない俺もいる。だから、かな。返答に困るのは。
「本気にしますよ」
「はい。勿論してください」
「……ありがとう。嬉しいです」
あと何度、このやり取りを繰り返せば俺は……。眉尻を下げた俺に、彼女は頬を緩めた。
「公爵様は素敵です。帝国で一番ですわ」
「……貴女には敵いませんよ」
「公爵様がそう言うのなら、そうなのかしら」
「えぇ、貴女が一番です」
パイプタバコをちょうど吸い終わり、席を立つ。彼女の正面まで行くと、嬉しそうな色を宿した瞳と目が合った。本当に、あらゆる面で貴女には敵いませんよ。
「さぁ、行きましょうか」
「はい」
腕を組んで歩きだす。彼女がそう言うのなら、きっと俺も帝国で一番なのだろう。
「パーティー会場は大丈夫なのでしょうか」
「問題ないと思いますよ。宮殿の使用人は優秀な者にしか務まりませんから」
「そうですか?」
「はい。それにしても……。妖精を初めて見ましたよ。しかも、悪戯の現場に居合わせることになるとは」
「あれは、優しい方だと思います」
「あれで? いや、まぁ、そうか」
あれは、人間から見てもまだ“悪戯”と言えるレベルのものであった。妖精基準にすれば、悪戯ですらない可能性は多分にある。
「願わくば、もう悪戯されたくはありません」
「そうですね」
何処か楽しげな声音を疑問に思うより早く、彼女の名前を誰かが呼んだ。苛立たしげなそれに、意識が向かう。
少し先にマクダーリド伯爵が立っていた。更にその少し後ろには、シャーロット嬢がいる。二人とも衣服がワインまみれのままだ。
「フレヤ! こっちに来い!!」
マクダーリド伯爵の荒々しい吐き捨てるような口調に、シャーロット嬢は大層満足そうな表情を浮かべているように見える。
フレヤはと言えば、感情の読めない無表情で彼らを見つめていた。怯えてはいないみたいだが……。
しかし、そうか。やはり、そうだったのか。フレヤの憂いの原因は、お前達か。
「少しここで待っていてくれますか?」
「……? はい」
「直ぐに終わらせてくるので」
彼女を安心させるためにそう言い残して、マクダーリド伯爵へと近付く。伯爵は驚いたような顔をして、オドオドとし出した。
「また会いましたね、マクダーリド伯爵」
「は、はい。あのですね、娘に用事が」
「こちらにはありません」
「……はい?」
マクダーリド伯爵は理解できなかったのか、呆気に取られたように瞬きを繰り返す。
「彼女は公爵夫人になるんです。分かりますよね?」
「あ、あの……?」
「貴方も貴族の端くれなら、身の程をわきまえた振る舞いをすることだ」
目を細めて睨むように伯爵を見下ろせば、伯爵は顔を真っ青にさせた。
「俺に貴方達を……見限らせないで欲しいな」
彼女に聞かれたくはなかったので、声を潜めて伯爵にそう告げる。伯爵は壊れた玩具のように、首を縦に何度も振った。
「も、申し訳ありませんでした」
「分かって頂けたなら、良いんですよ」
口元に笑みを浮かべる。しっかりと笑えているのかは分からないが、もうどうでもいい。マクダーリド伯爵家と縁を切れる良い策を考えておこうかな。
「では、これで」
「し、失礼致します」
踵を返して、フレヤの元へと戻る。彼女と目が合ったので、へらっと笑みを返した。彼女は不安そうに眉根を寄せていたが、そんな俺を見てほっと息を吐く。
「お待たせしました」
「いいえ、あの、父が何か、その……」
上手い言葉が見つからないのか、しどろもどろになっている彼女に目尻を下げる。完璧な淑女は、これからも俺以外の人にやってくれれば良い。
「大丈夫ですよ」
「え?」
「俺はこれでも、公爵なので」
彼女がキョトンと目を瞬く。それをニコニコと眺めていれば、納得したのか彼女は一つ頷いた。
「公爵様がそうおっしゃるなら」
「では、ホールへ向かいましょう。貴女の好きそうなフルーツが沢山乗ったケーキがありましたよ」
「フルーツケーキ」
「最近人気の飲み物もありましたから、それと一緒に。いや、その前に軽く食事を取った方が良いですね」
彼女の雰囲気が一瞬にして、ワクワクとしたものへと変わる。マクダーリド伯爵やシャーロット嬢のことなど気にする必要はないのだから。
歩き出す前、最後にシャーロット嬢を一瞥する。悔しそうにフレヤの美しい姿を見ることしか出来ない様子に、ほくそ笑んだ。今回のことは、フレヤが対処したので俺は目を瞑るとしよう。シャーロット嬢は、彼女に感謝するといい。
「楽しみです」
「そうですね。折角のパーティーですから、楽しんでください」
「公爵様も……。そう、一緒にが良いです」
パーティーを楽しむ、か。まさに今日、パーティー自体が嫌いである可能性が浮上したのだったな。しかし、まぁ……。
「貴女が一緒にいてくれるなら」
「はい。公爵様のお側におります」
「約束ですよ」
「お任せください」
ただの口約束など、何の意味も持たない。そんなことは、よく知っている。そうであるはずなのに、どうしてこうも浮ついた心地になるのか。
「一緒に、楽しみましょうか」
「はい」
彼女が瞳をゆったりと細める。「とても嬉しいです」なんて言って、柔く微笑んだ。それはきっと、俺の台詞なのだろうな。
泣きたくなるようなこの感情を何と呼ぶのか、俺には分からない。難解なこれを理解できる日が来るのかどうなのか。
ひとまずは、彼女の喜ぶ顔が見れたので満足しておくことにしよう。この先ずっと、俺の隣は彼女だけなのだから。
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このお話楽しんで頂けてるんだなぁと“いいね”がつくたびに喜んでおります。
誤字脱字もご報告有り難いです。どこかに必ずあるのなんとかしたいですね……。
これにて、第一章は終了となります。第二章開始まで、少々お待ちくださればと思います。