13.リグトフォスト辺境伯
皇族への諸々を済ませ、今は会場の端へと移動していた。彼女に視線が集まるのが、気になる。まぁ、ここにいた所であまり意味はないのだが。
公爵である俺に、形式的な挨拶をしに来るだろう貴族達を思い浮かべて、息を吐く。ご苦労なことだな。俺としても面倒なので、来なくても怒らないが。
「大丈夫ですか? 疲れていません?」
「はい。大丈夫です」
彼女が本気で大丈夫そうに頷く。グレシード公爵の時は、俺のせいもあってか少し砕けた雰囲気になってしまっていたが、今のところ彼女は完璧だ。
彼女は皇族の前でも、堂々としていた。そして、彼女を見て皇帝陛下は鼻の下を伸ばしていた。あの好色漢が。陛下を殴りたくなったのは初めての経験だ。
今までは、波風立てずに家臣として努めるだけだったからな。こんなことを考えもしなかったが……。陛下は決して、暗君ではない。しかし、明君という訳でもない。
如何せん、陛下はきらびやかなのがお好きだ。それは物だけにとどまらない。側室が何人もいらっしゃる。それだけではなく……。兎に角、女性関係が褒められたものではない。
御子が皇子殿下お二人だけなのは、帝国の最大の謎とまで揶揄されている程だ。隠し子がいても可笑しくはないが。
流石に婚約者のいる女性を、などという節操のないことはなされていないようだから、彼女は大丈夫だとは思う。思うが、二人で会うのは阻止したい。
「公爵様こそ、大丈夫ですか?」
「勿論ですよ」
「とても難しい顔をされていますけれど……」
気遣わしげな彼女の視線に、目を瞬く。皇帝陛下を殴りたくなったなどと言うわけにはいかないので、いつも通りにへらっと笑って誤魔化した。
「そんな顔してました?」
「……気のせい、でしょうか」
「そうかもしれませんよ」
「それなら、良いのです」
真顔。これは、どういう感情だろうか。まだまだ彼女の心情が推し量れない時が往々にしてある。困ったな。怪しまれているのか。それとも、本気で納得してくれたのか。
知りたい、と、思う。彼女のことを。しかし、どうしようか。腹の探り合いのようなことがしたいわけではないのだ。
「…………」
「……?」
上手い方法が思い浮かばずに、無言で彼女をただ見つめてしまう。すると、彼女が不思議そうに首を微かに傾げた。それは、そうなる。
「いえ、すみません。何でもないです……。気にしないで」
これは、本格的に情けないな。今後のために、対策を立てるべきだ。誰かの知恵を借りる必要があるだろう。
ケイレブか、エズラか……。駄目だ。また、あの微笑ましいものを見るような目を向けられるに決まっている。
「んん~……」
「どうしたディラン。深刻そうな顔をして」
不意に聞き慣れた声がして、視線をそちらへと向ける。想像した通りの男がそこには立っていた。
「いや、これは失礼を。ラトラネス公爵」
「構いませんよ、ティロンニ侯爵代理」
おふざけもそこそこに、アルフィーが破願する。それを合図に、こちらも気を緩めた。
「で? どうかしたのか?」
「どうもしませんよ」
アルフィーが胡乱な目を向けてくる。そこで、はたと思い直した。アルフィーの知恵を借りようか。それが一番、確実かもしれない。
「またの機会にでも聞いてください」
「あぁ、なるほどな。そうか。それならば、またの機会にしよう」
然も面白いと言うように、アルフィーが目を細める。やはり、止めておいた方が良いだろうか。溜息を吐いて、この話は終わらせる。彼女を紹介することにした。
「アルフィー、紹介します。彼女は俺の婚約者です」
「お初にお目にかかります。わたくしは、フレヤ・マクダーリドと申します。よろしくお願い致します」
「これはご丁寧に。私は、アルフィー・ティロンニと申します。よろしくお願い致します。ディランの、友です」
良い笑顔でアルフィーがそんなことを口走る。それを真に受けたのか、彼女が「まぁ、公爵様の!」と弾んだ声を出した。
「アルフィー……」
「何だ。そう思っていたのは私だけだったか?」
アルフィーの問いに何をとは思ったが、思いの外真剣な眼差しを向けられて、こちらも真面目に考える。アルフィーは、何だろうか。この関係は、何と呼ぶのが正しいだろう。
「と、も……なんですかね?」
「私に聞くな。まったく……」
「ティロンニ侯爵様は、公爵様のお友達なのですね」
「え? あー……。そう、です……?」
彼女の喜色を滲ませた瞳に、戸惑う。間違ってはいない、はずだ。
「あぁ、待ってください」
「どうかされましたか?」
「私は、代理なんです。侯爵代理。父が伏せっていましてね」
「そうなのですね。申し訳ありません」
「謝る必要はありませんよ」
「ティロンニ侯爵の容態は変わらずですか?」
「いや、それがな。最近、体調の良い日が多いらしい」
アルフィーの父親であるティロンニ侯爵は、療養のために領地の本邸でゆっくりと過ごしている。アルフィーは代理として、帝都で仕事をしているわけだが。
「この前、会いに行ってな。家督を譲るのはまだ先になりそうだと笑っていらしたよ」
「へぇ、それは喜ばしいですね」
俺の言葉に、アルフィーは驚いたように目を丸める。次いで、嬉しそうに笑んだ。
「くくっ。本心からそう言ってくれるのは、お前くらいだよ」
「はい? 冗談ですよね」
「さぁな。だが、そのとおりだよ。父には長生きして欲しい」
アルフィーの様子からして、もしかするとティロンニ侯爵が社交界に復帰する日も近いのかもしれない。
「これも、妖精の恩恵だろうか」
「どうですかね。まぁ、妖精のお陰で帝国民は長命だとは言われていますけど」
「妖精は優しいのですね」
その言葉に、アルフィーと顔を見合わせる。お互いに、何とも言えない顔をするしかなかった。
「それは、どうでしょう」
「妖精は、気紛れで悪戯好きだそうですからね」
「それは……。そう、ですね」
彼女はどこか困ったような顔をした。それに、「まぁ……。俺達が知らないだけで、親切な面もあるのかもしれませんね」とフォローしている自分がいて、少し驚く。
彼女はそれに、ほっとした顔をした。良かった。驚きよりも安堵が勝って、俺も息を吐く。
「お前がそんなことを言うとはな」
アルフィーが声を潜めて話し掛けてきたので、俺もそれに倣って声量を落とした。
「えぇ、彼女が困っているようだったので」
「困っ……そうなのか??」
「……? 困った顔してたでしょう」
「そうか。お前には分かるのだな」
納得したように一つ頷かれて、どうやらアルフィーには彼女の表情の変化が分からないようだとこちらも納得する。やはり、努力の賜物だったらしい。
「フレヤ……?」
呼ばれた名前に、彼女が顔を動かした。釣られるようにして、俺もそちらへと視線を動かす。そこには、屈強な老人が立っていた。
「あら、お祖父様だわ」
「フレヤァアァ!!」
凄まじい勢いで駆け寄ってきたリグトフォスト辺境伯の圧に、俺とアルフィーは足を一歩引いてしまった。
しかし、彼女は驚いた様子もなく平然と「お久しぶりです、お祖父様。お元気そうですね」などと口にした。
「大丈夫か、フレヤ! 元気だったか!? 困り事はないか!?」
「元気です。困ったことはありません」
温度差が凄いのだが……。口を挟んで良いものかと二人の様子を窺う。ご挨拶したいが、少し待った方が良さそうだ。
「会いたかったぞ、愛しい孫よ!!」
歓喜するリグトフォスト辺境伯に対して、彼女はキョトンと目を丸める。「私にですか?」と、心底不思議そうな声を出した。
「そうだとも。とても心配していた」
「そう、なのですね……」
「顔色が悪く……は、ないな?? デビュタントの時は心配になるほど細かったが……。ううむ?」
「公爵様が良くしてくださっておりますから」
そこで、ようやくリグトフォスト辺境伯の視線がこちらを向いた。それに、人好きのする笑みを返す。
「久しぶりですね、リグトフォスト辺境伯」
「これは、とんだ失礼を。お久しゅうございます、ラトラネス公爵」
「相変わらずお元気そうですね、リグトフォスト辺境伯は」
「ティロンニ侯爵代理もいらっしゃったとは。お恥ずかしい所をお見せしました」
「気にしませんよ」
「私もです」
リグトフォスト辺境伯とは、こうしてパーティーの度に挨拶を交わすくらいで、交流はほとんどない。いつもなら、この辺りで別れるのだが、今日は向こうもその気はないようだ。
リグトフォスト辺境伯は、国防の要。グレシード公爵家が剣ならば、リグトフォスト辺境伯は盾だ。何人たりとも、国境を不正に越えることは叶わない。
「ご挨拶に伺えず、申し訳ありませんでした」
「婚約を結んだと言うのは、本当でしたか」
「はい」
「……ふむ。正直に白状いたしましょう。フレヤが泣いてはいないかと、ずっと心配しておりました」
グレシード公爵もリグトフォスト辺境伯も……。別に白状してくれなくても良いのだが。寧ろ、そこは隠すべきでは? これでも一応は、公爵だというのに。
まぁ、別に侮辱だ何だと騒ぐ気などさらさらない。いや、公爵家の威信を考えれば窘めるべきではあるだろうか。
「お止めください、お祖父様。公爵様は素敵な方です。その……。そう、お、怒ります、よ」
思ってもいなかった彼女からの手助けに、キョトンと目を瞬いてしまった。心なしかキリッとした顔をしていないこともないが……。何とも辿々しい。
彼女が怒った所など、まだ見たことがない。というか、怒るイメージが上手く出来ない。怒る、のか? それは、少し見てみたい気もするが……。いや、良くない。怒らせないに越したことはないだろう。
彼女の言葉に驚いたのは、俺だけではなかったらしい。リグトフォスト辺境伯が、両目から涙を溢れさせる。それに、彼女が一変して眉尻を下げた。
「ラトラネス公爵」
「え、はい」
「やはり、俺の杞憂だったようです」
リグトフォスト辺境伯に、両肩を掴まれて唾を呑む。「お、お祖父様……」と、彼女の困ったような声が耳朶に触れた。
「どうか……どうか!! くれぐれも!! 末永く!! フレヤをよろしくお願いしますぞ!!」
凄まじい目力に、たじろぎそうになるのを耐える。俺はラトラネス公爵。上手くやってみせなければならない。
「必ず」
無難にやり過ごす筈だったというのに。思いの外、真剣な色が乗った声が出てしまった。これが良いのか悪いのか。動揺しそうになるのを抑え込む。
「フレヤを見つけて下さったのが、貴方で良かった」
和らいだ瞳と声音に、嘘はなさそうだった。そもそも、リグトフォスト辺境伯は裏表のない方で有名だ。これは、上手くやれたと言うことで、大丈夫だろう。
――何で、あんな奴が後継なんだよ。
――俺の子の方が相応しいのに! 男児でさえなければ!!
周りは皆、そう言っていた。
――良いか、ディラン。侮られるお前が悪いのだ。もっと、しっかりやりなさい。
誰も……。俺で良かったなどとは、言わなかった。それが、普通だった。普通だと……。
鼻の奥がツンと痛い。何故こうも泣きたくなるのか、理解できなかった。それに、俺は泣く術を教えられていない。
大丈夫だ。俺は上手くやれる。教え通りに、人好きのする笑みを顔に浮かべた。




