12.皇帝陛下生誕パーティー
迎えたパーティー当日。ホールへと続く荘厳な扉を前に、細く息を吐く。俺一人なら、こんなに緊張することもないのだが。
今日は彼女のお披露目も兼ねている。婚約披露パーティーを開かなかったからか、貴族達は“公爵の婚約者”に興味津々といった様子で。
会うたびに探りを入れられていた。それを適当にあしらっていたのも悪かったのかもしれないが。それにしても、下世話なことだ。
別に、彼女が失敗しても怒るつもりはない。ただ、心ない言葉に彼女が傷つくのだけは避けたいのだ。この緊張は、守らねばならないという責任感から来るものなのか否か。
「公爵様?」
「ん? どうしました?」
「いえ、その……」
じっと見つめられて、敵わないなと苦笑する。それに、彼女が目を瞬いた。
「出来るだけ、俺から離れないでください」
「はい。心得ております」
「どうしても離れなければならない場面はあるかもしれませんが……。どうか無理だけはしないで」
俺の気持ちが伝わったのか、彼女が微かに微笑む。頷いたのを確認して、こちらも笑みを浮かべた。
「では、行きましょうか」
「はい」
開かれた扉の中へと、足を踏み入れる。エスコートは完璧に。背筋を伸ばして、堂々と。会場の視線が一気にこちらを向いたのを感じた。
組んだ腕から彼女の緊張も動揺も伝わってはこない。こういう場は大丈夫なのだろうか。帝都に出掛けた時とは大違いだ。
変な所で豪胆と言うのか。今日の彼女は、俺よりも堂々としているかもしれないな。
「見てください。公爵様だわ」
「今日も素敵……」
「ということは、あれが噂の?」
囁き声が耳に付く。不愉快だ。
俺はきらびやかな会場が苦手だと思っていたが、パーティー自体が嫌いだった可能性が浮上したな。今日は特に耳障りに感じた。
「はぁ……お綺麗だな」
「マクダーリド伯爵家にあんな令嬢がいたとは、知らなかったな」
俺の予想通りに、視線が彼女に集まっている。今日の彼女は今までで一番、華やかだ。メイド達の気合いが桁違いだっただけのことはある。
汚らわしい目を向けるな。などと、得も言われぬ嫌悪感が湧き上がる。駄目だな。落ち着け。俺が失態を演じては、笑い話にもならない。
「まぁ、仲がよろしいのね」
「お互いの髪の色かしら?」
聞こえてきた言葉に、一瞬足を止めかけた。そこに触れられると、かなり気恥ずかしいのだが……。
彼女の“お願い”の内容は、これだ。俺の髪色のドレスがいい。それだけ。婚約者同士では、色を合わせたり、髪色や瞳の色の物を身に着けたりといったことが普通だと聞いた、と。
彼女の雰囲気に合わせて深い色味の茶色にしたが、まぁ……見れば一目瞭然か。しかも、それならばと俺も彼女の髪色を思わせる藍色のスーツをオーダーした。
これくらいは、普通だ。両親だってしていた。周りの貴族達だって、しているだろう。平常心だ。いや、しかし、これは……。やはり、少々、気恥ずかしいものがある。
「これはこれは、ラトラネス公爵ではないか。ご機嫌はいかがかな」
「俺はいつも通りですよ。グレシード公爵は、いかがですか」
「私も変わりなく」
「それは何よりです」
声を掛けてきたグレシード公爵に、即座に思考を切り替えた。人好きのする笑みを浮かべて、挨拶を交わす。
グレシード公爵家は、帝国の剣と呼ばれる騎士の家門だ。騎士団の団長は、代々グレシード公爵が務めている。帝国に無くてはならない存在と言っても過言ではないだろう。
現当主であるネイサン・アト・グレシード公爵は、若くしてラトラネス公爵家を継いだ俺によくしてくださった恩人でもある。
「そちらは?」
グレシード公爵の視線が、彼女の方へと向く。警戒するような。見極めるような。そんな色が彼の瞳に浮かんでいた。
「紹介が遅くなり、申し訳ありません。こちらは、俺の婚約者になってくれた大切な方です」
「お初にお目にかかります。わたくしは、フレヤ・マクダーリドと申します。よろしくお願い致します」
完璧で美しい、淑女の礼であった。それに、グレシード公爵が感嘆の息を吐く。次いで、柔らかい笑みを彼女に向けてくださった。
「そうか、君が……。よく知っているよ」
「彼女をですか?」
「あぁ、そうだ。私はリグトフォスト辺境伯には、お世話になっているからな」
「お祖父様のお知り合い……?」
思わずと言った風に、彼女がそう口にする。グレシード公爵は、どこか困ったように眉尻を下げた。
「君のことを大層気にかけていらっしゃる。ラトラネス公爵と婚約を結んだと噂になってからというもの。更に、ね」
「それは、俺が頼りにならないということでしょうか……」
「どうだろうな。私はデビュタント以降、社交界に姿を一切見せたことがない彼女がどのような人なのか。正直に白状するならば、君の方を心配していたよ、公爵」
冗談半分なのだろうが、先程の様子からして間違いなく本心ではあるだろう。まぁ、今更ながら俺も思いきったことをしたものだとは思う。しかし、後悔はない。
「俺は、彼女で良かったと思っています」
自然と目尻が下がる。そんな俺を見て、グレシード公爵が目を丸めた。それに、はっと我に返る。誤魔化すように、咳払いした。
「くくっ、はっはっはっ!」
グレシード公爵が我慢できなかったかのような笑い声を上げる。それに、頬に熱が集まるのが分かった。俺は何をしているんだ。
「グレシード公爵……」
「いや、すまない。そうかそうか。それは、良いことだな」
「何ですか、それ」
「さて、何だろうな?」
よくは分からないが、からかわれていると言うことだけは確かだ。
そんな俺達の気安いやり取りに感化されたのか、彼女が俺の隣で無防備に首を傾げる。不思議そうに目を瞬いた。
「ふむ。少々、幼さは残っているようだが……。これならば、私の杞憂で終わってくれそうだ」
「彼女をいじめないでください」
「人聞きの悪いことを言わないで貰いたいな。騎士はレディを護るものだよ」
「騎士……。とても素敵ですわ」
ふわっと笑んだ彼女に、モヤモヤとしたものが胸中に渦巻く。社交辞令だったとしても、だ。素敵。素敵なのか。へぇ……。俺だって、剣は嗜んでますよ。
「ほう? どうだね、ラトラネス公爵。久方ぶりに、剣の鍛練でもするかね?」
「……考えておきます」
「良い返事を期待しているよ」
ニマニマとした顔を向けられて、居たたまれなくなる。これは、良くない。気を引き締めなくては。グレシード公爵の方が上手なのは、経験の差だろうか。
「公爵様も剣をされているのですね」
「え? えぇ、最近は忙しくてあまり出来ていませんが」
彼女のソワソワとした雰囲気に、「見たいですか?」なんて言葉が口をついて出る。いや、それは流石にないだろう。撤回しようと俺が口を開く前に、彼女が一つ頷いた。
「はい。是非」
「……面白いものでもありませんよ」
「そうなのですか? でも、興味があります」
期待するように見つめられて、どう返事をしようかと考える。すると、彼女はどういうわけか衝撃を受けたような顔をし、気まずげに目を伏せた。
「いえ、その……。ご迷惑なら良いのです」
彼女の中で何がどうなったのか。気落ちしたような声音に、チクチクと胸が痛んだ。彼女にそんな気がないのは、よく分かっているが……。この罪悪感をどう扱えば良いのだろう。
「迷惑な、わけでは……」
「そうですか?」
「はい。時間があれば……。いや、作れば良いのか。調整してみます」
どうにも困って、へらっと笑う。真意を測るように瞳を覗き込まれて、思わず目を逸らしそうになった。彼女は納得したのか、再びそのナイルブルーの瞳に期待を滲ませる。
「剣を振るう公爵様は、きっと、とても素敵なのでしょうね」
「どう、でしょうね……?」
また、この人は何を言い出すのか。彼女のソワソワとする気持ちが移ったのか。俺までソワソワと落ち着かなくなってくる。この感覚は何と呼んだかな。期待、している? 俺が?
「なにに……」
「……?」
口に出してしまったらしい。上手く聞き取れなかった彼女が、視線でどうしたのかと問うてくる。それに、頭を振った。
「いえ、何でもありません」
そこで、そう言えばグレシード公爵もいたのだと思い出す。嫌な予感に視線をグレシード公爵へと戻せば、穏やかな眼差しを向けられていた。
「では、時間を作れたらいつでも連絡をしてくれて構わないよ」
「……グレシード公爵もお忙しいのでは?」
「君ほどではないさ」
これは、意地でも予定を合わせるつもりだ。俺が何を言っても無意味だろうな。俺は早々と折れて、了承の返事をした。
「そうだ。今宵のパーティーには、リグトフォスト辺境伯もいらっしゃっている。ご挨拶するといい。きっと、喜ばれるよ」
「そうですかね」
「あぁ、間違いなくね」
この婚約は金で買ったようなものだ。リグトフォスト辺境伯がどこまで知っているのかは分からないが……。不安に思うのも無理はない。
政略結婚などそんなもの。そう思っていた筈であるのに、この妙な焦燥感は何だろうか。
君では話にならない。婚約を解消しろとでも言われたら、どうしようか。解消……。彼女と、婚約を……解消、か。それは、避けたいな。
「まぁ、頑張りますよ」
「そうかそうか。大丈夫だと思うがね」
最近この微笑ましいものを見るような目をよく向けられているなと、ケイレブの顔が頭を過った。出来れば、やめて欲しいのだが。
「皇帝陛下、御入来!」
その声に、思考が引き戻される。まずは、皇帝陛下へのご挨拶とお祝いと。問題なく終わらせようと開かれた扉に、形式通りに頭を垂れた。




