09.少しずつ少しずつ
今日のアフターディナーティーの紅茶には、ブランデーが入っている。彼女には少し早いので普通のハーブティーだ。
チョコレートの甘い香りに誘われるように、彼女がそれを一粒口に入れた。彼女は甘いお菓子が特に好きらしい。
「美味しいですか?」
「はい、とても。イチゴの味がします」
「今年もイチゴがよく取れたそうですからね。気に入ったのなら、また出して貰いましょう」
彼女が嬉しそうに頷いた。段々と彼女の微かな表情の違いが分かるようになってきた……ような気がする。
彼女はフルーツも好きなようで、何でも好んで食べる。フルーツが沢山乗ったケーキやタルトが出てくると、表情や雰囲気が分かりやすく明るくなるのだから。
彼女が来る前に比べて、フルーツを食べる機会が格段に増えた。まぁ、彼女が喜ぶならそれで良い。俺もフルーツが好きかと聞かれれば、好きとは答える。
彼女の食の細さは相変わらず。最初に比べれば、食べるようになっているとは思う。一気には無理なようなので、ティータイムにフルーツやお菓子で少しずつ。
「イチゴが不作なこともあるのですか?」
「基本的にはありませんね。この帝国は妖精のお陰で気候が安定していて、土地も肥えているので」
「基本的にはと言うことは、不作なことも?」
「まぁ……。何でも妖精を怒らしたとかで、嵐になった事があるそうですよ。作物が全て駄目になってしまって大変だった歴史が存在しますね」
「……なるほど。妖精も怒ることがあるのですね」
「昔の話なので、正確には分かりませんが……。女王を悲しませたのではと言われています」
妖精は気紛れだが、女王にだけは尽くして生きるらしい。帝国全土を脅かす程の嵐など、女王に何かなければ起きないとか。つまりは女王に何かあれば、帝都が吹き飛んでも何ら可笑しくはないということになる。
「妖精……。貴女は見たことありますか?」
「一度だけ……」
「あるんですか。悪戯されたとか?」
「いえ。私ではなく、他の方がされているのを見たことが」
「へぇ……」
「公爵様はありますか?」
「俺は……。生まれてこの方、どこの誰かも分からない人々が流した噂話を耳にすることはあっても、周りで見たなんて話は聞いたことがありませんでした」
「そうですか」
「でも、最近は何故かよく聞きますね。邸に出たそうですし、この間の帽子も。正直に白状すると、驚いてます。急に妖精という存在に現実味が……」
とは言っても……。帽子も風に飛んでいっただけと言えばそうではあるので、不可思議な現象を俺は実際にはまだ見ていない。なので、信じていない気持ちもあるにはあるのだが。
「妖精はいますよ」
はっきりとした声だった。目を合わせた彼女の表情は何処か真剣に見えて、こちらは目を瞬く。「きっと」なんて続けた彼女に、「そう、ですね」としか言えなかった。
それに、彼女は満足気に目を細める。カップを持ち上げて、優雅にハーブティーを飲んだ。
あぁ、家庭教師の言っていた通りだ。彼女は本当に頑張ってくれているらしい。確実に、所作に磨きがかかっている。これなら、パーティーも問題なさそうだ。
俺にとっては、妖精の話よりもこちらの方が重要度が高い。頭の中は、既にパーティーの話をどう伝えるかに切り替わっていた。
「近々、皇帝陛下の生誕パーティーがあることは知っていますか?」
「お誕生日だということは知っていましたが、パーティーもあるのですね」
「招待状が届いたので、参加することになります。俺のパートナーとして、貴女も」
信じられないのか、彼女がキョトンとした顔をする。それに、苦笑した。
「そのために、明日からダンスの授業をするんですよ」
「そうなのですね。なるほど。それで、メイジーが……」
彼女の口から出てきた名前に、俺も納得した。だからあの時、彼女は何の疑問もなくダンスの練習相手の話をしたのか。
「まぁ、ダンスは無理をする必要はありません。出来なければ出来ないで、俺が何とでも誤魔化せるので」
「……分かりました」
しかし、彼女はデビュタントに参加していたから、踊れないこともないとは思うが。いや、相手がいなかったのなら、あの場で踊っていない可能性はある。
「因みにですが、どの程度できますか?」
「ダンスは自信がありません」
堂々と言い切った彼女に、少し驚く。自信がないなんて事をこうもはっきり言うとは。怒られ、は、しないか。怒る者など、ここにはいないのだから。
「もしかして、舞踏会で踊るのは初めて?」
「はい。デビュタントは直ぐに帰りましたから」
「それは、光栄ですね。俺が初めての相手だなんて」
ニコッと人好きする笑みを浮かべる。彼女はそんな俺を見て、目を丸めた。次いで、一つ頷く。
「そうですね。そう。公爵様とダンス。……そうね。うん。頑張ります」
「……? あぁ、はい。無理のない程度に」
「お任せください」
どうしてか、たまに彼女の隣に誰かいるのではないかという気になる。そんな訳がないのは分かっているのだが。まぁ、気のせいだろう。
「それで、あー……。二日後なんですけど、出掛けませんか」
「公爵様とですか?」
「はい。帝都へ舞踏会で身に付けるモノを買いに行きましょう」
「帝都……」
「嫌ですか?」
「いえ、そのようなことはないです。ただ、人が大勢いる場に不慣れなので、その……。そう。緊張します」
不安気な彼女の様子に、そこに緊張するのかと手を口に当てる。産まれた時から大勢の人に囲まれてきた俺には、理解できそうもない類いのものだ。
「何が不安ですか?」
「なに……。帝都は広くて人波に流されると迷子になると聞きました」
「……んん?」
「大丈夫でしょうか。公爵様とはぐれたら、迷子になる自信があります」
想像していたのと少し違うな。しかし、なるほど。彼女にとっては、大問題なのだろう。帝都はそういうイメージらしい。
彼女は好奇心旺盛なので、少し帝都を歩くのも良いかと思っていたけど……。これは、やめておいた方が良さそうだ。
祭りなどがあるわけではないので、流される程の人波はないとは思う。思うが、何故だろうか。人に道を譲って、全く前に進めない彼女が見える。
もしくは、周りのモノに気を取られていつの間にか隣から消えているか。十分に有り得そうだ。まぁ、どちらも俺が目を離さなければ良い話ではあるが。
「じゃあ、移動は全て馬車でしましょう。店の中ならそこまで人はいませんから」
「よろしいのですか?」
「勿論ですよ。俺も帝都を歩くなんて滅多にしません」
「それなら、安心です」
「それは良かった。因みに、馬車の中からでも帝都の街並みは見れますよ」
俺の予想通り、やはり興味はあったようだ。彼女の纏う空気がソワソワと嬉しそうなものになる。
帝都の雰囲気を一度見れば、彼女の帝都に対するイメージも変わるかもしれない。まぁ、悪化する可能性もあるだろうけど。
「いつも気にかけて下さって、ありがとうございます」
彼女の言葉に、反応が遅れてしまった。そうだろうか。それは、上手く出来ているということだろうか。
「……いえ、そんな大したことは」
「して頂いています。いつも、たくさん」
「そう、ですか……。それなら、良かった」
誤魔化すように、へらっと笑みを浮かべる。カップを持ち上げて、紅茶を流し込んだ。
「帝都は緊張しますが、公爵様と一緒なので楽しみでもあります」
「……大丈夫ですよ。緊張しなくても」
「はい。では、楽しみにだけしております」
彼女が微かに顔を綻ばせる。俺は何故か、泣きそうな心地になったのだった。