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何とか顔を上げた葉月は、目元を拭った。
「本当に、本当にありがとうございます」
何度も重ね重ねに礼を言われて、照れくさくなったゆかは笑いを漏らして、頭を掻いた。
そこで気が回ってきた葉月が、ぽんと手を叩いた。
「綿貫さま。蒸しタオルお使いになられますか?」
なんの前フリもなく尋ねられて、首をかしげると薫に髪の毛でしょと教えられた。あぁと納得して、まだ前衛芸術のような髪型だった事を思い出す。
「すみません、お願いします」
にこりと微笑んだ葉月は、ぺこりと頭を下げる。
「かしこまりました。それでは、少々お待ちください」
言い残して退室した。
音も立てずに引き戸が閉まると、二人はふっと肩を落とした。
「本当に、みんな美鈴が好きね」
かく言う薫も決してその場しのぎではなかったのだが、改めて実感したその事実に少し驚いているようだ。それとは逆にゆかはうれしそうに微笑んでいる。
「みんなみーちゃんが大好きなのだ。って、薫」
新たな新事実に気がついて、ゆかは驚愕した。そして、腰を落として戦闘体勢をとる。
「今日から、アタシら恋敵だ」
真剣な顔のゆかは、しゅしゅと右手で軽いジャブを打ち出す。
「私はノンケだから」
ぎりぎりの間合いでゆかの攻撃を避け、薫は頭を抑えてため息を吐く。
「え、みーちゃんはかわいいよ!?」
薫は何を言っているんだ? と言わんばかりの顔で、ゆかが首をかしげる。噛み合ってないからと薫はまたため息を吐く。
「失礼します」
ノックと葉月の声がして、ドアが開いた。手には湯気の出ているタオルが乗ったお盆がある。
「お待たせいたしました」
そういってそのひとつを手にとって、素早く左右の手の間で往き来させた。だいぶ熱そうだが、手馴れた様子で人肌より少しあったかい程度まで冷ます。
「綿貫さま。ちょっとじっとしていてもらえますか?」
言って葉月はゆかの背後に回りこみ、美容師の手つきで髪の毛を整えながらタオルを巻いていく。巻いたタオルから微かに花の甘い香りが漂ってくる。
「なんか、良い匂いしますね」
ゆかが尋ねると、またドアの横に移動した葉月が手を叩いた。
「ええ、蒸し器の水にローズオイルを垂らしているんです」
へえとあまり分かっていない様子のゆかが相槌を打った。その横で薫がわずかに目を瞠ってゆかの頭を見る。
「どしたの?」
たずねると、薫は別にといって、まだ顔を洗っている途中だった事を思い出して洗面台に向き直った。
それか二人は顔を洗い、歯を磨いて部屋に戻った。美鈴はまだ夢の中のようだ。布団を被って団子のように丸くなっている。
薫がその団子の隣に膝をついて、肩とおぼしき場所をゆすった。
「美鈴、朝よ。おきなさい」
反応はない。二、三回繰り返すと、うんというくぐもった返事だけが返ってきたが、動く気配はない。
「これは、いつも遅刻するわけね」
くすくすと小さく笑うと、ゆかが布団をめくった。狐か猫か鼬なのかいまいちよく分からないぬいぐるみを抱いて、規則正しい浅い呼吸を繰り返している。
「か、かわいい……」
ゆかが呻くようにつぶやくと、美鈴は急に明るくなったことで、もぞもぞと動いて抱きしめていたぬいぐるみに顔をうずめた。
「くぅ、いいな。これだから幼女はたまらない!」
「あんたねぇ……」
口元を押さえてうめいたゆかの頭を、薫が手加減なしで叩いた。
「いったいなぁ! ちゃんと起こすよ」
頭を一度さすり、ゆかは膝をついて腰を折った。顔を近づけて頭を撫でる。
「みーちゃん、朝だよ。ご飯できてるから、一緒に食べよう」
肩を揺すると、美鈴はまた少し動いて顔を出した。薄く目を開けて、焦点の定まらない目でゆかを見た。
顔がだらしなくたるんだゆかは、まずいまずいと頭を振って、上半身を起こした。
「ほら、みーちゃん、おきて」
美鈴の肩を掴んで起き上がらせた。
「うわ、軽い……」
簡単に持ち上がった美鈴を、その場で座らせる。ぺたんと座って、胸にはぬいぐるみを抱いている。
「たまらん……」
視線をはずしてぼやく。手を離すとそのまま寝転んでしまいそうなので支えたままだ。
首が据わらない美鈴は薄目でゆかを見上げ、そしてぬいぐるみを抱いていない方の手を伸ばしてゆかにしがみついた。
「さむいよ……」
力の入らない体は妙に柔らかくて、寝起きのぬくもりが薄い寝巻き越しに伝わってくる。
「ふおぉおお!?」
変な声を漏らしたゆか。その声に驚いたのか少しだけ顔を上げた美鈴は、すんと一度鼻を鳴らした。
「いいにおい」
そして突然ゆかの首もとに鼻先をこすりつけた。顔を熟れたりんごよりも赤くしたゆか。その首元に顔をうずめて、寝息を立て始めた。
内心の欲望と理性が全力でぶつかり合う。髪をセットしながら見ていた薫は肩を竦めて、もうしばらくはゆかの葛藤を傍観することにした。
それから二度寝してしまった美鈴を抱いて固まったゆかを、薫が揺すって目覚めさせる。
「ほら、ミイラ取りがミイラになってどうするのよ」
「あ、うん……」
まだ腕の中の少女を抱いていたい願望を捨てきれないようなので、薫はゆかのわき腹に鋭い手刀を叩き込んだ。
「ぐふっ!?」
吐血しそうな勢いで空気の塊を吐いたゆかは、それでも美鈴は手放さなかった。
その衝撃は夢に沈んでいた美鈴にまで届いて、彼女の細い肩がびくりと一度震え、ゆっくり目を開けて緩慢な動作で周囲を見回す。
美鈴のまだ冴えない思考では、現状を把握することができない。
どうしてゆかに抱かれているのか、そしてそもそもなぜ彼女達が居るのかなど疑問符を頭に浮かべたまま、もう一度周囲を見渡し薫と目が合い小首をかしげた。
「おはよう、美鈴。そろそろ起きて、朝ごはん食べましょう」
薫に言われ、ワンテンポ遅れて頷いた。そして硬直したゆかの腕の中から這い出して、ふらふらと危なっかしい足取りで部屋を出ていく。薫はその背中を黙って見送る。
「うん?」
美鈴が胸に抱いたぬいぐるみの尻尾が不自然に揺れた気がして、もう一度それを見る。どう見てもただのぬいぐるみである。
「まだ寝ぼけてるのかしら?」
目元を軽く揉み解すと、はっと背後から立ち上る殺気に驚いて身を捻る。
「こんの巨乳むすめぇッ!」
「きゃっ!?」
目を光らせたゆかが、薫を力任せに押し倒した。




