四十三話 アリスの我儘
「ところで、赤坂くんはどうしてここにいるのかな。まさか、娘とすでに」
「ち、違います違います! 試験前なので、七星さんに勉強を教えてもらっているんです!」
お父様が怖い顔で問い詰めると、赤坂さんは慌てた様子で答えた。
すでにって、お父様、一体何を……っ。
わたしがうずうずしていると、お母様が「あらあら」と会話を継いだ。
「それならここで引き留めるのも悪いわね。アリスちゃん、赤坂さんには先に勉強してもらった方がいいんじゃない?」
「っ、そうですね。赤坂さん、陽菜に部屋まで案内してもらってください」
「ありがとうございますっ!」
赤坂さんは心底嬉しそうに笑顔を浮かべた。
わたしも、お父様やお母様と赤坂さんが話しているのがなんだか照れくさかったからちょうどいい。
何よりも、お母様のこの提案が体のいい人払いだということもなんとなくわかった。
「赤坂様、こちらです」
「じゃあ、失礼します」
陽菜の案内に従って部屋を出ようとする赤坂さん。
その背中に、お母様が声をかけた。
「赤坂さん。アリスちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
「は、はい……」
「お、お母様……っ」
お母様がにこやかに微笑みながら言うと、赤坂さんは気まずそうに頷いて部屋を後にした。
まるで婚約の時の会話みたいで恥ずかしさが頂点に達する。
熱くなった顔を隠すように俯いていると、お父様が深く息を吸い込むように口を開いた。
「さて、本題に入ろうか。アリスももうわかっているね。父さんたちがここに来た理由が」
「……おじい様たちのこと」
「そうだ。父さんたちがお前に持ち掛けてきた縁談の件だ」
現在七星財閥を纏めているのは、財閥当主であるお父様。
だけど、実質的な権力は当主を引退したおじい様に未だ強く残っている。
そのおじい様からの話を軽々に断ることは、お父様たちでも難しい。
「お前が彼……赤坂悠斗と交際を始めたことを理由にその縁談を断ったことはすでに聞いている。彼について纏めた書類の提出も先延ばししていることも」
「…………」
「そういうわけで、父さんたちに言われて私たちがこうして来たわけだ。わかるな?」
「……はい」
わたしは膝の上でぐっと拳を握り、覚悟を決めてから伏せかけた顔を上げた。
お父様とお母様をじっと見つめ返して告げる。
「わたし、お母様やお父様に何を言われても赤坂さんとは別れません。……彼から別れを切り出されない限りは」
わたしが強く言い切ると、お父様は疲れたようにソファの背に体を預け、眉間を手でつまむ。
「……彼に何があるんだ。調べたところ普通の学生じゃないか。あんな男に固執する理由がどこにある」
「わたしにとっては普通じゃないんですっ。とても、大切な人なんです」
お父様の呆れたような物言いにむっとしてつい強く言い返してしまう。
お父様はそれを聞いてはぁと小さくため息を零した。
「……アリス。お前はこの七星財閥の一人娘だ。わかっているな?」
「もちろんです」
「……なら、我儘を言える立場じゃないことぐらいわかるだろう」
「……わかっています」
「それがわかっているのなら、私たちが言いたいこともわかるだろう」
激情を押し殺した声。
爆発寸前のその声音に、ぐっと耐えながら睨み返す。
ここで引いたら負けるような、そんな気がした。
こういう風にお父様たちに我儘を言ったのは、高校の進路を話しあった時以来だと思う。
わたしがそんなことを考えていると、お父様は腰を浮かして座り直した。
そして、一際鋭い眼光をぶつけてきた。
「――アリス、いい加減にしないか!」
「……っ」
叱りつけるようなその言葉にひるみそうになる自分を叱咤して、睨み返す。
お父様たちにとって七星財閥の繁栄こそが重要であることはわかっている。
でも、わたしにも大切で譲れないものがある。
お父様たちにとっての七星財閥と同じように。
冷たい沈黙が続く。
ふと、扉がノックされて陽菜が入って来た。
赤坂さんを送り届けたんだろう。
わたしたちの様子を見ると、静かに扉を閉めて沈黙のまま壁際へ寄った。
少しして、甘く優しい声が沈黙に慣れた耳朶を震わせた。
「お父さん、アリスちゃんを試すのはそれぐらいでいいんじゃないですか?」
「……ふんっ」
お母様に言われて、お父様はわたしから目を逸らすと不満そうに再び背に体を預けた。
わたしは二人のやり取りにぽかんとするしかなかった。
 




