二十五話 既視感
電車に揺られること一時間。
目的の駅で俺と七星さんは降りた。
人混みの中に七星さんが攫われてしまわないように注意しながら改札を出る。
切符が改札から出てこないことを、七星さんは何故か残念そうにしていた。
海が近いからか、潮の香りがほんのりと漂う。
この辺りの観光地は海水浴場かこれから向かう水族館以外目立ったものは特にない。
時期が時期だからこの駅で降りる人たちの目的は大抵が水族館だ。
人の流れに沿って、国道沿いの歩道を進む。
少しして遠くに大きな建物が見え始めてきた。
「あそこだ。結構歩いたけど大丈夫? 疲れてない?」
結構、といっても五分程度だが、普段はリムジンでの移動が常となっている七星さんのことだ。
徒歩での移動も相当な負担になっているだろうと思っての俺の問いに、七星さんはぷくーとでも効果音が付きそうなほど見事に頬を膨らませた。
「赤坂さんはわたしを何だと思っているんですか」
「いやほら、彼女の体調を気遣うのも彼氏の役目かなって」
「彼氏、へへ、うへへ……」
「七星さん?」
拗ねた様子から一転、にへらと表情を弛緩させる七星さん。
コロコロと変わるその表情に呆気に取られていると、不意に七星さんが我に返った。
「い、行きましょう!」
そう言って、ずんずんと足を速め始めた。
そうこうしているうちに水族館へ到着し、俺と七星さんは入館チケット売り場に並ぶ。
「あ、お金」
「だから今日は出すから。七星さんはぜーったいにそれを出さないように」
「はい……」
こんなところで黒のカードを出そうものなら変なトラブルに巻き込まれかねない。
ただでさえ七星さんは目立っているんだから。
俺は今一度七星さんに強く言って、二人分のチケットを買った。
手痛い出費だが、必要経費ということで。
「わぁ……っ」
チケットを受け取って館内に入ってすぐに、七星さんは声量を抑えながら歓声を上げた。
薄暗い館内で、七星さんの白髪が煌めく。
歩きながらも前のめりになりながら七星さんが小さな水槽へ近付き覗き込む。
可愛らしい小さな熱帯魚が泳ぐ様を、七星さんは目を輝かせて見入っていた。
……いまいち七星さんが喜ぶものの共通点がハッキリしないな。
七星さんを眺めながらぼんやりと思っていると、不意に彼女がこちらを見上げてきた。
「可愛いですね、赤坂さんっ」
「……そうだな」
屈託のない笑顔を浮かべる七星さんに、俺はむず痒さを覚えながら応じた。
それから小さな魚たちや海藻、貝や蟹のエリアを抜けて、少しづつ展示されている魚が大きくなっていく。
終始楽しそうにしている七星さんを見ていると、ここにしてよかったなという気になってきた。
とはいえ、俺は水槽を覗き込んで楽しそうにしている彼女や、周りで幸せそうな会話を水槽の前で繰り広げているカップルたちと違って、何が楽しいのかいまいちピンと来なかった。
確かに普段はまず見る機会のない魚たちを見ることができるのは興味深いが、楽しいかと言われると微妙なところだ。
……夢の中の幼い俺は、一体何をあんなにはしゃいでいたんだろう。
「っと、七星さん、そろそろ向こうに行こうか」
「あ、ごめんなさい。わたし、夢中になっちゃって……」
「いいよ。楽しんでもらえた方がいい」
周りが混み始めてきたことに気付いて、大きな水槽がある開けたエリアへの移動を提案すると、七星さんが申し訳なさそうに眉根を下げて来る。
とはいえ、楽しんでもらえているならそれに越したことはない。
人の波を避けながらゆっくりと歩き出す。
「……ぁ、あの」
隣にしっかりと七星さんの姿を捉えながら歩いていると、か細い声が耳朶をくすぐる。
視線を落とすと、七星さんが床を見たままこちらに手を差し出していた。
「その、はぐれてしまうといけないので、手、握ってくださいませんか?」
「……っ、じゃ、失礼して」
恥ずかしくなかったかといえば嘘になる。
電車の時は夢中だったからあまり気にはならなかったが、改めて言われると照れるものがある。
とはいえ、俺たちの関係が偽装である以上、照れる必要はないのだと自分に言い聞かせた。
七星さんの白く細い手を掴む。
するりと俺の手の中に収まって、柔らかで確かな温もりがじんわりと手に伝わってくる。
「……っ」
意識しないように俺は前を向いた。
ちょうど巨大な水槽の中に設置された水中トンネルの通路に差し掛かった。
「わ、わぁ……っ、凄いです、赤坂さ……ん」
床以外全面がガラスに覆われて、まるで自分たちが海の底にいるかのような錯覚を抱く。
周囲を漂う魚の群れに目を輝かせた彼女は、その感動を共有しようと俺の方を見上げて――視線が交差した。
一瞬お互いの時間が凍り付いたかのように会話が消え、動きが消える。
先に動き出したのは俺だった。
「じゃ、邪魔になるから早く行こう」
「そ、そうですね……っ」
俺の言葉に七星さんもぶんぶんと勢いよく首を縦に振って頷いてくる。
再び歩を進めながら、俺は空いている左手でセットされている髪を軽く掻いた。
……まあ、偽装でも、いや、偽装だからこそ好きでもない男とこんな至近距離でいるのは色々と思うところがあるんだろう。
そうはいっても手を繋ごうと提案してきたのは七星さんの方なのだから俺に非はない。
隣を盗み見れば、七星さんはすっかり俯いている。
ただ、その手だけはしっかりと俺の手を握り返していた。
……なんか、こんなことが前にもあったような。
不意によぎった既視感の正体を探ろうとしているうちに、俺たちは水中トンネルの通路を抜けた。
広い部屋の最奥は、壁全面がガラス張りになっていて、その中を一際巨大な魚たちがゆったりと泳いでいた。




