3.二人の芙蓉─1
所変わってここは蘭國。鈴扇が芙蓉を追って茜國へと経ってからというもの、案外嬰翔は暇な時間を過ごしていた。芙蓉が半ば連れ攫われるような形で紅鳶に付いて行ったせいで鈴扇は気が気ではなかったらしく、随分と仕事を前倒しに進めていった。
結局彼女を汀眞に任せると言っておきながら、芙蓉がここを立った四日後には自身も身支度を終えていた。おかげで嬰翔の仕事はと言えばその確認をするくらいで芙蓉が来る前と比べて随分と暇だ。
鈴扇の必死さを見ていると、これでまだ男だと信じているのが面白いくらいだ。
暇を持て余しているせいか、使用人たちは嬰翔にいつも以上に世話を焼きたがる。彼らの気を紛らわすために、仕事終わりに土産でも買って帰ろうかと街をうろついていると、街角に派手な布を敷いて賭博に興じる男たちが目に入った。
いつも通りの光景だがその中に、妙に見目のいい男が混じっている。
年は嬰翔より少し下くらいだろうが、波打った白銀の髪と鋭い同色の眼光はこの辺りでお目にかかれるものではない。
おまけに驚いたのは、彼は賭け事に参加しているわけではなく従者として主人に付き従っているだけのようだった。
主人の方は布を目深にかぶっており、彼同様に白髪を一房だけそこから零れさせている。
老婆かと思って見ていると、身なりは汚いが白銀の瞳を真っすぐ正面に向けた少女が賭場の中央の席を陣取っていた。どうやら賭け麻雀をしているようで、彼女が劣勢であるように見える。
嬰翔は商人の家系であり、勘は悪い方ではない。
その容姿を見るに、おそらく蓮家の血を持つ少女と青年だ。
なぜこんなところに、と思ったが少女は盤を見つめて難しい顔をしている。近付いて見ると、白銀の瞳の少女は布を目深にかぶっているとはいえそうそうお目にかかれない美少女であった。
少女は男が牌をかき混ぜようとしているところで、さっとその白魚のような手で制した。
「あなた、いかさまをしてらっしゃるわ」
年は十五、六だろうが愛らしい高い声の割に凛とした物言いをする。
少女がそう言うが早いか、従者が男の首元を掴んで豪快に揺さぶった。
彼女の言った通り、手元から存在しないはずの牌が次々と転がり出たのを見て周囲の人間がどよめき始まる。
「皆さま、ご覧になって。この方はいかさまをしてらっしゃるのです。わたくし、この勝負は降りさせていただきますわ」
『あの指輪がおかしいんです。盤の周りが布で囲まれてるせいで分かりにくいですが彼女は賭け師が目配せした時だけ手を盤の下に滑り込ませています』
立ち上がってそう指摘する彼女の声が、何故か芙蓉が賭け師のいかさまを見抜いたときのそれと重なった。
芙蓉と違って直接口にするのはどうかと思ったが、案の定男は少女に馬鹿にされたと思ったのか従者の腕を振り切って少女に殴りかかろうとした。
「このガキっ!」
「危ない!」
少女の光景に既視感があった嬰翔は思わず、少女の前に体を伸ばしていた。
鈍い音がして思わず目を瞑ると、予想した衝撃がいつまでも襲ってこない。
驚いて前を見ると、青年が剣の柄で男たちをのした後であった。
「お嬢様はお前が触れて良いようなお方ではない。さっさと下がれ」
「なっ、なんでだよ!?バレたことなんてなかったのに!」
男がなおも食い下がろうとすると周りの男たちが彼を立たせて逃げようと言い聞かせている。彼らをこれ以上どうこうするつもりもないのだろう、青年は冷たい目で彼らを睨みつけると告げる。
「お嬢様に見えないものなどない、さっさと立ち去れ」
「ひっ!」
そう小さく悲鳴を上げると男たちは腰を抜かしたままなんとか青年の前から逃げて行った。
「あら、顔の割に勇敢な方ですわね。生憎わたくし優秀な従者が付いておりますわ」
少女はその光景に驚いた様子もなく嬰翔の前に出ると、ゆっくりと頭を下げる。優雅な所作は、やはり平民女性のものではない。
向き合ってみると芙蓉にやはり少し似ている気もしたが、それは雰囲気の話で顔立ちは全く違う。
二人とも美しい女性だと嬰翔は思うが、彼女は少し垂れた瞳に笑顔が良く似合う優しい顔立ちだ。ぱっちりとした瞳は白銀色の珍しいものであり、桃色の頬に紅を引いたわけでもない唇は椿の花のように瑞々しい。柔和な顔立ちにもかかわらず、まるで大輪の花が綻んだような彼女の笑顔に周囲の何人かが声を失っている。
目の前の少女はそういう、人に有無を言えなくするような美形であった。鈴扇もそういうところがあるが、この少女はそれの上を行く。こういう美形は、国中探しても蓮家くらいのものだろう。
現在の皇后である蓮家直系の姫、蓮 蓬樹の肖像画がその人気にそぐわず出回らない理由は彼女を描こうとした何人もの絵師が筆を折って逃げ出したからだと言うが目の前の少女を見ていればそれも分かる気がした。
白銀の髪は身分を隠すために汚くしているのだろうがその輝きを失わず、彼女の周りにほんのりと光の膜を作っているように見える。
天女の末裔、まさしくその言葉通りの神々しい美しさである。
従者は嬰翔に不満でも言うのかと思うと案外丁寧に礼を言う。
「申し訳ありません、お嬢様を止めていただきありがとうございます」
お嬢様を止めていただき、という言葉がいささか不可解だが日ごろから少女に振り回されているのだろう。
「いえ、僕も仕事のうちなので。ですが、貴族のお嬢さんがこの辺りを歩くのは不用心かと」
そう言うと、少女は従者に目配せしてひどく焦った様子になった。芙蓉と似ているのかと思ったが、案外考えなしに行動する方らしい。
「わたくしが貴族とお分かりですの?!困ったわ、蒼郭。わたくし服も髪も汚しているはずなのに、バレてしまいましたわ」
蒼郭、それが従者の名なのだろう。美貌の従者に相応しい清廉な名である。
彼は嬰翔と同じく癖毛の白髪だが嬰翔の髪のように広がってはおらず、優美に彼の美しい輪郭をかたどっている。
「瞳の色は誤魔化せませんからね。お嬢様ほど美しい白銀の瞳の方はいらっしゃいません」
そう言われて頬を膨らませる少女はやはり貴族なのだろう。
その瞳や髪の色から推察されるに、大分高位であるはずだ。よく見ると青年の方には少し瞳の色に濁りがあり、芙蓉の瞳に近い色をしている。
にしても、と嬰翔はひそかに苦い顔をした。
『葵家は血が濃い。葵家で生まれた子供は全員が黒い瞳を持って生まれる。その血と混ざってあれだけしっかり白が残るなんておかしいと思わない?』
汀眞は暗に芙蓉が蓮家の姫であることを示唆していた。それですぐにこの出会いである。どこか運命的だなと、思っていると目の前の少女は思いついたように手を叩いた。
「そうです!わたくし蘭國は不慣れなので、案内してくださるでしょうか?」
「お嬢様!」
蒼郭はおやめくださいと少女を諫めるが、その強い意志の宿った瞳を止めることは従者である彼には難しそうだった。
「あら、だってあなた一人では不安でしょう。わたくしの目に狂いはありません」
「お嬢様が仰るならそうでしょうが……」
「はあ、少しならいいですが。失礼ですが蓮國の方ですか?」
そう言うと、少女は肯定とも否定とも取れる顔でにこりと微笑み蒼郭を顧みた。
「さすがにここまで来ればわたくしの顔を知っている者もいないのね。ところで、あなた官吏のようですけど鈴扇様はいらっしゃるかしら?」
「鈴扇と知り合いなのですか?!」
「ふふふ、あんな愛想のない方、知り合いでもなんでもありませんわ」
驚いて聞き返すと、少女は微笑んで毒を吐く。あの、六大家直系の子息であり傍若無人な鈴扇にこれだけの口を聞けるということはやはり蓮家に所縁のある姫で間違いないようだった。こういう時、汀眞の不在は痛い。彼ならばきっと彼女が何者であるかすぐに分かるのだろう。
「お嬢様、あまりしゃべると襤褸が出ますので」
「鈴扇なら今は少し國府を開けておりますが」
「あら、好都合ですわ。あなた、お名前は何と仰って?」
「この國の國令副官をしております、陸 嬰翔と申します」
そう言うと、少女は微笑んで嬰翔の瞳をじっと見つめた。
「嬰翔様、だから鈴扇様をご存じだったのね。では、わたくしのことはそうですわね、芙蓉とでもお呼びになってくださいませ」
「お嬢様!」
芙蓉、聞き知った名前だ。
その言葉に嬰翔が思わず目を見張ると、蒼郭の方が驚いて声を上げた。
「何かしら」
「お嬢様、その名前をお使いになるのはどうかと思います」
「わたくしに指図するつもり?」
少女が屈託なく笑うと、彼は何も言えなくなって困った顔で呻く。
「それは……」
「……芙蓉?」
何やら揉めている彼らを横目に嬰翔が不思議そうに言うと蒼郭の方が焦った顔をした。
「ど、どうかされましたか」
「どうしてあなたが慌てるのかしら、蒼郭。よくある名前じゃない」
「いえ、知り合いに同じ名前の子がいましてね。そういえば、どことなく雰囲気が貴方に似ているような気がします」
そう言うと彼女は手を合わせて微笑む。その笑顔の威力にまた何人かが呆けて見入っているのが視界に入る。
「まあ、そうですの。ではこれも何かの縁ですわね」
そう言って彼女は屈託なく笑うと従者の手を取って街へと歩みを進めた。
※
「こちらの簪素敵ですわね、金一両で買えるかしら」
思った通り、彼女の金銭感覚はおかしいというよりも狂っていた。市井で売っている簪一つに金一両を払う馬鹿はいない。
「お嬢様、私が支払いを済ませますので」
嬰翔が教えようかとすると、蒼郭が手で制して支払いを済ませてしまう。彼もまた相当の家の出のように見えたが、金銭感覚もしっかりしている上に市井のことに詳しいようである。お嬢様にはぴったりの護衛なのだろう。
それにしても護衛一人でお嬢様を送り出すとは、彼女の扱いが気になった。
「芙蓉殿も市井の勉強をなさればいいんじゃないですか?」
正直鈴扇も初めは慣れていなかったなと思い出して微笑ましく思っていると、青年はいえとすぐに否定した。
「お嬢様はそのような身分ではありませんので」
その口調は、まるで自分にも言い聞かせているようである。
不思議に思っていると少女は店主から簪を受け取りながら嬰翔を見た。
「ふふ、嬰翔様申し訳ありません。わたくし、嫁入り前の最後の遠出なので、この人も少々気が立っているのです」
「お嬢様はお嫁に行かれましたら一生外に出ることは許されません。貨幣価値を知る必要もないお方なんです」
「……そんな方がどうしてこんなところに?」
二人の間に流れるただならぬ空気に気圧されながら尋ねると、少女は遠い目で言う。
「一度この国を見て回りたいと思っていましたの」
「国を?」
「ええ、わたくしの生まれたこの国を」
そう言うと、少女は簪を自らの髪に当てて似合うかどうか蒼郭の方を向いて見せた。
「どうかしら、蒼郭」
少女の問いに、青年は寂しそうに微笑む。
「あなたはいつだって、誰よりも美しいです」
「……もう、そういうことを聞いているんじゃないわ」
そういう少女の瞳はどこか寂しげでありながら、耳だけが少し赤く染まっている。照れているのだ。
その様子を見ていてもやはり、二人が普通の主従には見えなかった。
※
自分の名前が芙蓉であるということ以外少女は何も語らなかった。きっとそれも偽名だということは彼らのやりとりを見ていれば分かる。歳も十五くらいだろうということが分かるだけで、嬰翔の問いに答える気はないのだろう。
泊まる宿もないというので嬰翔の無駄に広い邸宅を貸そうかというと少女は喜んで頷いた。
懐いてくれる様子はやはり少しだけ芙蓉に似ている気もする。
嬰翔が応接間で植物に水をやっていると湯浴みを終えた少女が嬰翔の横にいつの間にか立っていた。
「素敵なお部屋ですわね」
そう微笑んだ彼女の髪は市民に紛れるために汚していた色も抜け、生まれたままの白銀の光を纏っている。嬰翔の使用人たちが彼女を見て張り切ったらしく、その髪は幾重にも編まれて彼女が昼間に購入した竜胆の髪飾りがあしらわれていた。
その眩いばかりの姿には思わず嬰翔も言葉を失っていると彼女の後ろで目を光らせる従者と目が合って我に返る。
「僕も美形には慣れているつもりだったのですが、お嬢さんは別格の美しさで驚いてしまいました」
そういうことを言うと、たいていの女性は顔を染めるものだが彼女は笑うだけで照れもしない。天女のような美しさを持つ彼女からしたら言われ慣れた台詞なのであろう。
「ふふ、お口がうまいですわね。わたくし、言われ慣れておりますので反応がなくて面白みがないでしょう。殿方にはよく言われるのです」
「女性にそういった面白みを求めるのは失礼だと思いますが」
案の定、彼女は嬰翔の言葉に興味があるわけではないらしく嬰翔の手元の如雨露を見ている。
「悩んでいらっしゃるのね」
ぎくりとして彼女を見ると、白色の瞳は僅かに銀の光をたたえている。ああ、この色は見たことがある。かの鴻鵠の娘も、同じ光をその瞳に宿していた。
「どうしてですか?」
「なんとなく、草花に触れる貴方の瞳に揺らぎがございましたわ」
図星だ。嬰翔には迷いがあると草花を増やしてします悪癖があることを、鈴扇にも指摘されたことがある。
それを一度見ただけで見抜くのは、彼女が生まれ持つ瞳ゆえなのだろうか。
古くから蓮家には異能の姫が多く生まれると言われている。
「迷いがあると増えてしまうんです。友人にもよく怒られます」
「まぁ、あの鈴扇様にご友人がいらっしゃるとは驚きましたわ」
「よく分かりましたね」
「わたくし頭は悪いのですが、目は良いのです」
「貴方は占い師か何かですか?」
面白がるように言うと、彼女は少し寂しそうな顔をした。美人の憂い顔は、朝露を受けた花のように美しい。
「うちの家系でそういった職に就いた方はいませんわね、なかなか楽しいかもしれません」
「まあ、相当な貴族でしょうしね」
嬰翔は知らないふりをしながら言うと彼女は懐かしむように語り始める。
「わたくし、女官の職に就こうと思っていましたの。お爺様もそのように育ててくださったのですが、一月足らずで除籍になってしまいました」
「あなたのような方が……?」
所作も言葉遣いも、さらには心遣いまでも完璧な彼女がそのように短い時間で朝廷を辞したというのは考えにくい話だった。詳しくは分からないがおそらく家柄も申し分ないはずである。
驚いていると、隣で聞いていた蒼郭が不機嫌そうな顔で付け加える。
「お嬢様の名誉のために申し上げますが、お嬢様が美しすぎると言って妃たちが遠ざけたのです。けっしてお嬢様の能力が低いわけではございません」
「この顔は家系上仕方がないのですが、分かってくださらない方が多いのです」
「それで、ご結婚を?」
「貴族の家に生まれたからには、父や祖父の駒になることも受け入れねばなりません。そこまで後ろ向きな輿入れでもありませんのよ、向こうは幼馴染ですし」
「女性は強いですね。いつも足踏みをしているのは僕たち男の方です」
苑華や芙蓉の顔を思い浮かべながら言うと、少女はふふと声を上げた。
「あら、女性も男性も関係ありません。足踏みをしてしまうのは貴方が思慮深いという証拠ですわ。思慮の浅い人間ほど自分の能力を高く見積もり、思慮深い人間ほどあらゆる可能性を想定して自分の能力を低く見積もってしまうものです」
少女は異国の花々に目をやりながら言う。
「わたくしでよければ悩みくらいは聞けますわ」
その言葉に、蒼郭はすぐに待ったをかけた。
「お嬢様、早く休まれなければ体に障ります」
「わたくし、そこまで病弱ではないわ。蒼郭も来なさい。良いかしら、嬰翔様」
「構いませんが、僕には構わずごゆっくりなさってくださいね」
「一宿一飯の御恩ですわ」
そう言うと、少女は慣れた様子で嬰翔の家の使用人に茶の用意を頼む。
渋々と二人の間に腰かけた彼女の従者はそれでも少し不満そうに嬰翔を見ていた。そんな彼を横目に見ながら、嬰翔は運ばれてきた茶を彼女らに振舞う。
「芙蓉殿は、僕が補佐役に向いている人間だと思いますか」
「ふふ、初対面のわたくしには少々難しい質問ですわね」
「申し訳ありません、実を言うと相談する人間がいなくて困っていたのです」
「構いませんわ。そういう顔をなさっていたもの」
十は歳が離れているであろう彼女に言われると恥ずかしい気もしたが、不思議と彼女の前では悩みがすらすらと口から出た。
「上司から、國令職に就かないかという旨の文を貰ったのですか僕自身どうしたらいいか分からないのですよ」
嬰翔はその話を実際蹴ってもいいと思っている。自分は鈴扇の側で彼の夢が叶うのを見届けたい。それが太学時代からの嬰翔の願いだった。
「まあ、光栄なことではありませんか。ぜひ受けるべきだと思いますわ」
「普通に考えれば僕もそうだとは思うんですがね。もともと、地方官吏として生きていこうと思っていた身としては荷が重いんですよ」
「あなたは鈴扇様のために官吏になられたのですか。奇特な方ですわ」
「ため、というと大仰ですが。そうですね、彼がいなければ僕は副官になどなっていなかったでしょうね」
心底驚いた顔をする彼女は、やはり鈴扇とは顔見知りなのだろう。
とすると、彼女の素性も大分絞られては来るが今は知らないふりをする。
「それゆえに、鈴扇が欲しいのは優秀な部下である僕か、信頼できる友である僕なのか、分からない時があるのです」
『私にはまだ、お前がいなければ困る』
確かに鈴扇はそう言ってくれはするが、その絶対の信頼に優秀だが秀才の域を出ない嬰翔はたまに申し訳なく感じてしまうのだ。
芙蓉が来てからそう感じる回数は確実に増えた。彼女は優秀であるうえに、誰かに守ってもらう必要がある雛鳥だ。
そうなれば、彼らの関係は綺麗な補完となるだろう。そこに自分は不必要な気がしてならなかった。
「依存関係になっているのではないかと考えてらっしゃるのね」
「……いかにも」
彼女は、硝子製の茶器をなぞりながら目を伏せる。
「嬰翔様、私がこれから妻という役目を果たしに向かうのは、何も向いているからではありませんわ。それがわたくしの夢に一番近いところにあるからです」
「夢、ですか」
「あなたの夢はなんですか、嬰翔様。その夢に一番近い道筋を探せばいいと思いますわ。そして、そこから遡るように考えることで新しい答えが出てくるのではないでしょうか」
その言葉は嬰翔にとっていわば光明のようであった。
この国から六つの國を失くし、國主と國令といういわば二権力の横行を廃止するという二人の夢は未だ昔語り合ったままに、熱を持っている。
少女の白銀の瞳は嬰翔が何を考えているかお見通しのようだった。原点に立ち戻れと、言われているような気がした。
まだ答えが出せるわけではなかったが、少女の言葉に少しだけ前を向く勇気が持てたような気がした。
「あなたは変わった方ですね。話していると、心の中の澱がなくなっていくようです」
「わたくしは一度死んだような身なのですわ」
「どういうことです?」
「お嬢様、それ以上は」
聞き返すと、やはり従者の待ったがかかる。それに不満がありながらも反論せず、分かったというように微笑む彼女は普通の少女にも見えた。
「仲が良くて、妬けてしまいますね」
そう言うと、途端に二人の表情が空気が張り詰めたように冷静なものになった。
「……失礼、仲の良い恋人同士のように見えたので」
「そう見えていたのなら、嬉しいですわ」
嬰翔の言葉に少女は素直に喜んでいるようだった。
「……お嬢様」
逃避行なのかと、聞こうとして彼女の目に宿る意思の強さを見てそうではないのだと確信した。
彼女は逃げているのではない。
きっと、なにかと向き合うための旅なのだろうと思うと何故か胸が苦しくなるようだった。
※
翌日目を覚ますと、使用人たちに芙蓉と名乗った少女とその従者は既に発ったと聞かされた。
まさに、一夜の夢のような出会いであった。
「一体なんだったんだろう、あの蓮家の姫は」
そう言いながら、何故か嬰翔は久しぶりに寝覚めの良い朝を迎えたような気がしていた。
二人の芙蓉が出会うのはまだ先の話である。




