表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴻鵠の娘  作者: 納戸
眼光 紙背に徹す
16/50

4.矯めるなら若木のうち─1

  嬰翔と苑華(えんか)の間には六つの、汀眞と苑華の間には十三の歳の違いがある。


 彼女が十六になる頃、嬰翔は十で共に薺家の当主候補として教育を受けたこともあった。

 やる気はなかったが要領のいい嬰翔のことを苑華は弟のように可愛がり、商人よりもむしろ官吏として自分の片腕にしたいと彼を後押しした。

 (けい)家が幅を利かせる薊國で、薺家の息のかかった官吏は貴重だったのだ。

 太学には十三から入学が許されるということで、苑華は嬰翔を強く官吏に推した。

 当時、周りに流されるままに生きていた嬰翔はいずれ薺家を背負う苑華という波に乗っておくべきだと、その言葉に従った。

 姉のように慕っていた苑華が薺家当主の座に就いたという知らせを受け取ったのは、嬰翔が国試に合格した十六の年とほとんど同時であった。

 二十二という若さの、しかも女性の当主はそれでも実力主義の蔦家が選んだ女性だからと、一人もその決定を覆そうとしなかったのだから薺家はすごい家系である。


 薺 苑華(せい えんか)はそこそこの美人だが、目立つような顔出ちではない。

 美人と言っても市井ではという話であり、成り上がり貴族と呼ばれる薺家が六大家と並び立つうえでその顔は随分地味だと、彼女自身自覚していた。

 それゆえに腰まであった自慢の赤髪を、肩口まで切り落としてしまった。


『これで私を見ないわけにはいかないだろう』


 そう、立ち会った嬰翔に彼女は言った。

 古来より(せん)國の民に比べて薄くて品も落ちると言われる彼女の瞳の中の朱色は、しかしそのとき燃える火のように美しかった。

 男でもなかなかいないその髪の長さに、街を歩くとたいていの人間が振り返り、奇異の目を向ける。

 それでも最新の髪飾りで、最新の意匠を凝らした服装で自らを飾った彼女の誰よりも粋な装いに薊國の少女は皆心を奪われたのだ。



 汀眞がそんな苑華に恋をしたのは、いつだったのか本人すら分からない。

 薺家ゆかりの子供は五つを超えると商学を学ぶ学び舎に集められ、蔦家の子供もそこに寄り添って育つ。

 そのせいで、彼自身は生まれたときから彼女を好きだったと信じてやまない。

 彼女の強い意志を秘めた朱色の瞳も、利発な物言いも全て汀眞を魅了した。

 彼女の瞳の中の朱色だけ、どんな紅玉よりも美しく見えた。

 それは優秀な人間を見極めるために生まれた蔦家の少年にとって至極当然のことだったのかもしれない。

 汀眞が熱心に鑑定士として学び始めたのは苑華の横に早く立ちたいという幼心だったのは言うまでもない。


 あれは、たしか十二の年だったと汀眞は記憶している。

 その年の夏に、蔦 汀眞の人生は大きく変わったのだ。






「苑華様!」


 定期的に薺家の子供たちが教育を受ける学び舎に立ち寄る苑華を迎えるのは、鑑定士として独り立ちした後も汀眞の仕事であった。

 彼女が帰るという噂をどこからともなく聞きつけると飛んでくるその姿忠犬のようだと、親戚たちも微笑ましく見守っていた。

 昔は汀眞が抱き着きに行くと喜んでくれていた苑華も、彼が十を過ぎるとそのたび扇でその頭を叩くようになった。

 その日も苑華に抱き着くために手を伸ばすと、直前に大きな手に阻まれた。

 見ると苑華と共に朝廷から帰ってきたらしい嬰翔が呆れ顔で汀眞の顔を覗き込んでいた。


「汀眞、あなたまた来ていたんですか」


 薺家にしては珍しい碧の瞳を持った彼は汀眞も信頼している当主候補の一人であった。


「翔兄様、帰ってたの?」


 (りく)家の次男である彼は苑華とは遠い親戚であり、幼いころから苑華と並んで秀才の誉れ高い青年だ。

 いつも傍にいた二人をいずれ結婚する恋仲だと大人たちは噂していたが、汀眞は二人が単なる友達だと気が付いていた。

 それを判断するだけの目が、既に汀眞には備わっていた。

 第一、苑華は当主として立つと同時に結婚はしないということを明言していたのだ。


「苑華様、俺と結婚してくれる気になりましたか?」


 それでも彼女しかいないと、汀眞は自分と彼女の運命を疑ったことがなかった。

 いつものように満面の笑みで聞いたところで苑華の答えは決まっている。


「汀眞、何度も言ったはずだが私ばかり追うのはやめろ。私は誰とも結婚しないし、お前を特別扱いすることはない。翔、汀眞を送ってやってくれ」


 苑華は頬にかかった癖のある赤毛をかき分けて、わざとらしく咳をする。

 汀眞が問いかけるたびに、恋愛事に疎い彼女が少しだけその耳を赤くするのを彼は知っていた。

 その反応を確認して汀眞が「では待ちます!」といつも通り元気よく返事をする。

 苑華は溜息をついて隣の嬰翔に助けを求めるような目線を投げた。


「姉上、僕は先ほど帰ってきたばかりなんです。なんでこの子の相手までさせられるんです」


 対する嬰翔がそう言って顔を顰めるとその肩にとんと、扇を置き苑華は凄む。


「私をおいて鈴扇とかいう菫家の若造に寝返ったお前のことを私はまだ許していないのだが?」


「……喜んで行かせていただきます」


 汀眞には分からないが、嬰翔はすぐに顔を青ざめさせると苑華に従った。

 その姿に扇で口元を隠して笑う彼女には、誰も適わない。


「私はあの馬鹿王に呼ばれたので王都にとんぼ返りだ。翔、あとは頼んだぞ」


 馬鹿王、と皇帝である慶朝を呼ぶのはこの国でも苑華くらいのものだろう。

 領地を持たない薺家が他の家と渡り合っていくうえでそれくらいの気概は必要なのだろうが、ともすれば朝廷に殴り込みかねない彼女を嬰翔はいつも冷や冷やして見守っていた。


「はいはい、いってらっしゃいませ」

「いってらっしゃいませ!」


 小さな頃から汀眞は彼女が旅立つのを何回も見てきたため、もう別れを惜しんで泣くことはない。


「あなたも懲りませんねえ」


 笑顔で送り出す汀眞に嬰翔は苦笑して言う。

 汀眞が苑華に求婚するのを嬰翔はもう何千回何万回と見たはずなのに、そのどれも彼が本気なのが微笑ましかった。


「これくらいの器がないと苑華様の旦那はなれないもん。ねぇ、翔兄様帰って来ないの?官吏になって薊國に戻ってくるはずなのにってみんな言ってるよ」

「僕にもいろいろ事情があるんです」


 嬰翔は苦い顔で言うが、彼に苑華よりも優先する事情ができたことを汀眞は不思議に思った。

 嬰翔が送ると言ったのは薺商連本部のある特区までを想定していたのだろうが、その途中薺家ゆかりの商人や鑑定士に何度も汀眞は声をかけられた。


「汀眞様、先ほど蓮國帰りの商隊が絵を鑑定してほしいと呼んでいましたよ」

「汀眞、この印の篆刻を見てくれ。老眼で細かいところまで鑑定できないんだ」


 その全てを快諾し、簡単な依頼ならその場で解決していく様子は、すでに彼が鑑定士として認められつつあることを如実に表していた。


「あなた、なんでそんな熱心なんです?」


 明らかに多すぎる仕事量をこなす彼に心配になって嬰翔は尋ねた。


「俺、苑華様と本当に結婚したいもん。蔦家として認められないと苑華様の隣に立てないじゃん」


 そう、満面の笑みで言う彼に嬰翔は溜息をついて驚くべき事実を暴露した。


「いいですか、丁慎。あなた、姉上を落としたいなら、このままでは絶対に無理ですよ。

 薺家と芹家は婚姻ができません。ましてや、姉上は当主ですからね」


 その時の衝撃を、汀眞は今でも忘れられない。


「はぁっ!!!?」


 一呼吸おいて発せられたその素っ頓狂な声は、後から聞いた話によると朱嘉(しゅか)の街中に響き渡っていたらしい。


「そんなこと婆さんは一言も……!!」


 そう言ってから、合点が言ったように汀眞は押し黙ってしまった。

 汀眞の祖母であり、嬰翔たちも師事したことのある蔦 殊璃(ちょう しゅり)は蔦家を牛耳る当代きっての鑑定士である。

 殊璃は百年を生きたかと思われるような老婆であり、普通の人間には彼女の考えを測り知ることはできない。嬰翔も昔から何度も彼女の手の平の上で転がされた苦い思い出があり、やはり知らされていなかったのかと気の毒になった。


「あの狸がそんなこと教えるわけがないでしょう。まったく、周りも周りで、あなたがどういえば熱心になるか心得ているんですね」


 幼子の戯言だと真剣に受け取っていない苑華も人が悪い。

 こんな基本的なことを汀眞が知らないとは彼女も思っていないから、適当にあしらうことしかしていないのだろう。


「じゃあ俺今すぐこの家出ていく!こんな家出てったら、苑華様と結婚できるんでしょ!?」


 蔦家は鑑定士として使えないと判断されると、その名を持つことを許されなくなる。

 しかし、その判断が正しいとは嬰翔には思えなかった。

 汀眞自身、誇り高い蔦家という家名を自らの口で蔑んでしまったことを後悔したように口を閉ざした。


「あなたのその清々しいまでに姉上の意思を無視した突っ走りっぷりも見てて面白いですが、薺家の当主の横に立つ男が何の家格もない男で務まりますかね」


 借りにも六大家と並ぶ大貴族の当主の伴侶となると、その家格が重視されることは避けられない。

 なんの価格も持たない男と結婚するということは苑華の価値さえ下げかねないと、嬰翔は暗に言っていた。


「そんな……」


 すっかり目の前が真っ暗になった汀眞を気の毒に思ったのか嬰翔はそのとき、驚くような提案をしたのだ。


「一つだけ方法がありますよ、苑華様と並び立てる良い方法が」


 そのあとに嬰翔が続けた言葉に、汀眞は驚きながらも聞き入った。

 嬰翔の碧の瞳はその時、確かに汀眞の瞳越しに未来を見据えていた。

 今思えばその提案は苑華とは違う道を歩み始めた嬰翔の、汀眞に彼女を支える力になってほしいという思い故だったのかもしれない。

 とにかくこの後汀眞は嬰翔の指導の下、太学を目指すこととなったのだ。




 苑華が馬鹿王と呼んだ慶朝が、蔦家の能力を欲するのは皮肉にも汀眞が太学への入学を認められたのとほぼ同時期であった。




 ※




 芙蓉と嬰翔が意識を失って次に目を覚ましたのは、おそらく青漣のはずれにある邸宅であった。

 


 寂れた様子からして賊は空き家を拠点として使っているのだろう。

 既に日は落ちかけている。

 芙蓉は急いであたりを見渡すが、既に屋敷の中に連れ込まれてしまっているため周囲を確認することができない。

 後ろ手を縛られた状態で芙蓉がここから出る方法を講じ始めたのが分かったのか、男たちは芙蓉に「余計なことを考えるな」と念を押した。


「ほらっ、ここでちょっと静かにしてな。お頭に話を通してくるからよ」


 二人を屋敷の一室に投げ入れると、男たちは二人を品定めするように見る。

 特に芙蓉の顔を見た男たちは下卑た笑いを浮かべた。


「そっちの顔の綺麗なお坊ちゃんは貴族に売り飛ばしてもいいな。あんたみたいな毛色の変わった美少年は良い値で売れるらしいぜ」

「お断りいたします」


 芙蓉が威嚇する猫のようにその灰色の瞳を尖らせても、汚い笑い声を浴びせられるだけだ。


「おい!俺たちをどうこうしようってんなら……!」

「知ってるよ、この國の國令副官と刺史副官だろ。お前たちをどう使うかはお頭が決める。ここで大人しくしてな」


 その言葉に、汀眞と芙蓉は顔を見合わせる。

 敵も侮りがたいということだ。先程彼らが芙蓉たちを官吏だと知っていたように、敵は既に動き出している。

 このままでは贋金が薊國に流れてしまう。

 二人が何も言えなくなってしまったのが分かったのか、男たちは部屋に鍵を付けると二人を残して去ってしまった。





「おそらく蒼甜(そうてん)に近い青漣のはずれですね」


 部屋に残された芙蓉がまず口にしたのは、ここがどこであるかについてだった。

 蒼甜(そうてん)、青漣の隣に位置するその都市に向かう途中の地域で、芙蓉は空き家となった邸宅群を見たことがある。

 彼らがこんな大きな邸宅に陣取っているのを見るに國軍の手が届いていないその地区で間違いはないようだった。


「……なんで分かるんだよ」

「おそらく私たちを運んだのは車でしょう。馬の脚の速さというのはだいたい決まっているんです。速さと、それから大体の時間が分かれば距離を計算することができます。日の落ち方を考慮すると大体ここは青漣の街から二十里ほど離れた地域です」


 部屋に差し込む光を見ながら言う芙蓉の冷静な様子に、汀眞は驚く。


「なんでそんなに冷静なんだよ、俺たち殺されるかもしれないんだぞ」


 汀眞の瞳を見つめて、芙蓉は何でもないことのように言う。


「そんなことさせません、私には生きなければならない理由があるんです」


「……そうかよ」


 芙蓉の言葉に汀眞は急に自分が情けなくなったのか、それだけ言うと身体を床に横たえてしまった。

 育ってきた環境が特殊とはいえ、汀眞には自分が同年代の人間と比べて優れているという自信があった。

 それがこの少女と出会ってからは言い負かされっぱなしで、うまく利用されているような気がしてならない。

 今にしてもそうだ。取り乱す汀眞に対して、彼女の瞳は真実だけを見つめてここから出る方法を冷静に探っている。


「芙蓉さ、なんで俺は嘘が見抜けるのに最初に店主の演技が見抜けなかったんだって思ったでしょ」


 贋金に目がいって店主が嘘をついているのだと、汀眞は疑いもしなかった。

 自分はその能力を持っていたのに、使うことができなかったのだ。

 蔦家の人間の名折れだと、汀眞はそのことをひそかに悔やんでいた。


「ああ、確かに。そう言えば。怪しもうともしてなかったですね」


 芙蓉にそう言われて汀眞はますます落ち込んで体を小さくする。


「どうせ未熟者だって言うんでしょ…どうせ俺は思い込みの激しい未熟者だよ……」


 そのままどうせどうせと珍しく弱気な彼に、芙蓉はふと思ったことを口にした。


「汀眞殿はなぜ官吏になろうと思ったんです?あなたほどの目があれば、官吏にならなくても違う道もあるでしょう」


 汀眞はその言葉に起き上がって芙蓉を見ると、曇りのない瞳で言ってのけた。


「苑華様の旦那さんになるため」


「はっ?」

「だから、薺家当主の苑華様と結婚するため」


 耳を疑って聞き直しても、汀眞の言葉は変わっていなかった。

 冗談かと思って彼の顔を覗くと真剣に芙蓉を見つめ返してくる。


「官吏になることと薺家のご当主様と結婚することが関係あるんですか?」


 訳が分からず聞き返すと、汀眞は珍しく丁寧に説明してくれる。


「薺家と蔦家はその関係上結婚することができないの。ほら身内になったら公平性もくそもなくなっちゃうでしょ」


 それならば現時点で蔦姓を持って朝廷に入った彼は当然結婚できないのではないだろうかと芙蓉は思った。


「じゃあ結婚できないんじゃないですか?」


 そう言うと何故か勝ち誇った顔をした汀眞が芙蓉に言う。


「芙蓉って本当に朝廷について疎いよね。()()()、薺家と結婚できないんだよ」

「どういうことですか?」


痺れを切らしたように汀眞はある部分を強調して言う。


「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺はそれ狙って出世しようとしてんの」


 目から鱗の話であった。

 二士、それは朝廷では六部(りくぶ)の尚書以上の地位を得た人間の官位である。

 確かにその地位を手に入れられれば、少なくとも苑華の伴侶として申し分ない。

 それよりも初めて聞くその制度に芙蓉は今の状況を忘れて心を躍らせた。

 はやる心を抑えて、芙蓉は汀眞に尋ねる。


「それは本当ですか……?」

「本当本当、まあ官吏になる貴族なんか元々良い家の子ばっかりだから使う人間は少ないらしいけどね」

「私もですか?」


 少女の瞳はこんな真っ暗な部屋で光を得て輝く。


「え?」


 嫌な予感がして芙蓉の目を見るとその目は期待に満ちて、汀眞を見返してきた。


「私も二士以上になれば、新しい姓を得ることができるんですか?」


 それは芙蓉が葵家を捨てて、生き抜くことができるかもしれないという希望であった。

 葵家のしがらみに捕らわれず鈴扇や嬰翔と同じ夢を見たい、というのは芙蓉にとって何よりの願いなのだ。

 もしかしたら彼らとともに見る夢が叶う瞬間を、その目で見れるかもしれないと思うと芙蓉の胸は高鳴った。


「あんたはそんな奥の手使わなくても慶ちょ……いや、なんでもない。忘れて」


 これが終わったら慶朝に頼み込みでもすれば姓くらい何とでもなるのでないかと思ったが、嬰翔に言われた言葉を思い出して踏みとどまる。


『汀眞、あなた芙蓉殿が博士位に興味を持ちそうなことを言うのはよしてくださいね』


 ()()()()()()()()()()()()()()()()、と言った嬰翔の瞳は汀眞に官吏になるとこを提案したときと同じように未来を見ていた。

 嬰翔の読みは当たると苑華も言っていたのを思い出し、汀眞は素直に従うことにした。

 しかし、物事はそううまくいくとは限らない。


「私、出世します」


 気が付くと目を輝かせたままの芙蓉が高らかに宣言していた。


「えっ!?」

「なんで驚くんです?あなたが言ったんでしょう」

「……いやぁ、ほら俺たち同い年だし負けたくないなぁと思って」


 まずい、と妙にやる気を出す芙蓉に汀眞は内心冷や汗をかきはじめる。

 このままでは博士位に興味を持たなくとも、慶朝がとんとん拍子に話を進めるだろう。

 汀眞は王に嘘をつくことはできない。

 彼女の聡明さも、勘の良さも、慧眼も全て慶朝に包み隠さず話さなければならない。

 そうなったとき、王が父譲りの聡明さを持った少女を手放すとは思えなかった。

 うっかり、自分が出世したい理由なんぞ話してしまったのが間違いだった。


「ねっ、ねぇ芙蓉は博士(はくし)に興味ないよね?」


 焦った汀眞は思わず遠回しに聞くのを忘れて芙蓉にそう尋ねていた。


「ないですよ」


「そうだよね、あるよね……え!?ないの!?」


 思ったものと違う答えに、汀眞は思わず声を上げていた。

 すぐ近くで大きい声をあげられた芙蓉は鬱陶しそうに目を細める。


「さっきからなんなんです?だって博士って三士でしょう、()()()()()()()()()()()()()()()()


「そう…だね…その通りだよ……」


 その答えを聞いた汀眞は全身の力が抜けたようにほっとした。

 その通りだ。

 博士は大きな発言力を持つ代わりに、高い官位を持たない月英に(あつら)えた官職なのだ。

 芙蓉は先程までの話を聞いてその地位を目指すような馬鹿ではなかった。


「私だってそれくらい分かってますよ。父上って世間とずれた人なので、王様が特別に用意した席なんでしょう。嬰翔様に何か言われました?」

「……あぁ、芙蓉って本当に何でもお見通しなんだね」


 何故か振り回されたような気持ちになり、汀眞は大きなため息をつく。

 この少女に下手な嘘をつこうとした自分が馬鹿らしくなった。

 普段自分の前に並んだ官吏たちはこんな気持ちなのかと思うと感慨深い。

 確かにこんな思いばかりを煽ってくる人間は嫌われて当然なのかもしれない。

 だからと言って芙蓉を嫌うわけではないのだが。


「しっかりしてください、あなたと私は勝負の最中なんです。今死んだらあなたに負けたままでしょう」

「……俺にまだ勝機あったんだ」


 一か月以内に贋金鋳造の犯人を見つけ出す、その勝負にもうすっかり負けた気でいた汀眞は思わず呟く。

 なんとなく、王が自分を送り込んだ理由が分かった気がした。

 御史台で調子に乗っていた汀眞を戒めるためというのが一番に浮かんだが、次に浮かんだのは()()()()()()()()()()()()

 飛んだ当て馬だと腹立たしかったが彼女が王の思い通りにはならないと思うと、不思議と小気味良かった。

 そして心から、彼女を博士にしてはならないという嬰翔の考えに同意した。

 彼女に月英の影を見るのは間違っている。


「ちゃんと下手人を上げて、あなたに勝ってみせますよ」

「……はいはい」


 何が化け物だ、と汀眞は昨日の自分を恥じた。

 目の前で微笑む勝気な少女は汀眞に敵意を向ける憎たらしい後輩官吏だ。


 ふと、その瞳は部屋の端に焦点を合わせて瞬き始めた。

 汀眞殿、と芙蓉は今まで好き勝手騒いでいた声を小さくすると部屋の隅に置かれた皮袋に目を向けた。

 見るとその隙間から、金貨や銀貨が覗いている。

 どうやらここは賊が盗品を補完するための場所でもあるようだった。


「あれって、多分。贋金運搬の報酬ですよね」

「えっ……そうなんじゃないの?まあ、たくさんあるから分かんないけど……」


 彼らが他の官吏から奪ってきたものである可能性もあったが、皮袋の数を見るに彼らが得た殆どの美術品や金がここに集められているようだった。

 それがどうしたのかと、汀眞が芙蓉を見ると彼女は何かを見つけたようににやりと笑う。




「思いつきましたよ、ここから出られる方法」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ