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鴻鵠の娘  作者: 納戸
眼光 紙背に徹す
14/50

3.使える知識、使えない知識─1

 

「で、俺を呼び出して何がしたいの?」


 芙蓉と汀眞が競い合いを始めて五日が経った頃の話だった。

 仕事が終わった夕暮れ時に、芙蓉は自らの執務室に汀眞と嬰翔を呼び出していた。


贋金(にせがね)であるという証拠を見つけたので報告をしようと思いまして」


 すぐにでも言い争いを始めそうな雰囲気の二人に、嬰翔は自分が二人の競い合いの審判として呼ばれたことに気が付いた。

 同じ年頃の官吏とほとんど働いたことがない芙蓉からして、汀眞は相当扱いにくい人間なのだろう。

 頼ってくれているようで素直に嬉しいが、鈴扇に嫌な顔をされそうだと内心苦笑した。

 それにしても昔から気が強かった汀眞はともかくとして、芙蓉までこんなに好戦的な態度を見せているのは嬰翔には意外だった。

 嬰翔はそんな二人の関係性を厄介だと思いながら、心のどこかでは芙蓉を刺激する良い起爆剤になるのではないのかと思っていた。

 彼女は腕を組んで不遜な態度を取る汀眞の前で、透明な液体の入った珍しい硝子の入れ物を揺らして見せる。そのもう一方の手には、おそらく贋金なのだろう金貨が握られていた。

 何回見ても嬰翔には全く見分けがつかない。


「これ、絶対偽金なんですよね?」

「うん、そうだけど?」


 そう汀眞に確認すると芙蓉はぽちゃんと、透明の液体にその金貨を落とす。見る間に液体が青色に変わっていくのを見て、嬰翔と汀眞はやっとそれが普通の水ではないと気が付く。


「……何やってんの!!?」


 重要な証拠品を謎の液体に放り込んでしまった芙蓉の顔を見て、汀眞は焦り始める。

 偽物とはいえ、(きん)は貴重だ。

 見ればみるみる泡が出て、金貨は溶けてしまっている。

 急いで取り出そうとする汀眞の手を制すと、芙蓉は二人を落ち着かせるように言った。


「これは嬰翔様も、汀眞様も見たことがある液体だと思いますよ」

「えっ……?」

「もしかして屍酸(しさん)のこと?」


 ちっとも見当がつかない、という嬰翔に対して汀眞は怪訝な顔で言う。

 それを聞いた嬰翔はようやく合点のいった顔をするが、二人とも依然初めて見る現象に首を傾げている。

 そうです、と芙蓉は溶けていく金貨を見ながら言う。


「商人の間では生物の死骸から生成されるためそう呼ばれているらしいですね。試金石を使用して金の純度を調べるときに使用される液体です。これを使うと金以外の金属を溶かすため、贋金に含まれた金属の割合を確認することができるのです」


 屍酸(しさん)、生物の死体や糞尿から微量に取れるこの酸は商人なら一度は耳にしたことはあるものだ。

 試金石に金をこすりつけることで金の純度を確かめる鑑定方法に使われる酸で、こすりつけた際に金以外の金属が多く含まれているとこの酸を垂らした際に溶かされてしまうという仕組みだ。

 まさかその酸に金属をまるごと漬けてしまうというのは二人も初めて見る奇行である。

 しかし彼女の言う通り、合金から銅だけを取り去ってしまえば金の含有量が分かるというのは二人にも理解できた。


「こんな使い方があったとは……」

「残った部分を量って計算してみると、実際の金貨より一割ほど金の量が多いんですね」


 見て分からないのだから、誰でも見て分かるように金属量を比較すればよい。

 芙蓉の言うことはもっともだ。

 もっともだが、この場合は彼女の知識が仇となるのだと、嬰翔は気が付いてしまった。

 それを言い出す前に、汀眞が疑問を口に出していた。


「あんた、なんで本物の金貨の(きん)の含有量なんか知ってんの?」


「なんでって、父上から教えられたので」


 やはり、と嬰翔はこめかみに手を置く。

 学問の面で彼女は国で最高の家庭教師に師事していたのだ。

博士(はくし)」という皇帝が作った特別な席に座っていた彼女の父は、比喩表現ではなく本当に何でも知っていたのだろう。


「そんなの王宮の奥の奥にしまわれた禁書にしか載ってないよ」


「……は?」


 素っ頓狂な声を上げる彼女を汀眞は厳しい表情で見つめる。

 金貨の金含有量など知っている人間は普通にはいない。

 どうやら彼女は、それを官吏ならだれでも知っている話だと思っていたようだ。

 そして、まさか自分の知識が使えない日が来るとは思っていなかったのだろう。


「そもそも贋金を作りにくくするために合金にしてるんだからその割合を公表してるわけないでしょ」

「……父上、なんてことを子供に教えているんですか」


 芙蓉は目の前の情報に飛びついてその経緯を軽んじた自分の考えの至らなさにしばし頭を抱えた。

 眼光紙背(がんこうしはい)(てっ)す、書物の表面だけではなく真意を理解するということが今の芙蓉には見事に抜けていたのだと情けなくなる。


「今聞いたことは聞かなかったことにしましょう。まさかこんなところで国家の秘密に触れることになろうとは思いませんでしたよ。まさか芙蓉殿の知識が仇になる日が来ようとは…」


 これを持って行ったところで証明することができない。

 むしろ、何故そんなことを知っているんだと芙蓉自らが刑部に連れていかれる可能性さえあるのだ。

 嬰翔は、監察官である汀眞こそ黙っていないのではないかと思ったが、これに関しては彼も咎めるつもりはないらしい。

 机に手をついて深い溜息をついた芙蓉には申し訳ないが、面白いものを見せてもらったと嬰翔がこの場を収めようとしたとき、芙蓉は切り替えたように手を打った。


「まあ、しょうがないですね。話を変えましょう」


 そう言うと彼女は本当に気持ちを切り替えたらしく、戸棚から違う小瓶を取り出すと新しい実験の準備を始めた。


「はぁ?何のために俺を呼び出したの?」

「こんなことになると思わなかったんですよ。仕方ないので、こちらは少し証拠として弱いですが、違う方法で証明します。見ていてくださいね、こちらが本物の金貨でこちらが偽物の金貨です」

「あんた今度は本物溶かすつもりか!?」

「しませんよ、本物の金貨を加工したらそれはそれで罪でしょう」


 芙蓉が小瓶の中の液体で満たした新しい硝子の入れ物に二つの金貨を入れた。

 すると、一つの金貨は音もなく底に落ちたのに対し、もう一つの金貨は泡を纏いながら落ちていく。

 透明な液体に対して、明らかに二つの金貨は違う反応を示していた。


「泡が出ていますね」

「溶けているんですよ」


 不思議そうに覗き込む嬰翔に、芙蓉は執務室の窓を開けながら言う。

 先ほどから実験によって立ち込めていたのであろう嫌な空気が外に出ていくのが分かった。

 こういう時のために芙蓉には専用の実験室でもあったほうがいいのかもしれない。

 鈴扇が大量に官吏を解雇したおかげで余った部屋を彼女に与えてもいいかもしれないと、嬰翔はその姿を見ながら思った。


「やっぱり溶かしてるじゃん!」

「溶かしたのは贋金のほうです」


 芙蓉は小瓶を二人の前に見せると説明を始める。


「これは泉酸(せんさん)と言って、銅や金銀()()の金属を溶かす酸なのです。蘭國では地面から湯が沸く地方で稀に取れるんです。幸運にも芳輪先生が所持していたので分けていただきました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「なるほど、これで贋金であると証明することができたわけですね」


 嬰翔がほっと胸を撫でおろしたところで汀眞はふんと鼻を鳴らした。


「他の金属が入ってるなら、贋金だって証拠じゃん。良かったね、刑部にでも持っていけば?まあ、あんたが出所を見つけたわけじゃないから賭けは俺の勝ちだけど?」


 あくまで喧嘩腰の彼に芙蓉も負けじと声を張る。


「煩いですね!人の話は最後まで聞いてください!」

「言い訳くらい聞いてあげてもいいけど?」


 顔を突き合わせて喧嘩腰に話を進める二人はとても十八の男女には見えない。

 かたや国一の賢者の娘、かたや国一の鑑定眼の持ち主なので普通の男女ではないが、それでも嬰翔には五つ六つの子供の喧嘩にしか見えなかった。

 芙蓉は嫌そうな顔をするが渋々と話し始める。


「金と銅の割合が違うのを知っている人間は少ない……らしいので違うのは当たり前です。しかし、一般的に金貨が銅と金の合金であることは知られています。他の金属なんか入れたらそれこそ本物とはかけ離れてしまいます」

「じゃあなんで他の金属が入ってるんだよ」


「芙蓉殿と同じように試薬を使ってこれが贋金だと確かめるためですか?」


 嬰翔が言うと、芙蓉はようやくいつものようにその瞳を輝かせはじめた。


「そうです、だってこの贋金精巧すぎて見ただけでは判別できないでしょう。おそらく、この試薬を使って贋金を確かめるためにわざと入れたんです。そしてこのことから二つのことが分かります」


「一つは流通目的ではない、ですか」


 この精巧さで、不純物を加えるということはまずおかしいということだ。

 では何のためだろうか、と考えるが嬰翔には皆目見当がつかない。

 瞳を輝かせて金貨を見る少女はおそらく何かをつかみかけている表情をしているのが恐ろしい。


「どういうこと?流通目的じゃなかったら何のために贋金なんか作ったの?」

「木を隠すには森です、といってもこれもまだ一つの可能性ですが」

「はぁ?」


 眉を顰める汀眞に芙蓉は苛立たしそうに人差し指を彼に向けて注意する。


「あなたは先ほどから質問するばかりですね、脳味噌が入ってるならちゃんと考えてください」

「言ったね、監察官への暴言で報告書作ってもいいんだけど?」


 とうとう芙蓉の胸ぐらをつかみそうな勢いの汀眞の頭を嬰翔は叩く。

 そういえば昔から汀眞は女性に対しても容赦のない人間だったのだ。

 たった一人、彼の惚れこんだ女性である苑華(えんか)以外には興味もほとんど示さなかったのを思い出して頭が痛くなる。


「こら!話が進まなくなるでしょ!」


 このままでは話があまりにも進まないので嬰翔が二人の間に割って入ると、二人とも怒られたのが不服であるように顔を逸らした。

 芙蓉は嬰翔を見ると気を取り直したように、しかし汀眞を見もせずに話し始める。


「これを作った意図についてはもう少し考えるとします。

 もう一つ分かることとしては、おそらく()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということです。顔見知りが持ってきた贋金をわざわざ確かめる必要なんかないでしょう」

「なるほど、では捜査の手を広げる必要がありますね」


 嬰翔が言うと芙蓉は頷いて、汀眞の袖を引いた。


「嬰翔様、これで贋金だと証明することができました。私は汀眞殿と一緒に汎國尉(はんこくい)のところにいきます」

「なんで俺まで!?」


 嫌な顔をして袖をはらおうとするが、芙蓉はそれを離そうとはしない。


「汀眞殿も私もこれで立派な犯罪の目撃者になりました。なんとしても男を確保しますよ」


 今までの怪訝な顔が演技だったかのように芙蓉は汀眞を見て微笑んだ。

 芙蓉が目的のために手段を択ばない少女だと知っている嬰翔はその姿を見て苦笑した。

 彼女の狙いは、汀眞の目の良さと記憶力だ。

 人でも物でもなんでも鑑定できるという蔦家(ちょうけ)の目の良さと記憶力はすさまじい。

 事実、彼が赴任して三日で百人以上いる國府の人間を全て覚えてしまったのを芙蓉は見ていた。

 汀眞ならきっとあの日見た男を見つけることができるだろうと思った。

 芙蓉に協力しないと言った彼でもさすがに官吏として、犯罪を見逃すわけにはいかない。


「……っ、しょうがないな」

「では嬰翔様、私たちは失礼しますので鈴扇様によろしくお伝えください」

「分かりました。鈴扇には伝えておきますからあまり無茶はしないように」


 汀眞は流石に折れたのか芙蓉に袖を引かれて嬰翔を恨めしそうに見ながら部屋を後にした。

 若い二人が出て行ったのを見送ると嬰翔は肩を落とす。

 先日、鈴扇に年寄りみたいだと言われたのは腹が立ったが、官吏になったのも商家なんか継がずに早くに隠居生活を送りたいというのが本音だったし、その通りなのかもしれないと思った。

 それにしてもだ。


『なんでって、父上から教えられたので』


 嬰翔は先ほどの芙蓉の驚いた顔を思い出して首を捻る。

 月英が考えなしに娘に国家機密を明かすことなんてあるのだろうか。


「……ありえないですね」


 ひょっとして芙蓉を最初から官吏として育てようとしていたのではないか。

 憶測の域を出ない話だ。

 しかしそうだとすると何のためにだという疑問が浮かび上がる。

 ()()()()()()()()()()()()朝廷に娘を送ろうとした意味が分からなかった。


「もしかしたら彼女は僕たちが思っているより重い使命を持っているのかもしれませんよ、鈴扇」


 そう呟くと嬰翔は鈴扇に事の顛末を伝えるために燭台の火を消して部屋を出た。



 ※



「あなたたちの目が良いことは知っていましたが、ここまで早く見つけてくるとは思いませんでしたよ」


 次の日、息を切らせて國府に帰ってきた芙蓉と汀眞を見て嬰翔は呆れて言った。

 恐らく犯人を捜して午前中街を走り回っていたのであろう二人は、汎國尉とともに睨み合いながら鈴扇の前に姿を現した。

 二人は芙蓉が贋金を証明した翌日に犯人の男を鈴扇の前に引きずり出すことに成功した。

 話を聞くとどうやら晋官吏のもとに入った賊の一味らしく、美術品が盗まれた事件と贋金事件は繋がりがあるようだと刑曹の官吏たちも捜査を始めたらしい。

 汎 佑徳(はん ゆうとく)、蘭國軍を指揮するこの男は、茜國出身の朗らかな男であり二人の様子を笑い飛ばして言う。


「いやぁ、お二人ともお若い。街に出たとたん兎のように駆け出すので見ていて面白かったですよ」


 朝廷に将来を期待されている二人を兎呼ばわりするこの男もなかなか大物である。


「あなたたち何をそんなに競っているんです。協力してください、特に汀眞。あなた明らかに私情を優先しているでしょう」


 あれだけ嫌がっていたのに真っ先に男を見つけたという汀眞は嬰翔には目もくれず、芙蓉に勝ち誇った顔で言う。


「俺の方が早かったね」

「あなたの方が足が速かっただけで、私の方が目で追えていました。私の指示がなければ男を追い込むこともできませんでした!」

「俺が捕まえたんだから俺の勝ちだろ!」

「あなた結局こけてたじゃないですか、捕まえたのは國軍の方々です!」


 一生終着点の見えない言い争いを続ける二人に、鈴扇は心底鬱陶しそうにしている。

 驟雨の時と違って汀眞に興味を示さないのは、それだけ二人が対立しているのが周りの人間から見ても明らかだからだろう。


「……あの、申し訳ありません。汀眞様にお願いしたいことがありまして、この絵の価値はどれほどなんでしょうか」


 そんな二人に刑曹の官吏がおそるおそる問いかけたのは本当に勇気のある行為だと、嬰翔は褒めてやりたくなった。

 彼は男が贋金を使って買ったとみられる絵を持ち出して汀眞に見せた。


「蔦家に鑑定させるなんて普通なら相応の対価を出してもらわないとなんだけどね」

「ひぃっ……そんなお金ありませんよ……!」


 汀眞の言葉に怯える官吏の肩を持って嬰翔は汀眞を諫める。


「脅さないでください、仕事でしょう」

「苑華様にこういうことは引き受けるなって言われてるんだけどなあ」


 仕方ないといった様子で絵を見始めた汀眞の横で、芙蓉は目を輝かせて言う。


「いい絵じゃないですか、ぼやっとしていて何が描いてあるかはよくわかりませんが」

 その反応に汀眞だけではなく、鈴扇や嬰翔も顔を顰めた。


「どこが?素人目にもわかる駄作でしょ。何でこんな絵を贋金を作ってまで買おうとしたのか分かんない」


 その絵は芸術の素養がなくとも分かる駄作であった。

 ぼやっとした輪郭の絵は筆が揺れているせいなのか何を描いているのかすら怪しいところもある。

 作者の印の篆刻(てんこく)もひどいものであり、名前すらうまく読めない。


「えっ……そうなんですか」


 あまりにも周りと違う評価に驚きながらも芙蓉は未だ不思議そうに絵を見つめている。

 嬰翔は常々感じていたことだが芙蓉には美的感覚がまるでない。

 彼女の父親のおかげでこの国の国試から詩歌の創作が消えたという逸話はどうやら本当らしい。


「……芙蓉殿は今度ちゃんと芸術と詩歌の勉強をしましょう、中央に戻った時に流石に差し障ります」


 地方では行事も少ないが、宮中では四季折々に様々な行事が開催される。

 その時に恥をかくのは彼女なのだ。

 上司としてそれなりの素養は身につけさせてあげたいというのが嬰翔の思いだった。


「ここまでひどいと勉強してどうなるものでもない気がするけど」


 汀眞の悪態よりも絵自体が気になる様子の芙蓉は、今度は何も言い返さない。


「汀眞殿はあの時私と一緒にいましたよね。あの商店にあった絵は全部この絵のようにひどいものだったのですか?」

「まあそこまで良い物はなかったけど、ここまでひどい絵はなかったと思う。そもそもこんなもの、普通は店頭に出ないと思うんだけど」


「普通は店頭に出ない、ということは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけですね」


 芙蓉の問いに汀眞はハッとした顔をする。


「……まあ、そうっちゃそうだね。なに、この絵を睨んで買いに来たって言いたいの?」

「なるほど、大体話はつながりました」

「分かったのか?」


 一見贋金と駄作の絵を交換するような意味の分からないこの取引の意味を彼女は理解したらしい。

 その証拠に彼女の目が光を得て輝き始めたのを鈴扇と嬰翔は見た。


「こんな大胆な方法でこんなことをする人間がいるのか私も疑問ですが、おそらく」

「あのさ、芙蓉。もったいぶらずに早く言えよ」


 汀眞が催促すると芙蓉は目を細め余裕たっぷりに言う。


「謎を解く鍵は汀眞殿、あなたですよ」


 汀眞も昨日今日で芙蓉の見識には一目置いたのだろう。

 一瞬眉を顰めるが、大人しく彼女の言葉に耳を傾けている。


「そして私からこの話を聞いた貴方は喜んで私に協力してくださるでしょう。では汀眞殿、この中で最も価値があるものはどれですか?」


 芙蓉が贋金と絵を二つ指さして言う。

 当然、どちらも汀眞からしてみれば無価値だ。


「俺にはどれもガラクタに見えるけど。まあ、本当の金として使えるんだからこの金貨じゃないの?」


 そう言うと、芙蓉は首を振った。


「違います、(きん)です」


「金貨ではないんですか?」

「はい、金です」


 嬰翔が聞いても芙蓉は金貨ではなく金だと言う。


「どういうことだ?」

「この事件は表面だけを見ていては解決しません。もっと奥、犯人の真意を読み取るんです。犯人の狙いは贋金を流通させるためでも、高い絵を買うためでもない。金を隠すためです」


「金を隠すために金貨に変えたというのか?」


「はい、その通りです」


 鈴扇の言葉に、芙蓉は力強く頷いた。

 にわかには信じがたい話だ。

 木を隠すには森とはよく言うが、金を隠すには金貨など聞いたこともない。


「犯人は金の形を変えて、國外に運び出そうとしていたんですよ。そのためには盗まれたのだという、大義名分が必要でした。このあたりで犯人が分かってきたんではないですか?」

「どういうことですか?さっぱりわかりません」


 その場にいた誰もが芙蓉の言っている意味が分からないというように彼女を見る。

 芙蓉はそれが意外だったようで、ほらと急かすように言う。


「この時期ですよ。新しく汀眞殿という優秀な刺史が来るこの時期に金目の物を隠したくて、しかも商人を使ってそれを國外に運び出すことができる人物です」


「まさか晋官吏か!?」


 晋 楚楊、少し前に賊に屋敷を襲われた小吏のうちの一人の名前である。

 商店をいくつか営んでいるという彼は芙蓉が上げた条件に一致していた。


「その通りです。彼は自分の収賄を隠すために金を金貨の中に隠したんですよ」


 芙蓉の確信を得たような目に周りはにわかにざわつき始める。

 まさか一番の被害者だと思っていた男が首謀者とは信じがたい話だった。

 芙蓉はそんな周囲の疑問を払拭するように矢継ぎ早に説明する。


「金の姿を変えても、それを持っていてはやはり収賄がバレてしまう。だから一度賊に盗まれたことにして賊に預けた金を、あとから商人を使って運び出そうとしていたんです。素人目にもわかるひどい絵は、贋金の回収場所であるという目印です。そこで彼らは贋金を確かめるために泉酸を使ったのでしょう」


「賊と共謀したってこと?賊が金貨をせしめる可能性はないの?」


 芙蓉の話だと商人と賊が共謀したということになるが本当にそんなことがあるのだろうか。

 彼らが簡単に商人と手を組むとは思えなかった。

 芙蓉の話では贋金は本物よりも多く金が含まれているという話だったし、そのまま盗んでしまったほうが得策のように汀眞には思えた。

 しかし芙蓉はすぐにかぶりを振って否定する。


「彼らは目の前にある金貨からどうやって金を取り出すか分からないので報酬を待つしかなかったのだと思いますよ。目の前の金の鉱山の掘り方が分からなくてさぞ気を揉んだでしょうね」

「本当にそんなことが行われたのか……?にわかには信じがたい」


 贋金に変えた金を賊に預け、商人を使って回収してから國外にてそれを金に戻す。

 そうやって汀眞という、絶対に嘘のまかり通らない御史台の申し子の目を逃れようとしたということだ。

 芙蓉が言った通りあまりに大胆すぎる犯行だが、かえって思いつきもしなかった。


「一見危険性の高い計画ですが、これだけ精巧なうえに、世に出すわけでもないのでバレる可能性も低かった。そこにあなたがたまたま居合わせたんですよ、汀眞殿」

「俺のおかげってこと?」


 おかげという言葉に引っかかったらしい芙蓉は眉をピクリと動かしてから、汀眞を睨んだ。


「この事件は汀眞殿の()()で起こり、汀眞殿の()()()で解決に向かっています。私はあなたの噂を知りませんでしたが、少なくとも長吏の方々は優秀な刺史副官が来るらしいと事前に情報を得ていました」


「汀眞、監察官がそんなに目立ってどうするんです」


 嬰翔は汀眞を胡乱な目で見つめて呆れたように言うと、彼は言葉に詰まった。

 彼の派手な監察のせいで最も額の大きい収賄を取り逃がすところだったのである。


「……うるさいな」


 やっと出たその言葉も苦し紛れで、いつものような勢いはない。


「運び出された金貨ですが、私なら国一の市場が立ち並び数多の人種が行きかう薊國(けいこく)に運びますね、そこで紛れてしまえば金貨の回収など容易いものです。で、ですね。もしや、別邸でも持っていないかと調べていたところ、晋官吏は薊國に別邸を持っていらっしゃいました」


 芙蓉が晋 楚楊の資産を記録した書簡を持ち出して言うのを見て一同は、彼女の出した解答に静かに同意するしかなかった。

 おそらく決まりだ。

 彼女はここからさらに証拠を集めて、この解の正しさを証明してくるだろう。

 そうなるより先に手を打つのが國令である鈴扇と、監察官である汀眞の仕事である。

 汀眞は電光石火の如き解決劇に腕を組んだまま放心状態になっている。


「……俺が喜んで協力するってこういうことかよ」


 官吏の犯罪であれば汀眞も動かざるをえない。

 まさか事の顛末が自分に帰着すると思っていなかった彼は恥ずかしそうに顔を手で覆った。


「お前、男を捕まえる前から分かっていたのか」


 鈴扇は一通り説明を終えて息をついた芙蓉に聞くと、彼女はいつも通りまるで普通のことであるかのように言う。


「確信はありませんでしたが、他の金属が含まれている時点でこれはもしかして金貨ではなく金に価値があるのではないかと思っていました。あとは時期ですね、こんな時期に金を隠したい人間なんか官吏ぐらいしかいません」

「……さすがだな」

「ああもう!そうと分かったら俺は今からでも屋敷を改めに行くよ!悪いけど翔兄様、軍にも手伝ってもらうから」


 芙蓉は焦ったように言う汀眞を見て、呆れたように両手を広げる。


「分からない人ですね、行っても証拠なんて出てこないんですよ。官吏ゆかりの商人も、贋金を手に入れたらすぐに國を出ていることでしょう。捕まえた男の話を聞いてから、明日もう一度違う商人を探しに行きましょう。おそらく店先に、これと同じものが並んでいるはずですから」


 手伝っていただけますよね、と小瓶片手に微笑む芙蓉にどうやら完敗したらしい汀眞は力なく頷くしかなかった。



 ※



 夜中、府庫にいる芙蓉を見つけた汀眞は内心どこまで仕事馬鹿なんだと彼女を詰った。

 官吏の税や俸禄についての資料を見に来たはずの汀眞は思わず書棚に隠れる。

 おそらく汀眞たちに見せた推理劇を完成させるために彼女は並々ならぬ労力を要したはずだ。

 出所を見つけるという彼女の仕事は終わったはずなのにまだ丹念に調べ上げるその姿勢は、まるで獲物を捕らえるまでけして目を逸らさない獣のようであった。


「これ、何してんの…?」


 中央部に陣取って書簡を並べる彼女の横を素通りするわけにもいかず声をかけると彼女は汀眞を見もせずに言う。


「盗品の一覧を見ていました。何人かの官吏が関連している可能性がありますので」

「あんた本当にあの月英の娘なんだね」


 そう言うと芙蓉は今までの無関心が嘘のように汀眞を凝視した。

 この少女は父の名前を出すとすぐに関心を持つのだ。


「どういうことですか」

「いや、感心してる。俺には贋金が流通目的以外で作られるなんて発想すらなかった」

「そうですか、でも私も今回は躓きました。所詮私は葵 月英の娘で、葵 月英ではありません」


 その言葉の意味が汀眞には分からなかった。

 蛙の子は蛙であるように鳳の子供は鳳雛である。

 何を悲観する必要があるのだろう、と思ってからふと彼女が月英の娘だと知った日から疑問に思っていたことが口をついて出た。


「あんたさ、そんだけ頭が回るなら復讐したいとか思わないの、葵家に」


 嬰翔ははっきりと言わなかったが、葵家がこれだけの頭脳を持った親子を二人とも生かしておくわけがない。

 すぐに月英は死んだのではなく、葵家に殺されたのだと分かった。

 高貴で高潔な山の賢者、古くからそんな呼び名で葵家は他の貴族と一線を画してきた。

 しかし彼らが知恵者だと、汀眞はけして思わない。

 少なくともこの知識の宝物庫とも言うべき少女を地下牢に放り込んだという一族を賢者と呼ぶ気にはなれなかった。


「復讐…?」


 そうぽかんとした顔で聞く芙蓉に、汀眞は苛立ったように言う。


「父親を殺されたんだろ」


 そう言うとようやく、ないですよとひどく抑揚のない声で彼女は言う。


「それをしたら誰かが救われるんでしょうか」

「誰かがって、あんたの父親は報われるだろ……?」

「本当にそうですか?人間は死んだら無に帰ります。死者は悲しみも喜びもしません。復讐したところでそれは生きている人間の自己満足です」

「なっ……」


 いつものように言い返そうとして芙蓉を見た汀眞は思わず固まってしまった。

 そう言う芙蓉の瞳が、わざと感情を別の場所に置いてきたかのようにひどく濁っていたからだ。

 昼間日の光を受けて輝いていたはずのその瞳には靄がかかって、他の人間が侵入するのを阻んでいるようだった。

 不思議な色の瞳だ。月光のように輝くのに、全てを隠す靄のようでもある。


「父は、人間の善意を信じるのは難しいが、人間の悪意や愚かさを暴くことは簡単だと言っていました。それゆえに私は愚かな人間が復讐を繰り返すことを知っています。私が叔父上に復讐したところで私も同等の報いを受けます。それは父の望むところではありません」


 滔々と語られるその言葉は本当に彼女の本心なのか、汀眞には判断することができない。

 死者は語らない、そう言いながら彼女自身が父の幻影に縛られているのだ。

 所詮は月英の娘で月英自身ではないという、先ほどの言葉の意味がやっと分かった。

 彼女は自分を父親のなりそこないだと思っている。

 父と死別したことで完成することのなかった未完成品だと、思い込んでいるのだろう。

 そんな様子を普段は一切見せないのだから恐ろしい。


 これでは誰も彼女を救えないに決まっている。


 返答に窮した汀眞に微笑えんで、彼女は言う。


「死者に唯一報いるとしたら、それは私が父のために生きることだけです。復讐だけはしては駄目だと、何故かそんな気がしてならなかったんです。ひょっとしたら、これが天命ってやつかもしれませんね」


 冗談のように言うが、彼女は天命を持って生まれてきた人間だと汀眞は何故か確信していた。

 そういうことが不思議と分かるように目を鍛えられているのだ。


「父親に縛られて生きることが、父親のために生きるって言えるのかよ」


 思わず芙蓉の肩を掴んで言うが、彼女の瞳は一つも揺らがない。

 悔しいことに汀眞の言葉が彼女の心に響いていない証拠だった。


「おかしなことを言いますね、私はたった十歳で父と生き別れたんです。縛られる父の影さえ、私は奪われました」


 芙蓉は人並み以上に賢いが他はいたって平凡な少女だ。

 容姿がそれなりに整っているとはいえ、六大家中ではその地味な色味も相まってけして目立ちはしない。

 平凡に驚き、平凡に悲しみ、平凡に怒る。少なくとも鈴扇たちの前の芙蓉はそう見えた。

 それでも今、汀眞を見返して微笑む彼女はどこか化け物じみていた。


 まるで何でも知っている太古の獣が気まぐれにこちらを向いたような、そんな恐ろしさが汀眞を支配し思わず彼女の肩から手を離していた。


「俺には全然分からない。自分の大切な人間を殺されたら、俺は絶対そいつを殺したいくらい憎むと思う」

「殺す?」


 そう言ってから、彼女は乾いた笑い声を出した。


「殺したくらいで治まるがわけないでしょう、父を殺された子供の怒りが」


 葵家の暗い闇は月英の命を、芙蓉の世界を一瞬にして奪っていった。

 あの日、知性が野蛮に隷属した屈辱を芙蓉は今でも忘れることができない。

 そしてその一因が自分にあったことへの後悔と怒りが未だ消えない火のようにその胸に残っている。

 芙蓉は感情のない灰の瞳で汀眞を一瞥すると、すげなく告げる。


「頭を冷やします。すいませんが、出て行ってください。思考の邪魔です」


 そう言う少女の横顔がひどく余裕のないものに変わっていることに気が付いても、汀眞にはどうすることもできなかった。


屍酸→硝酸 泉酸→塩酸のことです。

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