1.芙蓉と驟雨─1
はじめはただの好奇心だった。
「化け物がお前に会うと言っておるぞ、驟雨殿」
葵家の当主、葵 陶月がそんなことを言い出したのは酒を囲んだ席のことであった。
そう言われた葵國令、候 驟雨はにこりと微笑んで見せた。
「ありがたき幸せにございます」
これは彼がやっと得た機会なのだ。
葵家が空莢姫と呼ばれる女を飼っているというのは有名な話で、陶月がその女の知恵を借りるせいで葵國國令は少々やりにくいのだと前任者から聞いていた。
実際に赴任してみると前任者の苦労はもっともで、政策を提案するのは葵家、実現するのは國府というなんとも理不尽な体制が出来上がっていた。
おまけに提案するのは葵家なので國主の評判はなかなかいいというのも気に障る。
もう一つ気がかりなのが、その二つの連携が全く取れていないということだ。
大量に提案される政策は、発想自体は良いが國府の仕組みや予算について葵家が把握していないせいでなかなかうまく回らない。
驟雨はその女に「中途半端に國政に関わろうとするのはやめていただきたい」と直談判するしかないと考えるようになった。
自慢ではないが外面も良く、世渡り上手だった驟雨は葵國に来て早々に陶月という自尊心の塊に気に入られることに成功した。
「葵家の空莢姫にぜひ会ってみたいものです」
そう何度も酒の席で口にした。
予算について話したいことがあるだとか、理由は適当につけることができた。
そこで冒頭の陶月の言葉に戻るのだ。
彼は酒の席では上機嫌で、驟雨がかねてより会いたいと言っていたのを取り次いでくれたらしい。
こうして驟雨は好奇心と、それから牽制のためにその少女に面会する機会を得たのだった。
彼女があの葵 月英の娘だということは、気分が乗ったらしい陶月が一度言っているのを聞いただけだったが、どうやら本当だったらしい。
地下牢越しに対峙した彼女はいかにも葵家といった素晴らしい漆黒の髪を持っていた。
なるほど、六大家の人間に漏れず容姿は整っているが記憶に残るほどではない、というのが驟雨の所見だ。
唯一印象的なのはその目だ。
大きな瞳は獰猛な山猫のような灰色かと思いきや、近づくと火に反射して銀に光って見える。
その瞳のせいかまるで高貴な花が野草に囲まれて凛と咲いているような印象が脳裏に刻まれる。
「莢 芙蓉と申します」
実をつけない空莢の姫、どんな世間離れした女がいるのかと思ったが彼女は驟雨のどんな想像ともかけ離れていた。
全てを見通したような瞳を持っているのに、諦めたようにその瞳が濁っているのが不思議だった。
それで思わず言ってしまったのだ。
「古くから眠れる龍、鳳凰の雛という例えがあるが、君はまるで翼を窮屈に折りたたまれた鳳凰だ。その翼が折れないうちにこの牢を出ないといずれ空を飛べなくなるぞ」
少女はその言葉を聞いて驟雨がそんなことを言うと思っていなかったのか、ぱちぱちと目を瞬かせた。
そういう仕草は年相応の少女らしく、可愛らしいとさえ思った。
「私のことをどこまで知っているのですか?」
「葵 月英の娘だというだけだが」
「父上を知っているのですか……!」
そう聞く少女の瞳には期待で光がわずかに差し込んでいた。
自分の父親について知らないのは彼女の方なのだと、驟雨はこの時初めて気が付いた。
何も聞かされていないのだ。
この子は、自分の父親がどれほどの天才で、自らもどれだけの才を秘めているか知らない。それを思うと歯がゆいと同時に腹立たしかった。
「父君はどこにいるんだ?まさか、君をここにおいて逃げたわけではなかろう」
「そこまではお聞きになっていないのですね。……父は叔父上に殺されました」
彼女が淡々と言った言葉に、驟雨は目を見開かせた。
「葵 月英を殺しただと……!?」
月英の書いた書物を驟雨はいくつも読んだことがある。
彼の論考の特徴はその驚くべき速さだ。
普通の人間であれば何年もかけて実証を重ね結論に至る解を、僅かな情報から共通点を手繰り寄せて導いてしまう。それ故にその書物の殆どが問いと解だけで構成されている。
驟雨は十代の頃にそれを読み解くのに明け暮れたものだ。
そしてそれゆえに随分とあっけない彼の死は驟雨にとって受け入れがたいものだった。
この国の宝ともいえるべき頭脳が先ほどまで目の前にいた男のために失われたかと思うと腸が煮えくりそうだった。
少女はその死を既に飲み込んでしまった後なのか、狼狽する驟雨の顔を見ても何も言おうとしない。
「國令様、失礼を承知でお聞きいたします。王宮に咲いている芙蓉という花を知りませんか?」
「……私に、花を摘んでこいと?」
あまりに腹が立ったせいか彼女は悪くないのに、普段の部下に対する態度が出てしまった。
それでも少女は怯えるでもなく、驟雨の瞳をじっと見ている。
なにか、探し物をしているような目つきだ。
「いや、そういうわけではなく。どこにあるか聞いているだけなのですか」
「現状を抜け出そうともしない愚か者だな」
そう言うと初めて眉を顰めて苦笑した。
「ひどい言われようですね」
「そんなに気になるなら自分で見に行けばいい、そうしたら摘んでも来れる」
「私が自分で王宮に行くことなど出来るわけがないでしょう。もしかして官吏になれとでもおっしゃるつもりですか?」
もしかして、と少女は言ったが驟雨の真意に既に気が付いているようだ。
心を読まれているようで気味が悪いというのはこのことだろう。
「私はこんななりですが女なのでそれは無理な相談です」
少女の顔は整っているが、華美ではない。
細い体躯も、少し低い声も彼女を中性的なものにしていた。
失礼な話だが、驟雨は十分男として通用するだろうと思った。
「そんな貧弱ななりだから大丈夫なのだろう。心が決まったら私に言え。どうせ君を推挙する人間はこの家にはいない。後見くらいにならついてやってもいい」
それだけ言うと驟雨は立ち上がり、牢屋番に「失礼する」と告げて扉を抜けた。
この娘は必ず自分を頼ってくる、そんな確信があった。
猫は好奇心には勝てない。
彼女の山猫のような瞳が驟雨の言葉によって揺らいだのを確かに見たのだ。
この後、驟雨がどうやって陶月を説得したかここでは割愛するが、とにかく国試受験までの半年間を芙蓉は驟雨の邸宅で暮らすことになった。
驟雨自身が六大家と呼ばれるこの国一の貴族ゆかりの人間であることもあり広い邸宅を持っていたし、二十八にして結婚もしていなかったので部屋は余るほどあった。
驚くべきことにこの少女は国試受験に必要と言われる書物の殆どを頭に入れており、おまけに生来の頭の良さもあって筆記試験には問題点は概ねなかった。
問題は馬術と弓術だと、馬に乗せてすぐにひっくり返るように落馬した芙蓉を見て驟雨は頭を抱えることになった。
半年間、芙蓉は殆どの時間を弓術と馬術の練習に費やしたといっても良い。
しかしそれ以上に驟雨を悩ませたのは、少女の好奇心がいたる場所に飛び火することだった。
あるとき、驟雨が芙蓉に午前中は四丈先まで弓を飛ばす練習をしろと言ったことがある。
夕方過ぎに帰宅した驟雨は芙蓉が下男とともに兎を走らせているのを見つけた。
「芙蓉、何をしているのだ」
見ると彼女らは地面の上に置かれた赤い紐の先から先まで兎が走り抜けるのを見ているようだった。
帰宅した驟雨に目もくれることなく、芙蓉はじっと兎が走り抜けるのを見終わって答える。
「速さを調べているのです」
「速さ?」
「馬が一夜に千里を走ると言われても、規模が大きすぎて分からないでしょう」
芙蓉は兎を抱えて戻ってくると、初めて驟雨を見た。
「人間の心臓は一定に時を刻んでいます。これを脈と言います。私が測ったところ、兎は一丈を私の一回の脈で走り切ります。一丈を脈一回で走る兎に対して、矢は二丈を脈一回で走ります。これを仮に速さと呼びます」
彼女の計算では、矢は兎の二倍の「速さ」で飛ぶということを言いたいのだろう。
「たとえば、兎を三丈走らせるとします。すいません、お願いします」
赤い紐はどうやら三丈あるらしい。
彼女は下男に頼んで兎をその手前から走らせる。
「私の今いる場所は紐の先端から丁度二丈離れているので、兎が赤い紐に沿って走り出してから脈を二回打ったと同時に矢を引けば……」
兎が脈一回分で走る一丈と、芙蓉が放つ矢が脈一回分で走る二丈、それが交わる点を彼女は示した。
兎が二丈を走り抜けると同時に矢を番え、放つと矢は見事に兎の手前で勢いを失って落ちた。
「……うまくいけば矢を当てることができるのです」
矢と兎の交わるはずだった点を元気に飛び跳ねる兎を回収した芙蓉は気まずそうに驟雨を振り返った。
簡易的な実験だが、なかなか面白い。
うまく実用化できれば馬を走らせるだけで地形を測量することができるのだ。
しかし、驟雨が彼女に課したのはあくまで四丈の距離を矢で射られるようにするということだったはずだ。
いつの間に動く動物をうまく射る方法へと課題がすり替わったのだろう。
「当たってはいないが理屈はわかった。しかし芙蓉、私は四丈先の的に当てる練習をしろと言ったはずだが」
そう言うと芙蓉は踵を返して庭を後にしようとする。
「さて、夜は勉学の時間なので私は部屋に戻りますね」
確かに夜は記述試験の対策に時間を割いているが、そんなもの芙蓉にはあってもなくても良いようなものだ。
驟雨は彼女の肩を掴むと自分の方に引き寄せてその顔を覗き込んだ。
彼女の腕の中で不思議そうに兎が驟雨を見上げていた。
「芙蓉、君は会試に受かりたくないようだな。うちは穀つぶしを置いてやるほど優しくはないぞ」
「……はい」
理解はしているようだが納得はしていない顔で芙蓉は頷いた。
結局芙蓉は下男たちに監視されながら四丈先の的に矢が当てられるまで、次の朝日を拝むまで練習させられる羽目になった。
それでおとなしく諦めたと思っていた驟雨は二日後にまた痛い目を見ることになる。
今度は、人に連れ添われずに馬に乗れるようにしておけと言って家を出たはずなのに夕方帰宅すると驟雨が懇意にしている燦という医師と何やら話し込んでいる芙蓉の姿があった。
「芙蓉、何をしているのだ」
二日前と比べて馬にすら乗っていない彼女に苦言を呈しようとすると、驟雨に気付いた燦老師は立派に蓄えた髭を撫でながら笑顔で言った。
「候くん、このお嬢さんは面白いなぁ」
「燦老師、これに何か変なことを吹き込まれたのか?」
これ呼ばわりしたのに腹を立たせたのか彼女は胡乱な顔で驟雨を振り返る。
「変なこととは失礼です。老師に脈についてお聞きしていたんですよ。やはり私の方法では正確に兎を射ることは難しかったようです」
彼女曰く、人間の脈は体調によって変化するためそれを速さの指標にするのは難しいということだった。
芙蓉と老師の間にはどうやって作ったのか硝子で作られた天秤のような玩具が置かれており、それが一定の拍子を刻んでいた。
「お嬢ちゃんが儂の話を聞いてこの器具を作ってくれたんじゃよ」
芙蓉は驟雨に向かって得意そうにその器具の一つ一つを紹介した。
「この器具は一般的な二十歳の人間の脈、こちらは一般的な三十歳の人間の脈、こちらが一般的な四十歳の人間の脈なんです」
どうやらその一つ一つが各年代の脈を打っているらしい。
「まあ、あくまで儂の感覚だがな」
「これを作って何になるというんだ」
そう言うと、今度は燦老師が得意げな顔をしていった。
「分からんかね、わしが居なくても診断ができるようになるんだ」
その言葉に驟雨は芙蓉を叱ることを忘れて思わず感心した。
燦老師は優秀な医師で、たくさんの弟子を取っていると聞くが彼らが全て燦老師と同じ技術を持っているわけではない。
しかし芙蓉が作った器具を用いれば、全員が彼と同じ基準を持って病を診断することができる。
「例えば、指と指の間は尺がない限りどれほど短いかは分かりませんよね。私は人間の脈に尺をつくろうと考えたのです」
おそらく彼女は、さらにそれを「速さ」を調べるのに応用するつもりなのだろう。
「面白いだろう、さっそく帰って弟子に覚えさせるのに使うよ。ありがとうなぁ、お嬢さん」
「私も老師に話を聞けて良かったです。おかげでより正確に測ることができるようになります」
芙蓉の三日間の遊びともとれる好奇心で、どれほどこの国は変わるのだろうかと思った。
もしかしたら彼女はこのたった三日間の好奇心で、馬で走るだけでこの国を測る方法を思いついたのかもしれなかった。
少女の好奇心によって銀に光る瞳を横目に、驟雨は本来彼女に与えた課題を思い出して目を据わらせた。
「で、私は君に馬術の練習をするように言っていたはずだが」
そう言うと彼女の目が泳ぎ始めた。
一応後ろめたいという気持ちはあるのだろう。
「……燦老師、今日は本当に素晴らしいお話をありがとうございました!」
そう矢継ぎ早に言ったところで芙蓉はなんと部屋の窓を飛び越えて外に逃げて行ったのだが、当然彼女の運動神経でうまくいくはずもなく沓をひっかけて盛大に転んだ。
蛙がつぶれたような声が窓の外で聞こえた。
派手に打ったらしい顔を勢いよく上げると急いでその場を走って立ち去る。
「芙蓉!待ちなさい!」
燦老師が口を開けて笑っているのを見ながら、驟雨も窓を超え彼女を追った。
どうして自分は手習いを嫌がる子供を追うような真似をしているのか、驟雨には本気で分からなくなってきていた。
その晩、芙蓉はようやく自力で乗れた馬の上から驟雨を見下ろして問うた。
「驟雨様はどうして私を官吏になさろうとするんです。私には学者や医師の方が向いていると思うんです」
「そうだな、君は恐ろしいほど官吏に向いていない」
「……分かってるならどうしてこんな無謀なことをしたんですか?」
慣れない馬の上で彼女は頬杖をついて驟雨に言う。
「その答えは君自身が知っているのではないか」
不思議そうな顔をする彼女は本当に目の前の好奇心を追っているだけの猫と同じなのだろう。
「医者は目の前の人間を救うことができる。だが君が官吏になって医師の教育制度を変えれば、君が作っていた天秤のような道具を普及させれば、より多くの医師を育てることができる。官吏はそういう制度や、教育が国にいきわたるようにする仕事だ。君のその考え方は十分国に貢献できると私は思う」
そこまで言ったところで彼女は首を振り、「驟雨様」と言葉を遮った。
「官吏になることは私が檻の外に出る一つの手段にすぎません。国を変えようなど、不相応な願いを持ってはならないのです」
そういう彼女の瞳は、月の光を受けても不思議と暗いままで、歳を食った動物の眼のように濁っていた。
何が不相応なものだろうか、君の父親はこの国を何度と変えてきたのだ。そう、言ってしまいそうになった。
慶朝が設けた「博士」という席に唯一座った男が君の父なんだと。
しかし、気丈なくせにどこか壊れてしまいそうな彼女に重荷を負わせるようでそれ以上口にすることはできなかった。
そのあとの驟雨の苦労は筆舌に尽くしがたい。
彼女がどうにか殿試にまでこぎつけたのはまさしく奇跡だったのだ。
思えば最初は好奇心で、次は彼女をあの檻から出して直接見たいという出来心だったのだろう。
彼女と過ごした時間は遠い昔に紐解いた月英の書の思考を辿るようで驟雨にとってけして悪いものではなかった。彼女の弓術と馬術からの逃亡癖を除けば、いつまでも続いてほしいとさえ思う日々だった。
彼女に抱いた思いは驟雨が二十八年生きて初めて持った、高揚感に似た何かだった。
ただそれを認めてしまうには彼女とは年が離れすぎている。
だから、一度は遠い地から見守ろうと思っていたのだ。
「なんで驟雨様がここにいらっしゃるんですか?」
そう言って新人官吏の祝いの席にいるはずの芙蓉が書庫の机の下から顔を出したとき、驟雨の心には不思議と彼女を初めて見た時の高揚感が蘇った。
ああ、彼女を見つけたのは自分なのだ。
だから久しぶりに見た彼女の瞳が相変わらず胡乱に驟雨を見つめながら、不思議と翳を纏っていないことに少し腹の居心地が悪かった。
※
「はぁ」
ここは蘭國府、麗しの國令菫 鈴扇が治める瑠璃色に彩られた國の中枢である。
その鈴扇の隣で報告書を見ながら無事副官に復帰した陸 嬰翔が大きくため息をついた。
「嬰翔、芙蓉がいないから忙しいのはお互いだ。これみよがしにため息をつくのはよせ」
この國のもう一人の國令副官である莢 芙蓉は現在、一年の研修期間を終え新人官吏としての官位を頂くべく王都のある桜國へと出かけていた。
鈴扇が必要最低限の人員しか割いていない蘭國府は今も変わらず忙しいが、春に小吏試験に合格した若者を登用したことでいくらかはましになってきている。
これも芙蓉が國府に付属した塾を開設し、そこで給料をもらいながら学ぶことができるという制度を整えたからだと評判は上々だった。
鈴扇の言葉に「違いますよ」と抗議する。
「困ったことに最近、治安があまり良くないんですよ。小吏の中にも盗みに入られたというものがいましてね。汎國尉殿と軍備を強化することを相談していたのです。来月には新しい刺史副官が赴任されますし、悩みの種は早く摘んでおきたいというのが本音です」
そう言って嬰翔が目の前に置いた人事票を見て、鈴扇は眉を顰めた。
「……これはまたすごい人事だな」
その様子につられるように嬰翔がもう一度ため息をついた。
「彼らほど人を見る目に長けた一族もいませんからね。果たして慶朝様からの贈り物なのか、分家の汚職を見逃した蘭國主への中央からのお灸なのか」
蘭國は今年の初め、二つの村を巻き込んだ蘭家の分家に当たる貴族の脱税騒ぎに悩まされた。
それも芙蓉によって綺麗に収められたかのように思われたが、あろうことか蘭家はその分家を追放することで蜥蜴の尾を切ったのだ。
これには芙蓉も苦い顔をしたが、今回の人事は御史台が蘭國の膿を払拭する良い機会と考えているに違いなかった。
「彼は官吏となって二年、御史台に配属されて一年の若い官吏です。本人は嫌がっていますが、おそらく御史台は彼を手放さないでしょう」
御史台、官吏を監察する唯一機関であるその部署は優秀なものばかりが集められる所謂出世への近道とされている。
そこに一年目から配属されること自体が異常だが、彼の出自を考えると適材適所、何の疑問もない人事に思えてくるからすごい。
「そう言えば、芙蓉は大丈夫なのか?馬は得意ではないだろう」
話題を変えたかったからなのか、単に思いついたままに話して言うだけなのか、鈴扇はそう言った。
相変わらず芙蓉に対してだけは少しだけ甘い鈴扇に嬰翔は先ほど小吏から渡された文を渡した。
「それが、伝書が来ておりまして。車で帰るから心配はいらないと」
「車?そんな金は渡していないはずだが」
そう言いながら文を開いた鈴扇は美しい筆跡を見て表情を固まらせる。
「これ芙蓉殿の筆跡ではないんですよね、わかりますか。この判」
「……すごく見覚えがある」
その綺麗な文字さえも鈴扇には見覚えがあった。
しかしどうして彼から、「芙蓉は蘭國府まで送るから安心するように」という旨の文が届くのかまでは全く分からない。
揚羽蝶の家紋、それは鈴扇の母方の実家である候家の家紋を象った判であった。




