レンタル開始
眦がいつも以上に下がりまくっているシーザー様に手を引かれ、彼の乗ってきていた車に乗り込む。
2人で後部座席へ。
リムジンのような広さのある車内で広々のはずなのにいつものように腕が触れ合う距離にくっついて座られた。
もちろん無人。
自動でドアも閉まり全く揺れも圧も感じずに、外の風景が流れ出したことで車が走り出したのを知る。
オーナーはにこやかに右手をあげて見送ってくれていた。
施設に行く時のようなスピードではなく、景色が認識できるスピードで外の風景が流れていく。てっきりビルばかりなのかと思ったら思いのほか緑も多く、中世の邸のような家がかなりの距離を間に置いた等間隔で並んでいる。
この世界での初めての外の風景につい会話もせず見入ってしまう。
「マナは外に出るのは初めて?」
「はい。店以外を見るのは初めてです」
「そう。ならはじめは中心地に行こう。この辺は富裕層の邸が集まった場所なんだよ。もう少し行くと店なんかが建ち並ぶ中心地にはいる。
そこにマナを連れていきたい店があるんだ」
「そうなんですね。本で読むことはできても実際に目にするのでは全然違いますね。」
つい浮き足立って外の風景に夢中になっている私をシーザー様が愛しそうに見つめているのが窓越しに見えるがそれも気にならない位に外の景色は美しかった。
邸もそれぞれが立派で同じ形、色のものはなく、間には彩り豊かな木や草花が綺麗に整えられている。
ずっと見続けていても飽きる気がしない。
でも今はお仕事中。
ある程度の所で自分を納得させ、後ろ髪引かれる思いで改めてシーザー様に意識を戻した。
「はしゃいでしまってすみません」
「いいんだよ。マナの初めてを共有できるのはそれがどんなことでも嬉しい。でも今日はマナに1つお願いがあるんだ…」
「お願い、ですか?」
「ああ。出来たら今日は客としてでは無く恋人として接して貰えないかな?もちろん、マナが嫌がるような事はしないから」
シーザー様は少し伺うような目線で眉尻を下げながら、両手の平をこちらに向けた状態で上に持ち上げ、無害アピールしつつ弱々しい笑みを浮かべて見つめてくる。
そんな風にされると無理だとは言いづらい。
初めてのレンタルでまだ要領も掴めていないので不安も感じるが、それでも最初から制限しすぎるのは違う気がするし、実際シーザー様は嫌がればきちんと自制できる人だろう。
今まで接してきてそれ位は解る程には2人だけで話してきたし、生理的嫌悪も全く感じない。
香織的な感覚で言えばタイプだし、性格も話し方も、声も好感が持てる。というか、かなり好きだ。
自分の中での一線はきちんとしようと、呼び方は変えられないけど、と前置きをしてシーザー様のお願いは了承した。
(本当に寄り添うつもりはなくても仕事としての擬似なら問題ないよね)
心の中で自分に言い聞かせるように呟いた言葉が無性に言い訳じみているのには気がついたけれど、あえて無視して「改めてよろしくお願いします」とシーザー様に頭を下げた。
シーザー様は明らかな安堵の表情を浮かべて、そのあと少し可笑しそうに笑ってから「こちらこそ宜しくね」と色気を乗せた笑みで私の腰を自然に抱き寄せた。
いつもより密な接触に顔が火照るのを感じて、思わず少し俯いたけれどシーザー様は気にした風もなく、そのまま私を自分にもたれ掛かからせるように促して私の真っ直ぐで艶やかな黒髪を優しく梳いたり、指に巻き付けたりと弄び始めた。
この世界の恋人とはこんなにもいきなり甘々に密着するものなのか!?などとぐるぐると考えながら、私は顔を上げる事もできずひたすら目線を下げたままで体を固くして目的地に到着するのを待った。
そのまま少しスピードを上げて20分ほど走った頃だろうか、なんの振動もないままいつの間にか外の風景が止まっていて、シーザー様の「着いたよ」という声で目的のお店に到着した事を知る。
外に降りると車は自動でお店の駐車空間に走って行ってしまった。
そこは立派な店構えの洋服店で外観だけでも高級店なのが判る。
扉をドアマンが中から開いて私たちを招き入れてくれた。
トリニトゥリテでは外観が城なのに入口は自動開閉式。
車や店内のシステム、本での知識からしてもこの世界のこの時代で人力での開閉はとても珍しい。
古くからの歴史とお店のプライドの様なものを綺麗な所作で案内してくれるこのドアマンからも感じる。
「マナ、人が扉を開けて驚いただろう?
ここはね、古くから王家に重用されているお店なんだ。そこらの貴族よりも歴史が古く、時代に寄り添いながらも古くから在り続ける事に誇りを持っている。仕立てもオートクチュールがメインで今でも殆どを手縫いで行ってるんだよ。
その繊細な仕上がりも、人の手による馴染む着心地もとても気に入ってるんだ。
本当はマナへもオートクチュールで仕立ててあげたいんだけど、今日中には無理だからね。
残念だけど今日は採寸だけ取って、既製品からマナに似合うものを僕が選んで贈らせてくれないかい?
マナが初めて受け取るプレゼントは僕が贈りたいんだ」
シーザー様は砂糖を煮詰めたみたいな甘い声と笑みで私の腰に手を当てながらドアマンの後ろについて店奥へと私を促す。
そんな今までに経験したことのない言葉と甘さ加減に顔を真っ赤に染めながら小さく頷いた。
正直、なにがこの世界の恋人達の普通なのかが分からない。
嫌とも感じないからこれが普通なのかも分からないまま受け入れるしかできなくて、挙動不審気味になってしまうけれど仕方ないと思う。
シーザー様の甘い笑顔に見つめられて火照りっぱなしの顔の赤みを少しでも抑えるのに必死だった私は、その時、私たちの様子を伺いながら前を歩くドアマンが不躾にならない程の微かな範囲で目を見開いて顔を驚きに染めていたのにも気が付けなかった。