5. ([前]編-05)
不在にしていたのは四日間だけだったのだが、戻って来た時には、本当に久しぶり、という心持ちだった。
やっとの事でこの三年間の生活で慣れ親しんだ辺境伯の屋敷に戻って来れた、と感慨深かく感じたものだ。
ちなみに。ローズベリー伯爵領の領都であるローズベリーの街からは、アレクと二人、騎馬で飛ばして戻って来た。
伯爵家の豪華な馬車と御者と護衛も兼ねていた従僕の皆さんには、領都の領主館で俺たちが酷使してしまった馬車の整備が終わるまで骨休みをして頂いた上で後からゆっくりと戻って来て貰う、という事にしたのだ。
全速力での豪華馬車の旅は既に満喫していたし、王都や領都にいつまでも留まっていると碌でもない事が起こりそうな予感がヒシヒシとしたので、早々に引き払ってきた。
そのお陰で、今日も平常運転の清々しい朝を迎えることが出来たようだ。
ただ、戻って来て三日も経つと、ご隠居様の爆弾発言から始まったあの五日間、特に王都での怒涛の二日間など、何だか懐かしく思えてくるのだから不思議なものだ。
静かな辺境の開拓村での、地に足ついた、ある意味ゆったりとした時間の流れる日常は、やはり俺の性に合っていると実感する今日この頃。
危惧していたご隠居様の体調も大分持ち直したようで、昨日からは食事もご一緒できるようになった。平穏な日常が戻って来て、少し安心だ。
これから、朝食の席にていつも通りにご隠居様ともお会いする訳だが、元気になったらなったで油断ならないのが玉に瑕、だったりする。
また何か、とんでもないことを急に言い出さないと良いのだが...。
「おはようございます」
「おう。おはよう、アル。今日の予定は、どうなっておる?」
食堂に入ると、ご隠居様は既に席に着いて、アレクと何やら打ち合わせをしていたようだ。
俺が席に着くと、ニヤリと笑って何食わぬ顔で今日の予定を聞いてくる。
「そうですね。今日は特に約束など無かったと思いますので、いつも通り、ですね」
「そうか」
「はい。で、アレク、何かあったのか?」
「いや」
「ふ~ん。まあ、良いけど。ご隠居様を唆すのも、程々に...」
「なっ、ななななっ何だとぉ、アルっ!」
「は、はいっ?」
「ご、ご隠居様とは、儂のことかぁ?!」
「あっ」
「...」
しまった。
心の内ではずっと、カトリーナさんによる斬新(?)なこの呼び方を採用していたのだが、何となく躊躇して今までは口頭で使ってなかったのだ。
が、ついつい、口が滑った。
アレクの呆れた表情が、目に入る。
リチャードさんのあの表情は、たぶん、笑いを堪えている、のだと思う。
ご隠居様は、茫然と憤慨の入り混じった...いや、お怒りモード、だな。
「おい、アル!」
「はははは。いや、カトリーナさんがですね」
「カトリーナがどうした!」
「いえ、カトリーナさんが、引退されたのだからご隠居様よね、と仰っておられたので」
「むむ。カトリーナの奴め」
「ま、まあ、良いじゃないですか、養父様。俺のイメージでは、ご隠居様って、引退した元気な熟年の達人が勧善懲悪の旅をしているって感じなんですが、格好良いと思いません?」
「うむ。まあ、そういうイメージであれば、悪くはない、か?」
「そうでしょ。養父様に、ピッタリでしょ」
「おう、そうだな」
「ですから、今後は、ご隠居様、と呼ばせて頂きますね」
「お、おう。分かった」
「...」
「アレク、何か言いたい事でもあるのか?」
「いや?」
こうして、今日も、思わず踏んでしまった地雷を何とか処理しながらの、普段通りの日常が始まった。
この場にあまり長居をすると、また、ご隠居様から予想外の爆発物を渡されてしまいそうなので、さっさと朝食をかき込んで開拓村へと出かけることにする。
開墾と灌漑の作業を手伝って、昼食は村でとり、昼過ぎには砦を見回ってから夕方にでも屋敷に戻って来るか...。
* * * * *
遥か彼方にある険しい山脈と、目の前に広がる荒れ果てた不毛の大地。
遺跡のような佇まいを見せる辺境の砦から眺める荒野は、何度見ても気が引き締まる光景だ。
王都への弾丸ツアーの前と後で俺の立場は大きく変わってしまったが、ここから見るこの光景には全く変化なく、今までと同じく大自然の厳しさを感じさせる雄大なものだった。
久し振りに落ち着いてノンビリしていると、ついつい思考は、この世界と俺の存在についての出口のない考察へと陥って行く。
そういえば、ローズベリー伯爵の爵位と辺境伯の地位を継承せよと申し付けられた際にも、グズグズと取り留めもなく考えたな、と思い返す。
本当に、考えても仕方のない、結論の出ない命題だと思う。現実とは何で、仮想世界や異世界とは何が違い、何を根拠にしてそれぞれを区別するのか...。
例えば、リアルと高度なバーチャルとを見分けるのは、当事者にとっては相当に困難なこと、だ。
何故なら、俺が現実世界の知識として認識している最新の科学を駆使した機器と技術を以ってすれば、人にとってはその差は殆ど無くなる、から。
人間の五感全て、すなわち、視覚と聴覚と触覚と味覚と嗅覚の全てにおいて、リアルの世界と同等以上に感じさせるバーチャル技術が既に確立している、とも言われていた。
勿論、バーチャル世界に没頭してリアルでの飲食を忘れてしまうと、最終的にはリアルの身体に異常をきたしてバーチャル世界での体験を中断することになる、のは自明の理だ。
当然、その予兆としての飢餓感や喉の渇きや体調不良などは、例えバーチャルの世界に深く没頭していたとしても違和感として感じられる筈、だから。
ただし。現実世界とバーチャル世界とで、時間の感覚や流れる速さが同じだとは限らない。
つまり。バーチャル世界での数年間が、現実世界にある肉体では数時間しか経過していないという事態もありえる、という訳だ。
極端な話、この世界が仮にバーチャルであった場合、俺がこの世界で百歳まで生きて老衰で死ぬ大往生をしたとしてもリアルでは数時間しか経っていなかった、といったシチュエーションが発生する可能性すらあるのだ。
だから。当事者である俺には、この世界での生活がリアルなのかバーチャルなのかを、技術的な観点から見分けることは出来なかった。
一方で。俺がプレイしていたという記憶のあるVRゲームの中で習得していたスキルや能力を今の俺が殆どそのままに保持しているという現状は、ここがバーチャルな世界ではないかと疑わせる大きな要因の一つとなる。
そして。スキルや能力と一緒に現代日本の知識を保持しているという状況が、その疑いを更に濃くする。
のだが、しかし。俺の、俺自身に関するパーソナルな部分での記憶が明瞭でない、という現状が俺を大いに困惑させている。
そう。この世界でのアルフレッドとして、十二歳よりも以前の、辺境の開拓村で倒れた状態で発見されるよりも前のことについて、その記憶が全くないという状況が、いったい何を意味しているのかが分からないのだ。
しかも。俺自身でも注意深く色々と探ってはみたのだが、俺がどのような経緯であの場所に倒れていたのか、いつ何処から辺境の開拓村へと訪れたのか、等々のそれらを示す痕跡が一切なく全て不明なままで結局は何も分からなかった。
更に言えば。現時点で、ローズベリー伯爵家の力をもってしても、俺の十二歳より以前の足跡が全く辿れていない、とも聞いている。
うん。謎だらけ、だね。
そういった状況を考えると、俺にローズベリー伯爵家を継承させるという判断は思い切りの良い異例の決断だと思うし、それでも俺を認め期待してくれたのだと思い至ると、本当に有り難いことだと感謝しかない。
ただ、まあ。正直なところ、向き不向きで言うと、俺に、貴族家の当主という重責が務まるとも思えないのだが...。