38.([前]編-38)
幸いなことに二度目の気絶からは一瞬で復帰した俺は、色々な意味で更に賑やかとなってしまったレジーナさんと連れ立ち、荒野とラトランド公国ウォートン騎士伯領との境界までやって来た。
魔物が跋扈する荒野と人間が暮らす騎士伯領は、彼方此方が崩れた大人の腰ほどの高さしかない石積みの城壁によって区切られていたが、それ以外には然したる相違点がない。
この周辺の騎士伯領は、石ころが点々と転がるだけの不毛な大地であり、見ため的には荒野と大した違いがないのだ。
そして。
パッと見には、境界を示す石積みの城壁に、以前と比べて大きな変化は見当たらない。
が。よくよく注視してみると、城壁から荒野の方に向かって、何となく近寄り難くなるような威圧感のようなモノが放たれている、ように感じる。
うん。気のせいでは無い。
確かに、そこはかとない、意識ある生き物を寄せ付けないような何らかの気配が、そこには存在していた。
そう。流石は、ドラゴン。
仕組みの方は俺にも今一つよく分からなかったのだが、大したものだ。
これなら、確かに、荒野から魔物が侵入して来ることもないだろう。
黒ドラゴンから詳しくは秘密と言って教えて貰えなかったのだが、一時的な、と言っても一ヶ月程度は余裕で効果が持続する筈だという魔物除けの魔法が、ラトランド公国と荒野との境界を守護する石積み城壁に付与されている、という現時点での事実が確認できた。
よし良し。これで、当面の間、この地は安泰だ。
実際の光景を見て、レジーナさんも、十分に納得した事だろう。
そう思い、俺は、満面の笑みで、レジーナさんの方を振り返った。
が、しかし。レジーナさんは、不思議そうな表情をして俺を見返してきたのだった。
「えっと、あの、アルフレッドさん?」
「はい」
「そのぉ...この近辺の光景に、何か、変化があるのでしょうか?」
「...」
「ごめんなさい。私には、以前との違いがよく分かりません」
うん、そうなんだ。
分かる人には、判る。けど、分からない人には、全く判らない。
それが、付与魔法という奴だった。
はあ、残念。
ダリウス氏は、良い仕事をしているんだけどなぁ...。
* * * * *
今一つ納得がいかない、というよりは素直な感想として以前との違いが認識できない、と困惑していたレジーナさん。
近付いてみれば感覚的には分かるかもと俺は考え、荒野の側から城壁に接近してみたり触れたり登ったりもしてみて貰ったのだが、残念ながら、レジーナさんには実感することが出来なかったようだった。
そんな彼女に、俺は、城壁がどのような状態になっているかを懇切丁寧に説明し、当面は通常レベルの魔物であれば侵入して来ることは無いと太鼓判を押して保証し、取り敢えずは、何とか納得して貰った。
まあ、俺が嘘を言う必然性もないし、気休めレベルではあったが見渡す限りの範囲内には魔物が一匹も存在しなかったのもまた事実だったので、疑われるような状況でもなかったのだが...。
そんな経緯というか出来事があって現在に至り、俺とレジーナさんは、元来た方向へと道を引き返して、漸く少し前に出発した農村の付近まで戻って来たところだった。
俺は、レジーナさんと並んで、長閑な農村の道を、ウォートン騎士伯の屋敷がある方角へと向かって、ゆっくりと歩く。
しかし、まあ、何と言うか。レジーナさん、だ。
あの、初対面の時の、ある意味では神秘的な雰囲気も持つ突き抜けた美少女といった印象が、今の彼女には、欠片も残っていない。
口を閉じて動きを止め静かに微笑んでさえいれば、ラヴィニアさんと双璧を成す程に高レベルな美少女さんである筈なのに、惜しい。物凄く、勿体ない。
光沢ある水色のストレートでさらさらな髪をワンレングスカットにしている、パッと見には大人びて見える造形の美少女さん、なのに...残念。
けど、まあ。親しみの持てるキャラではあるので、残念臭が漂っているという訳ではない。
そう。初対面の時に感じたインパクトとの落差が余りにも激しかったので心情的に残念な感はあるが、レジーナさんは立派な美少女だ。
だから。この国には、普段は真面目で高性能ながらも突発的にドジっ子属性を発揮する美少女の手堅い需要がある、のかもしれない。と思う事にして、俺は、これ以上は気にしないと決めた。
と、まあ。そんな俺の雑念は、横に置いておくとして。
兎にも角にも、そんな経緯により、魔物に関連するレジーナさんの二種類あった心配事の方は、解消できた。
ご本人も実感できて何の憂いもなく心底納得が出来たとまではいかなかったものの、取り敢えずは解決したという共通認識に至っている。
そうなると、あと残っているのは、彼女の父親であるウォートン騎士伯ご本人の行方を捜す、という問題のみだった。
よって、今、俺たちは、レジーナさんが最後に彼女の父親と会った場所であり、現在のラトランド公国が直面している騒乱の元である隣国の騎士団から襲撃を受けたというウォートン騎士伯の屋敷がある町へと、向かっていた。
お子様たちと一緒にわいわいと少し遅い朝食をご馳走になった少し寂れた農村が、俺の視界に入った。その瞬間に、その農村からダッシュで走りだす人影が、見えた。
う~ん。確かあれは、レジーナさんの侍女さん、だよなぁ。
いつもレジーナさんの後ろに控えて心配そうに見守っていた綺麗なお姉さんが今、猛烈な勢いで、走って来ている。
うん。やっぱり、流石はレジーナさんの侍女、だよな。
取り澄ました表情と侍女さんらしい所作はキッチリと維持したまま、あり得ない速度で此方へと接近して来る。
それに気付いたレジーナさんは、何の疑問も違和感も感じていない自然な笑顔を浮かべた。
「サヴァナぁ~、どうしたのぉ?」
「...お、お嬢様。お、お屋敷に、お、お戻り、ください!」
「大丈夫、サヴァナ?」
「...」
「ほら、息を整えて、落ち着いて」
「はい。失礼致しました」
「うん。それで?」
「先程、クリフォードからの使いが参りました」
「えええ?」
「どうやら、クリフォードはお屋敷に戻って来ているようです」
「えっ、ほ、本当に?」
「はい。まだまだ安全とは言えないようですが、お屋敷の体制がある程度は整ったと...」
「分かった!」
「あっ、ちょっと、お嬢様!」
「じゃあ、私、先に行っているわね!」
「ちょ、ちょとお待ち下さい。ですから...」
爆走し猛スピードで去って行く、レジーナさん。
この場に取り残されてしまった侍女のサヴァナさんと、俺。
咄嗟にレジーナさんを掴もうとして果たせず宙に浮いたままの右手をわさわさとさせながら、侍女の綺麗なお姉さんが、困ったような表情で俺を見る。
さて。
ウォートン騎士伯の屋敷までは、どれくらいの距離があるのかな?
レジーナさんの体力だと、あの爆走は、どのくらいまで続くのだろうか?
サヴァナさんの表情を見る限り、どうやら、大丈夫そうだ。
レジーナさんが正気に戻り俺たちが追いついて来るのを待とうと思い至る、まで放置で決定。
俺は、のんびりとサヴァナさんから事情を聴きながら、ウォートン騎士伯の屋敷があるという町に向かうのだった。




