35.([前]編-35)
朦朧とした意識の中で、俺は、ついつい、つらつらと取り留めもない思考を巡らせていた。
学歴や家柄などで人を判断してはいけないと教えられ自身の判断基準から除外した為に周囲との価値観の相違に悩み、人を疑うのは良くないという教えを真に受けて身近に居た人物による他者への責任転嫁や言い訳を信じて進退窮まる状況に陥る。
記憶は定かではないが、現代日本での生活における自身の経験としてそう痛感したことがある、ような気がする。
そう。
真実とは何か。一つなのか、二つなのか、存在する意識の数だけ際限なく湧き出てくる事象なのか。
などなど、と。正解だと心底思えるような答えに未だ辿り着けていない素朴な疑問に関する小難しい思索を、何故だか延々と繰り返している俺だった。
立場や見方によって人々の思い描く真実は異なり、ある人にとってある瞬間に間違いなく真実であった事象でさえも、前提条件や過去の経緯に対する捉え方次第で容易に脆く崩れ去る。
他者に対して何を如何すれば喜ばれ感謝され相手の為にもなるのか、その判断基準の所在は迷宮入りする永遠の謎であろうと思う。
何が真実で何が正解であり、人は何を信じて何を成すべきなのだろうか。
突き抜けて明晰な頭脳もなく、神々の寵愛と見紛う程に鋭い直感もない。そんな何か特別なものを持つ訳でもない愚鈍な凡人には、複雑に入り組んで絡み合い影響し合う多数の人々の人生という文様を正確に読み解いた上で全てに於いて最善の形へと導く事など、不可能だと思う。
では、仮に。高い知能と高潔な精神を合わせ持つ完璧な人物が存在したとして、その人物が一切の間違いを犯さずに正しい行いを一生涯に渡って続ける、などといった事は出来るものなのだろうか。
その問いに対する俺の答えは、否、だった。
もしかしたら、その人物が生活する村や街の中だけに絞れば、可能なのかもしれない。
しかし。その村に隣接する別の集落に住む誰かには、迷惑をかけて悪影響を及ぼしているのかもしれない。隣接する村落の人々までは大丈夫でも、隣国に住む誰かには、何らかの悪影響を及ぼしているやも知れない。
同じ島や同じ大陸にある国家まで仮に網羅できたとしても、別の島や大陸で生活する人や生き物に多大な迷惑をかけている可能性がないとは言い切れないのではないだろうか。
百歩譲って一つの星に住む全ての生物を幸せにする事が出来るのだとしても、隣の星や銀河や宇宙にまで範囲を広げて、全ての存在を正しく幸せで何の憂いもなく望まれた状態にすることなど出来るものなのだろうか。
もしも万が一にそれが出来るのだとして、それぞれに違う価値観や事情を持つ見知らぬ生き物たちの状態が全て正しく幸せだ、と判断できるような存在など実在するものだろうか。
この世に、全知全能の神は存在するのか?
仮に全知全能の神が存在するとして、その神には、全ての人々が理不尽な目に会わずに満ち足りた生活をずっと送り続ける世界を創造することが可能なのか?
そんな存在がいたとして、そんな存在である本人は何を考えて望み、自分自身を幸せにし幸せだと感じることが出来るのか?
残念ながら、俺には、そのような状況が全く想像できなかった。
俺が、典型的な日本人らしい適当でいい加減な宗教観を持ち、信仰心が不足する人間だからなのかもしれないが...。
で。
俺は、何故、こんな事を真面目に考え込んでいたのだろうか。
って言うか。つい先刻まで、俺は、いったい何をしてたんだっけ...。
と。思考に少しばかり切りが良くなったタイミングで、ふと我に返る。
う~ん。
取り敢えず、意識はしっかりしている。問題なし。
身体の方は、何となく五体満足っぽい、よな。うん、大丈夫そう。
現在の俺の状態は、背中の感触が少し硬めだったりするが、たぶん、ベッドの上で横になっている、で間違いないと思う。
ただし。ここ最近はすっかり馴染んでしまっている感がある豪華なふかふかベッド、ではない。
が。現代日本での一般人が使う標準グレードのベッド、というよりは寧ろ、中世ヨーロッパでの農村や平民向け宿にでもありそうな硬めの藁がチクチクするベッド、という感触?
といったこの状況は、いったい全体どういう事態なんだろうか...。
俺は、半分は呆けてホケっとしながらも、少し頑固めにピッタリと貼り付いている感もある重い重い瞼を無理矢理にこじ開け、何とか少しずつ眼を開けてみた。
ぼやけていた視界が、徐々に、鮮明になっていく。
と。
至近距離に、美少女がいた。
心配そうに、半泣き状態で、俺の顔を覗き込む女の子が。
光沢あるストレートのさらさらな水色の髪をショートヘアにした、おカッパでなく大人っぽくワンレングスカットとかいう奴にした美少女の顔が、俺の目と鼻の先にあったのだった。
* * * * *
いや~。眼福、眼福。
一時期はむさ苦しいおっさんばかりに囲まれるモノトーンな世界で致し方なく過ごしていたのだが、最近は、色々なタイプの美少女さんとお目にかかれるようになったよなぁ。
などと、馬鹿なことを考えていたら...。
「だ、大丈夫ですか!」
「あ...」
「すいません、ごめんなさい、ご迷惑お掛けして。っていうかお怪我をさせてしまい、申し訳ありません!」
「えっと...コホッ」
「あ、あああああ、ごめんなさいっ。喉が渇いていますよね、すぐご用意します。サヴァナ~、水を大急ぎでぇ~」
てんぱった水色ショートヘアーの美少女が、猛然と走って部屋を出て行った。
ばたんっ。
ドンっ。
と。速攻で、引き返してきた。
水がなみなみと入っていて時たまピシャピシャと零れ出るコップを両手で捧げ持ち、ご令嬢として許容範囲ぎりぎりだと思われる速足で戻って来る。
「ど、どうぞ!」
「...」
俺は、ゆっくりと、ベッドの上で起き上がる。
途中で少し、左脇腹の背中側寄りに手当済みと思われる怪我の痕が引き攣るのを感じて、さりげなく庇いながら。
心配そうに覗き込む少女に軽く会釈をし、コップを受け取って口をつけ、少しずつ水を流し込んで乾いた喉を潤す。
脇腹の傷は...まあ、問題ないだろう。
けど。後で、体調を再確認してから、治癒魔法をこっそり試してみようと思う。
残念ながら俺の治癒魔法の能力は高くない上に自身の体には効き難いので、あくまでも気休めレベル、治癒が少しばかり促進されるといった程度にしかならないだろう。が、まあ、このまま放置するよりはマシだと割り切る。
まあ、それはさて置き。
このお嬢様と、その後ろにいる侍女さんらしき人は、何処の誰なんだ?




