([後]編-02)
屋敷に戻ると、リチャードさんが待ち構えていた。仁王立ちして、筋肉を誇示し、威圧感を放ちながらも、慇懃無礼に姿勢正しく、俺を見据えている。
「お帰りなさいませ。アルフレッド様」
「うっ...」
リチャードさんからの、とーとつな様付け敬称付き呼びかけ、の洗礼。
ここ一年程の俺は、貴族社会や礼儀作法に関する教育を、主にリチャードさんから受けていた。
ので、これまで教えを乞う方の立場であった俺は、当然ながらリチャードさんから名前を呼び捨ての扱いだった訳なのだが...。
「夕食は、アレクと一緒に、食堂で取られますか?」
「あ、はい。そうして貰え...」
リチャードさんの纏う空気と目つきが、怖い。
この場の空気が、急速に冷え込んでいくのをヒシヒシと肌で感じながら、俺はピシリと背筋を伸ばす。
うん。リチャードさんの言わんとする事は、分かる。
十中八九、使用人もしくは配下として扱え、という無言の強烈なプレッシャー。
うぅ~、胃が痛い。
リチャードさんは、伯爵家では執事という要職にあるのだが、その外見は相当に厳つい。
筋肉隆々の老齢の紳士が、ぱっつんパッツンの執事服を着ている、といったイメージを抱かせる人物なのだ。
勿論、実際には体型にフィットした上質な仕立ての服を颯爽と着こなしているし、外見とは裏腹に頭脳派の有能な執事さんなので、あくまでもイメージなのだが...。
などと、現実逃避する思考は、脇において。
俺は、使用人へのお返事モード、を何とか速やかに組み立てる。
昨日のローズベリー伯爵閣下ご本人からの申し渡しによってリチャードさんの中では俺が伯爵家の後継者であるのは確定事項、なのであろうから。
「あ、ああ。食堂で頂くよ」
「畏まりました。準備ができましたら、お呼び致します」
多少ぎこちなくはなったが、軽く頷いて、俺は、自室に戻ろうと...。
「アルフレッド様」
「...」
「旦那さまから、明日の朝、朝食後に、旦那様の寝室に来るように、とのご指示がございました」
「分かった」
「お呼び止めして、申し訳ありませんでした。それでは、後程」
はあ...。
何とか、及第点は貰えたようだ。
俺は、漸く、執事としての職務を粛々とこなすリチャードさんから解放され、トボトボと自室へと引き上げるのだった。
そして。朝が来て、朝食を終えて。
俺は、再び、伯爵閣下の寝室の扉の前に、立っていた。
昨晩は、アレクと二人でリチャードさんの給仕を受けて食事をする、という苦行を乗り越えた後、精神的にへとへとになってベッドに直行、何やら途中まで悪夢にうなされていたような気もするが、爆睡した。
だから、睡眠時間は十分な筈、な訳だが。現在の俺のコンディションは、お世辞にもスッキリした爽快な状態とは言えなかった。
が、先延ばしにしても何ら良いことがない厄介事は、さっさと片付けた方が良い。
などと、半分は開き直って、残り半分は少し自棄になり、指定されたこの時間に伯爵閣下の寝室を訪れたのだった。
コンコンコン。
頑丈な造りの立派な扉を、ノックする。
と。音もなく、すうっと扉が開き、リチャードさんが無言で部屋の中へと招き入れてくれる。
いつの間にかアレクも来ていたようで、一緒に伯爵閣下の寝室へと入る。
「旦那さま。アルフレッド様がお見えになりました」
「そうか」
俺は、部屋の奥に据えられた大きなベッドの方へと近付いて行きながら、改めて、伯爵閣下の様子を窺う。
今日は既に枕やクッションで出来た背凭れにもたれた状態で上半身を起こし、窓の外を静かに眺めておられた。
こうして改めて見てみると、普段の仕種や行動と言動に誤魔化されて気付けていなかったのだが、確かに伯爵閣下も老齢と言わざるを得ない。
「こら、アル。人を、老人扱いするでない」
「す、すいません。つい」
「ふん。確かに儂は、もう歳だが、まだまだ耄碌はしておらん」
「そ、そうでしょう。そうであれば...」
「それとこれとは、話が別、だ」
「...」
うん。やっぱり、伯爵閣下は伯爵閣下、だ。
何十年経っても俺には成れそうにない、大人の漢というか生きた英雄。
まあ、こんな人を父と呼び息子と呼ばれるのは光栄なんだが...。
「なに。今すぐに儂がどうこうなる、という訳ではない。無いのだが、残念ながら儂が体を壊しているのも、また、事実だ」
「それは...」
「これまでは誤魔化してきたのだが、今後はこのように日中から寝床で軽く伏せることも多くなろう」
「...」
「まあ、確かに、儂も老いた、という事だな」
「そうでしょうか?」
「ああ。儂も、お前のように要所要所で適度な手抜きをしておけば、ここまで身体にガタが来ることも無かったのだろうが、な」
「...」
「ははは。冗談だ」
「...」
「さて。与太話はこの程度にして、本題だが」
「はい」
「覚悟は出来たな」
「...はい。このお話、お受け致します」
「うむ。それで良い。では、お前は今日から、儂の息子であり、儂の後継者だ」
「はい」
厳粛な気持ちで頷き、伯爵閣下の顔を見る、と。
閣下が、また意地の悪い笑顔を浮かべていた。
老齢の英雄というよりは、何かを仕掛けるときの悪戯っ子のような...。
「リチャード」
「はい。閣下」
「準備は出来ておるか?」
「はい。抜かりはございません」
「良し。という事で、だ。アルフレッド、王都に行って爵位を継いで来い」
「は?」
「アレクサンダー」
「はい」
「お前も、一緒に王都へ出向き、アルフレッドの爵位継承のための手続きを済ませてくるように」
「はっ。承知致しました」
「では。二人とも、今すぐ、出立せよ」
「「え?」」
俺とアレクは、茫然としたまま、満面の笑みを浮かべた伯爵閣下に見送られ、リチャードさんに引き摺られるようにして、閣下の寝室から辞去する事となったのだった。