([後]編-06)
頭上に疑問符を浮かばせたラヴィニアさんと侍女さんと呆れた顔のアレクを視界の端に捉えたまま、俺は、徐に三メートルほど離れた場所に生えている枯れかけの灌木へと視線を向ける。
先程とは趣を変えて、今度は敢えて予備動作なしで即座に、呼吸を整える。
空気で出来た透明な大きな手とその動作の、イメージを迅速に構築。術名を、ぼそりと唱える。
「エアー・ハンド」
俺の視線の先にある灌木が、ずぼっと、根元から引っこ抜かれて空中へと浮き上がる。
続けて。俺は、多数の小さな風の刃物をイメージ。術名を、ぼそりと唱える。
「ウインド・ブレイズ」
ズバッバッババッバッ。
結構派手な音がして、一メートルほど宙に浮いていた根っこ付きの灌木が自然落下しながら、あっと言う間に細切れの木片となり、地面へと積み上がった。
俺は、そんな木屑の山を見据えて、もう一度、軽く深呼吸。
掌に、バレーボール大の火球をイメージ。術名を、ぼそりと唱える。
「ファイヤー・ボール」
俺の掌に出現した火球を、三メートル先の木屑の山へと飛ばして、一気に燃やす。
ボッ。
俺は、火がついて燃え上がった元灌木の残骸を、しばらく眺める。
あっと言う間に燃えて火が燻ぶるレベルまで鎮火したことを確認してから、次は、視線を少し距離の離れた位置に設けてる用水路を流れる水へと据える。
そして。
心もち姿勢を正し、呼吸を整え、軽く集中。
空を舞って飛沫となる綺麗な水を、イメージする。と同時に、術名をボソリと唱える。
「ウォーター・スプレイ」
バシャバサバサッ。
用水路から一筋の水が放物線を描いて飛び出し、燻ぶっていた木屑の山と、石が除去されて軽く攪拌された約三メートル四方の地面に、ドバっと...かと思わせて、途中で無数の細かな霧雨状の水滴へと分割、分散させて万遍なく散布する。
俺は、木屑の山が完全に鎮火し、疑似的に耕された地面が適度に湿った、と確認した処で一息ついた。
ふう。まだまだ余裕で魔法を使い続けられるが、今回はこの程度で良しとする、かな。
「と、まあ。こんな感じ、ですね」
「...」
「魔法で農地の開墾、などと言うと一部の方には鼻で笑われそうですが、実際に見て頂けば分かる通り、それになりに高度な術を使っています」
「アルフレッド様は、土と風と火と水の四系統の魔法がお出来になるのですね」
「ええ、そうです。これでも辺境伯、ですからね」
「そう、ですよね。そうなんでしょうが、凄いですね」
「ははは。ありがとうございます。やっぱり、美人さんに面と向かって褒められると、照れますね」
「...」
「勿論、魔物の駆除や討伐に際して、類似の魔法を連発し対処することも可能ですが、ご婦人に見せるようなものではないので、これ以上のデモンストレーションは不要、ですよね?」
「はい。アルフレッド様の魔法能力が高いことは、十分に見せて頂きましたわ」
ラヴィニアさんと彼女の侍女さんが小さく頷きあって納得している様子を、微笑ましく感じながら確認する。
そして。俺は、アレクの顔を見た。
アレクが、満足そうな表情で、ジッと俺の目を見返している。
そんなアレクの表情とアイコンタクトの意味を、俺は、了承と判断した。
そう。ローズベリー伯爵家として、困った立場に陥っているであろうラヴィニアさんに救いの手を差し伸べる、という決定が下された、と。
俺たちが彼女たちを案内しながらお二人の人柄を見極めている間に、ローズベリー伯爵家としても情報収集と簡単な探りを入れると聞いていたのだが、どうやら今のアレクの反応を見る限り、そちらの方も特に支障は無いという結論に至ったようだ。
最終的な落とし処としては、少なくとも、当家とは友好的な関係に落ち着くことになるのだろう。彼女たちが何をこれから選択するかにも大きく依存するだろうが、既にリチャードさんが暗躍を開始しているようなので、まず間違いない、と思う。
俺は、背筋を伸ばして気分を引き締め、表情を生真面目なものへと切り替えた上で、本題を切り出すべく、ラヴィニアさんと真っ直ぐに対峙した。
「と、いう事で」
「「?」」
「少し真面目なお話をさせて頂きたいと思いますので、落ち着いてお話ができる場所に移動しませんか?」
* * * * *
開拓村の外れにある、大きく繁った巨木がよく見える場所に建つ、小さな東屋。
その中に据えられた四人掛けの頑丈なテーブルとその備え付けの椅子に、俺は、ラヴィニアさんと向かい合って座っていた。
東屋の開拓村側の出入り口には、アレクとラヴィニアさんの侍女さんの二人が、俺たちに背を向けて立っている。
この村には、この東屋で誰かと話をしている俺の会話を盗み聞きしようとするような人間は一人も居ないが、まあ、形式的な見張りとして周囲を警戒している、といった感じだ。
俺は、アレクが用意してくれた紅茶を、一口飲む。
そして。真面目な表情を取り繕って、ラヴィニアさんへと話し掛ける。
「お疲れさまでした。足元の悪い場所を、かなり長い時間歩いて頂くことになりましたが、大丈夫でしたか?」
「はい。多少は疲れましたが、楽しませて頂きました。わたくしは、お庭の散歩なども好きなので、土の上を歩くのには慣れておりますから」
「そうでしたか」
「はい」
分かり易いニコニコ笑顔ではなく少しツンと澄ました感情に乏しい表情だったが、俺には何となく、彼女が楽しそうに感じられた、ので安堵する。
が。それが本題ではなかったので、改めて気を引き締め、背筋を伸ばす。
「楽しんで頂けたのであれば、良かったです。ただ、残念ながら、ラヴィニアさんが此方に来られた経緯が経緯なので、キチンとお伝えしておかなければならない事項があります」
「はい」
「私は、当面の間、婚約者を選ぶ予定がありません」
「...」
「また、かなり先の話になるとは思いますが、仮に結婚相手を選ぶ事となった際には、養父である前伯爵の意向を最重要視します。ローズベリー伯爵家およびプリムローズ家にとって益がある事は必須で、当家と敵対する家から婚約者を迎える事はない、と考えています」
「...はい」
「ラヴィニアさんのご実家であるロンズデール伯爵家とは、特には当家との利害関係等で敵対する事はなかったようなのですが、残念ながら、推薦人だという触れ込みのハートフォード侯爵家と当家とは犬猿の仲であり、全く相容れない間柄として有名ですよね」
「そう、ですね」
「ですから、大変申し訳ないのですが、現時点では、ラヴィニアさんを私の婚約者として受け入れることは出来ません」
「はい。であれば...」
「とは言え。わざわざ遠方からお越し頂いたご令嬢を、無下にして冷たく追い返すのは当家の流儀ではありませんし、私も個人的には、ラヴィニアさんとは仲良くできれば良いなと思っています」
「えっ...」
「ですので、少し、お時間を頂けませんか?」
「え、ええ。わたくしは、構いませんが...」
「そうですか。では、もう暫く、当家にご滞在ください」
「は、はい」
「当家の事務方は優秀なので、二~三日も頂ければ、ラヴィニアさんが巻き込まれている今回の騒動の背後関係や関与した者の思惑などキッチリと調べ上げてから粉砕してくれますので、安心してお待ち下さい」
「ふ、粉砕、ですか...」
「はい。あ、ああ、勿論、ラヴィニアさんがお嫌であれば、何事もなく丸く収めて王都のロンズデール伯爵家にお帰り頂くことも可能です。ただ、その場合には、たぶん、お友達になるのは諦めるしかないでしょうね」
「お友達、ですか...」
「はい。結構、私たちは気が合うと思うのですが...駄目、でしたか?」
「...」
「う~ん、駄目かぁ。ま、まあ、友人関係を築くためだけに他家の養女になる、っていうのもハードルが高すぎるかなぁ」
「わ、わたくしは、養女になるのですか?」
「はい。たぶん、ノーフォーク公爵家の養女、かな。伯爵家から伯爵家に養女に行く訳にもいかないだろうから、侯爵家か公爵家が候補になるらしいのだけど、侯爵家には適当な家がないそうなので」
「はあ」
「まだ、全てを調べ上げた訳ではないそうなのですが、ラヴィニアさんのロンズデール伯爵家での現在の立場だと、そのまま戻ったとしてもお困りになるのではないですか?」
「そう、ですね。わたくしは、婿取りを望まれて本家の養女になった訳ですが、まさかアルフレッド様を婿養子として連れ帰って来いというのが今回の意図でもないでしょうから...」
「だよね?」
「...」
「その辺も含めて、少し時間をかけて、親身になってくれる仲の良い侍女さんとも相談しながら、じっくりと考えてみる事をお勧めするよ」
「...」
「と、いう事で。ラヴィニアさん、もう暫く当家にご滞在して下さいな」
彼女の頭脳の中を、様々な仮定や思考が目まぐるしく駆け巡った、のだと思うのだが...。
ラヴィニアさんは、少し考え込んだ後、意外にあっさりと結論を出したようだった。
一瞬だけニッコリと微笑んだ後、すっと元の無表情に戻り、丁寧に深く俺に頭を下げた。
「はい。よろしくお願い致します」




