([後]編-05)
兎に角。今過ごしている世界はリアルなのかバーチャルなのか、俺は、判断をつけかねている。
いや、まあ、ね。
薄々は、何となく、バーチャルは無いかなぁ、と思わなくも無いこともない、けど。
ただ、まあ。どちらにせよ、俺がこの世界で三年間ほど生活を続けているという現状を考慮すると、一部の記憶がないという事態も含めて、異常事態であることは確かだろう。
そう。可能性として色々と御託を並べてみたが、ログアウトのメニューもなく数日どころか数年間もプレイし続ける様なVRゲームを、俺の記憶にある限りでは見たことも聞いたことも勿論プレイしたことも無い。
いや、まあ。俺の記憶は曖昧な上に脱落が多いのもまた事実なので、記憶に無いことを根拠に断定するのも無意味だとは思うのだが...。
そうなると次に有力な候補となるのは、あれ、だ。
俺の心情としては出来れば候補に入れたくはない事象ではあるのだが、定番の、異世界転移や異世界転生という奴だ。
ファンタジーとしてのその存在に異議など全く無いし、フィクションとして楽しむ分には割と好きなジャンルであったりはするのだが、現実にそんな都合の良い神様や普通の人っぽい感性を持った万能の存在など居るとは思えない。ので、却下したい。
勿論。そのような変な存在に会ったり、誰かからチートな能力を授けられた、といった記憶もない。
残念ながら、絶対にあり得ないとまで断言は出来ないが、俺的には普通に信じられないシチュエーションに分類されている。
それよりは寧ろ、現実とバーチャルもしくはその元となった或いはリンクしていた別の世界が何らかの事故で混じってしまい俺の知る現実世界と入れ替わってしまった、といった設定の方がよっぽど納得できる、ような気がするのだ。
いや、まあ、ねえ。比較の問題であって、究極の選択としてのチョイスであり、俺は自分自身が常識人だと思いたいので真面目な顔してそんな説を大きな声で唱えるつもりは毛頭ない。のだが、現状がどう見ても異常事態であり、俺の理解を超えている状況なので...困っている。
と、まあ。堂々巡りで、迷宮入りする出口のない考察のループに陥るのだった。
だから。
普段は、というか意識が戻って暫く経って以降は、余り深く考えないことにしている。
そう。世の中なるように為るさ、との開き直り。
凡人の俺が、いくら無い知恵絞って考えたところで分かる訳がない。
仮に何か分かったとしても、俺一人で何とか出来る訳でも無さそうな感じが盛大に漂っているし...。
ちなみに。俺自身の過去については、記憶が混沌としており全く以って五里霧中なのだが、断片的には朧げに感じるものは多少ある。
ふとした切っ掛けで、溺愛していた娘がいた、ような気がする時があるのだ。
辺境の開拓村でも親に連れられている小さい女の子を見ると、ホッコリとした心持ちになり、何やら懐かしいような切ないような気分になる、ことがある。
俺の娘もあんな頃があったよなぁと懐かしく感じる半面、俺の娘も無邪気によく笑いかけてくれたが俺が至らず寂しい思いや辛い思いをさせてしまったよなぁと切なくなる、ような気がする事があるのだ。錯覚かもしれないと思わせる微かなレベル、ではあるが。
ただ。娘の母親、つまりは俺にとっての伴侶であり人生の相方に関しては、何故だか全く以って何も感じず何かを思い出すことすら欠片も無かったりする。
俺はそこまで人でなしでは無いと思いたいし、母親が娘と一緒に過ごしていたのであれば何らかのイメージが湧いてくる筈だと思うので、たぶん、一緒には過ごして居なかったのではないだろうか、と見做す事にしているが...。
つまり、整理すると。
アルフレッドとしての俺は、現時点で十五歳という事になっているのだが、実際の俺は少なくとも二十歳は超えていたのではないか、と推測しているのだ。
うん。現代日本で、十二歳にして一児の父はあり得ない。
いや、まあ、娘ではなく妹や姪っ子だったという可能性も捨てきれない。のだが、何となく「娘」で間違いないような気がする、のだ。根拠はないが。
その所為なのか、俺は、アルフレッドとしての人生を積極的に謳歌したいとは思えなかった。
そう。どこかに家族が、少なくとも娘が待っている可能性がある、から。
けど、待っているのが娘だけだとすると、娘が既に自立していれば特に問題はないのか?
いや、まあ、それはさて置き。
中途半端で少し先の未来すら見通せない微妙な存在である俺が、家庭など持つのは論外だ、とも思っている。
のだが、まあ、将来が安泰と保証されている人など極々稀な存在なので、それも問題ないのか?
いやいや、それも置いておこう。
ただ、特にこの世界というかこの国では、身分や地位に関わらず、夫が急に居なくなって取り残された女性の立場は非常に弱くて悲惨なもの、なのだそうだ。勿論、父親の居ない子供も、然り。
だから。今の俺は、幸運にも得る事となった現在の地位と立場を活用して不運な女性や子供たちを不幸にしないための仕組みや世論を作り上げたい、とも漠然と考えていたりする。
当然ながら、俺自身がそのような不幸な事態の元凶になどはなりたくない、と真剣に考えている。
何故だか、悲しそうな顔をした幼い娘のイメージが脳裏に浮かび、俺を戒めているような気もするので...。
まあ、つまりは、俺がこの世界で過去の記憶がないまま生活している原因や俺の置かれている状況が分るまでは、後腐れなくと言ってしまうと語弊が多々あるが俺が煙のように突然ポンッと消えたとしても多少の迷惑はかかるものの皆の生活には支障がないような状況を確保しておきたい、と考えている訳だ。
それなら、誰とも深く関わらずに旅暮らす流れの冒険者にでもなれば良かったのでは、と思った事も多々あったりする。のだが、お世話になった恩を無碍にも出来ず、ついつい色々と口出しをしていると巻き込まれて更なる深みに嵌り、気が付くと...。
おいおい、俺。この状況、どうするよ?
自業自得だと痛感はするものの、俺の悩みは尽きることが無いのだった。
* * * * *
辺境の砦から彼方の険しい山脈と広大な荒れ果てた不毛の大地を眺めながら、グズグズと取り留めもない思考を巡らせていた俺は、意識を現実へと復帰させる。
勿論、思考はある意味グダグダでも、視覚と聴覚と神経は研ぎ澄ました状態を維持しており、荒野への警戒を怠っていた訳ではない。たぶん。
日課となっている砦の物見台での荒野の監視業務は次の担当者に引き継ぎ、俺は、砦の中の執務室となっている簡素な部屋へと入る。
砦に詰める当番兵たちからの定時報告を受けて二つ三つ書類仕事を片付けると、そろそろ屋敷に戻る時間となっていた。
俺は、砦の執務室を後にして、砦の外に繋いでいた馬に颯爽と飛び乗った。うん、俺のイメージとしては颯爽と。だけど、まあ、傍目から見たら、普通に騎馬に跨った、だと思う。いや、まあ、兎に角、馬に跨り速やかに移動をし始めた。
日当たりと水捌けの良さを期待して試験的に植えている何種類かの果樹を横に見ながら、低木が生える未開拓地を抜け、今はあまり水量が多くない大きな河の浅瀬を渡る。
川を渡り切り、自然の堤防を越えると、堅牢な城壁に囲まれた飾り気のない辺境伯のための屋敷が見えてくる。
俺は、そんな要塞のようにも見える屋敷へと向かって、ゆっくりと馬を進める。
と。
屋敷の正門の辺りが、何やら騒がしいように思えた。
少し回り込みながら、慎重に馬を屋敷の方へと近付けて行く。
と、見慣れぬ豪華な馬車が二台と荷馬車一台にその護衛らしき騎馬の者たちが数名、ちらりと視界に入った。
俺は、なるべく音をたてないよう更に気を付けながら馬を慎重に歩ませて、正門からは少し離れた場所にある通用門へと向かうのだった。
俺が、何食わぬ顔して屋敷の中から正門の方へと近付いて行くと、執事のリチャードさんが険しい顔をしていた。
甲高い声で捲し立てる様に何やら主張しているどこぞの貴族のおっさんと、押し問答になっているようだ。
「リチャード、どうしたんだい?」
「アルフレッド様。騒がしくして、申し訳ございません」
「いや、俺は良いんだが、何事だい?」
「はい。実は...」
キンキン声の貴族のおっさんの相手はアレクにバトンタッチして、リチャードさんが説明してくれた話によると、ハートフォード侯爵なるお偉いさんの推薦を得たキンキン声で少し肉付き良い体型をしたナントカ男爵さんが、俺の婚約者候補として一人の伯爵令嬢さんを連れて遠路遥々やって来た、というの事らしい。
リチャードさんによる最新情報だと、俺が出立した後の領都にある領主館の方に、他にも何組か婚約者候補として推薦する令嬢を連れた貴族の方々がドッと押し寄せていた、のだとか。
俺の好みとして喧伝された、落ち着いた雰囲気の年上美人、を連れた皆様方が大量に...。
口は禍の元、という諺の見本となるかような状況を、俺が再現した訳だ。
ははははは。
ただ、俺が既に辺境に発っていたと知ると皆さんすごすごとお帰りになった、という報告が届いていたそうなんだが、何故か一組だけ、俺を追いかけて此方まで来てしまった、というのが事の顛末のようだ。
連れてくる付き添いのナントカ男爵も大概だが、こんな辺境まで連れて来られた令嬢さんも大変だなぁ。
と、思わず他人事な感想を抱いていた俺は、ご令嬢が乗っていると思しき馬車の方を見るともなしにボンヤリと眺める。
窓にカーテンが降りた馬車。
そのドアの前に立っている、侍女さんらしき女性。
その女性が、馬車に少し近付いて聞き耳を立てるような仕草をした。
そして。その侍女さんらしき女性が、何やら小声で馬車の中へと言葉を返した。
と思った次の瞬間、その侍女さんが、スッとその馬車のドアを開け放った。
立派だが飾り気のない小さめの馬車の中から、侍女さんに手を取られて、一人の令嬢が降りて来る。
目の前に現れたそのご令嬢に、俺は、目を奪われた。
背後にまだ明るい太陽を背負って立つ彼女は、真っ白で綺麗なオーラを纏っていた。
彼女の、光沢があり加減によっては銀髪にも見える薄桃色の長い髪が、陽光に照らされてキラキラと輝く。
「綺麗だなぁ...」
思わず、俺の素直な心情がポツリと、呟きとなって漏れてしまう。
すぐ横にいたリチャードさんが、ピクリと反応。
ま、拙い。
と、一瞬慌てた。が、どうやら世話役のおっさんには聞かれなかったようだ。
思わず額に冷や汗を一筋垂らしながらも、俺は、平静を装う。
そして、そっと視線を、ご令嬢の方へ戻すと...。
ツンと澄ました気の強そうな美人さんが、耳の先を少し赤くながら、俺の方を見ていたのだった。




