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昼休みの夜想曲

作者: 京本葉一
掲載日:2019/10/09

 彼女の名前は、西城夜子といった。


 同じ制服を着ているのに、ひとりだけ喪服のようにみえる。暗いというよりは、悲しい雰囲気をまとっていた。口の悪い連中からは、陰で「お通夜さん」などと呼ばれている。


 儚いぐらいに痩せている彼女は、気が小さくて、自分に近づいてくる人間を恐れていた。例えそれが、情熱の欠片もない凪のような教師でも、ひたすら数学の難問を解きつづけている修行僧のような男子でも、自他ともに認める地味な女子であったりしても、あまり変わらない。


 極度の人見知りであった彼女は、相手の目を見ることができず、挨拶もすぐには返せない。何秒か待っていると、小さな声がボソボソと返ってくる。タイムラグの長さと聞きとれない声量のため、会話によるコミュニケーションが成立しにくい。ゆっくりでいいよと伝えはしても、こちらを待たせているとおもうと余計に負担に感じるらしい。


 無理をさせてしまうのも悪いので、彼女に声をかけることはなくなった。

 クラスの誰もが、彼女の存在を気にしないでいた。

 いないものとして扱われることを、彼女自身が望んでいた。





 彼女は頭が良く、実技以外なら成績もよい。

 あとから知った話によると、小学校、中学校ともに、ほとんど不登校であったらしい。塾にも通わず、家庭教師の助けもなく、ほとんど独学で勉強を続けて、進学校に入学していた。

 けれど彼女は、頭がいいとは思っていない。

 むしろ自分は出来が悪くて、要領も悪いのだと卑下している。


「なにもすることがなくて、暇だったから」


 ずっと家のなかにこもっていたから。

 暇だったから、ずっと勉強していただけだという。

 漫画を読むこともなく、ゲームをすることもなく、配信される動画を観ることもなく、毎日十時間以上、勉強していただけだと言っていた。


 学校の近くに引っ越すまでは、毎日四時間ほど、ピアノを弾いていたらしい。それもまた、独学で。耳で聴いた音楽を、指先で表現するだけだと話していた。ピアノ教室に通うこともできなかったため、楽譜は読めないそうだ。


「好きな曲を、くり返し弾いていただけ」


 彼女は演奏していた。

 毎日四時間ほど、淡々と演奏しつづけていた。





 状況が少しだけ変化したのは、ある日、音楽の授業が終わったとき。


 四限目の授業が終わり、誰もが昼休みを意識していた。教師は音楽準備室に消えて、クラスのみんなが足早に音楽室を出ていく。彼女はいつもどおり、最後に部屋をでるつもりでいた。

 変わらない風景。少しだけ違ったのは、出入口で団子状態になったことと、最後尾にいた彼女が、ピアノに近かったこと。ピアノに意識を向けつづけたこと。


 クラスメイトが音楽室をでたあと、彼女は鍵盤にふれた。


 その音に気づいたのはクラスの半分くらいで、気になって足をとめたのは、十人もいない。残ったクラスメイトで顔を見あわせていると、またピアノの音が響き、つづいて、旋律が流れた。

 美しい旋律。

 悲しみと共にある美しさに、声をあげることも、立ち去ることもできない。

 音楽準備室の扉がそっと開かれて、教師が出てきた。

 誰もが耳を傾ける。

 ほんの数分で演奏を終わった。


「ショパン。ノクターン、第二十番」


 教師がささやいた。

 音楽室から出てきた彼女は、心底驚いたかもしれない。教師と生徒が十人ほど待ちかまえていて、そのうちの何人かは、涙をこぼしていたのだから。

 パチパチと拍手で迎えられて、彼女は小さくなり、たぶん謝っていた。

 普段なら彼女に気をつかうところだけれども、そういうテンションではなかった。質問を投げかけて、音楽教師の補助説明をまじえながら、話を聞きだした。


 久しぶりにピアノに触れて、彼女はつい、演奏してしまった。

 一番好きな曲を弾いたのだという。


 ひさしぶりに演奏した興奮もあって、彼女もたぶん、普通ではなかった。

 繊細すぎる感性の持ち主。

 困惑は大きいにせよ、純粋な賛辞が伝わらないほど、鈍感ではない。


「ありがとう」


 聞こえないくらい小さな声で、彼女は伝えた。

 ほんわずかな笑みではあるけれど、彼女の気持ちは伝わってきた。





 クラスに大きな変化はない。


 すこしばかり話題にはなったけれども、いまでも「お通夜さん」と陰口を叩く連中はいるし、彼女の存在を気にするクラスメイトはほとんどいない。彼女の隣りの席にいる修行僧のような男子も、

「まさかショパンで泣くとは……」

 と、いまひとつ腑に落ちない感想をこぼしていたわりには変化がない。


 彼女自身にも、たいした変化はない。

 ただ少し、私と会話する機会が増えただけだ。


 クラシックに興味を持ちはじめた私は、いつか彼女が、またピアノを演奏してくれることを、秘かに期待している。

 あの日のノクターンを待ち望んでいるのは、たぶん、私だけではないだろう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 相変わらず文章が読みやすく、構成がしっかりしています。いつか西城さんにとって、あの時、ピアノを弾いたことがターニングポイントになったと笑顔で語れる日が来るといいですね。
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